滝本悠
お盆ぶりに帰ってきた実家は、特に代わり映えがしなかった。平日に帰ってきたおかげで、地元の大学に通っている兄も、高校へ通っている妹も、学校へ行っていた。だから玄関に揃えられている外履きは、母のものしか置かれていなかった。
僕は「ただいま」と言って、我が家へと足を踏み入れる。僕の声が聞こえたのであろう母は、リビングから慌てた様子でこちらへやってきた。僕は一度深呼吸をして、母と相対する。
「悠、今日は大学じゃないの?」
「サボってきた」
「サボってきたって……理由を説明しなさい」
「きっと長い話になるから、リビングで話をしようよ。それに、僕にとって一番大切な話だから。落ち着いて話がしたいんだ」
その言葉に納得してくれたのか、眉をひそめた母はリビングへと戻っていく。僕は母の座る椅子に対面するように、恐る恐る腰を下ろした。
「それで、大学をサボってまでする話って、何」
「実は……」
僕は、必死に母へ説明をした。大学を辞めたいと思っていること。そして、服飾関係の専門学校か大学で学び直したいということ。
ずっと、夢だった。誰かのために服を作って、誰かを笑顔にすることが。そのためには、今の進路じゃ叶えることができないから、どうかわかってほしいと、必死に母へ訴えた。
母は僕が話している間、何も口を挟んだりしなかったけれど、全ての説明を終えた時、とても不愉快そうに眉をひそめて、言った。
「ふざけないで」
その言葉で僕は一瞬硬直したけれど、すぐに持ち直した。許されない提案をしていることは、僕にもわかっていたから、いつも以上に覚悟はできていた。
「ふざけてないよ。本当に、真剣に考えたんだ」
「ふざけてるわよ。今通ってる大学を辞める?そんなの、許すわけないじゃない。何があなたにとって大事なことなのか、もう一度よく考え直しなさい」
それだけ言うと、母は椅子から立ち上がってリビングを出て行こうとする。正直、こうなることは予測できていた。だから僕は、アパートから持ってきていたあれを、カバンの中から取り出す。
「母さん、これ見てよ」
母は、苛立たしそうに目つきを鋭くして、こちらに振り返る。僕はそんな母に、梓へプレゼントしたコートを見せつけた。
「それがなに?」
「この前、僕が作ったんだ」
「悠が、作ったの?」
本気で怒り出す一歩手前だった母の表情が、少しだけ興味の色に変わる。僕は恐れずに自ら近付いて、母にコートを手渡した。
母はコートを訝しげに見て、再び僕に鋭い視線を投げつける。
「こんな既製品を手渡されても、騙されないから」
「だから、自分で作ったんだって。僕の……彼女だった人にプレゼントしたんだ」
「……彼女?その人とは、別れたの?」
「うん。僕に夢を追いかけてほしいから、別れを選んでくれたんだ。一緒にいると、お互いに依存しちゃうから」
おそらく、半信半疑なのだろう。疑り深い母は、警戒の色を薄めてはくれなかった。結局、手渡したコートは強引に僕に押し戻され、「さっさと、あっちに戻りなさい。それで、明日にはちゃんと大学に行くのよ」と吐き捨てられた。
母は頑固だから、一筋縄ではいかないだろうと思っていたけれど、これは思っていたよりも長期戦になりそうだった。
けれど梓が応援してくれた手前、こんなところで早々に折れるわけにはいかない。
しばらくは実家に泊まり、母の説得を続けよう。そう決めて、とりあえずは元々使っていた二階にある自分の部屋へ退避した。そして父が夜に家に帰ってきた時、父の部屋へ行ってコートを見せながら、先ほど母に説明したことと同じ内容を、もう一度伝えた。
僕の話を黙って聞いていた父の第一声は「そうか、悠にも彼女ができたのか」だった。父はどこか嬉しそうで、僕は拍子抜けする。
「あのさ、大学を辞めたいっていう話してたんだけど……」
「あぁ、別にいいんじゃないか?」
そんな風に、あっさりと父は言う。昔から母とは違って大らかな人だったけれど、ここまで適当に返事をされるとは思っていなかった。
「結構、真面目な話だよ?」
「分かってるよ。悠が自分で何かをやりたいって言ったの、もう随分と聞いてなかったから。実はちょっと、嬉しいんだ」
適当なんかじゃ、なかった。昔を懐かしむ目をする父を見て、僕は思わず目頭が熱くなった。僕に、ずっと興味がないのだと思っていたから。
「うん。父さんは、悠のことを応援するよ。お母さんにも、父さんの方から説得してみる」
「……いいの?」
「あぁ、頼りない父さんだけどな。お母さんが悠を好きな気持ちは本物だから、きっと許してくれるよ」
そう言って、父さんはニコリと笑う。僕の瞳からは、一筋だけ涙がこぼれた。
その日、僕は久しぶりに家族元で夕食を食べた。久しぶりに帰ってきたことを、妹と兄は驚いていたけれど、少し喜んでもくれていた。
妹は食事の席で、僕に言った。
「悠にぃ、少し雰囲気大人っぽくなった?」
「そうかな?」
「実はな、悠に彼女ができたらしいぞ。この前別れたらしいんだけどな」
「ちょっと父さん、バラさないでよ……」
「うそっ! 悠にぃ彼女いたの?! 健にぃに彼女できてないのに!」
「うるさい、菜央。俺はできてないんじゃなくて、作らないんだよ」
そんなくだらない話で笑いあっていると、母さんはぽつりと呟いた。
「きっとその子、悠みたいな優しい子よ」
僕は、その母さんの言葉が嬉しくて、思わず顔がにやけてしまった。母さんに褒められたのは、大学の合格が決まった時以来だったから。
滅多に僕のことを褒めない母さんが、その時ばかりは僕の成功を喜んでくれた。だから、大学を辞めることを許してくれないのかもしれないと、僕はそんなことをふと思った。
でも、服を作るという道は、僕が自分で決めたことだから。いつか母さんにも、理解してほしかった。
子どもの頃、ボタンを縫い付けれたことを褒めてくれたのが、たまらなく嬉しかった。だから、次に母さんと進路の相談をするときは、そんなありのままの自分を素直に話そう。
僕は、まだまだ若い。時間はいくらでもあるから、ゆっくりと僕の生き方を認めて貰おう。
そう、心の中で密かに思った。
お盆ぶりに帰ってきた実家は、特に代わり映えがしなかった。平日に帰ってきたおかげで、地元の大学に通っている兄も、高校へ通っている妹も、学校へ行っていた。だから玄関に揃えられている外履きは、母のものしか置かれていなかった。
僕は「ただいま」と言って、我が家へと足を踏み入れる。僕の声が聞こえたのであろう母は、リビングから慌てた様子でこちらへやってきた。僕は一度深呼吸をして、母と相対する。
「悠、今日は大学じゃないの?」
「サボってきた」
「サボってきたって……理由を説明しなさい」
「きっと長い話になるから、リビングで話をしようよ。それに、僕にとって一番大切な話だから。落ち着いて話がしたいんだ」
その言葉に納得してくれたのか、眉をひそめた母はリビングへと戻っていく。僕は母の座る椅子に対面するように、恐る恐る腰を下ろした。
「それで、大学をサボってまでする話って、何」
「実は……」
僕は、必死に母へ説明をした。大学を辞めたいと思っていること。そして、服飾関係の専門学校か大学で学び直したいということ。
ずっと、夢だった。誰かのために服を作って、誰かを笑顔にすることが。そのためには、今の進路じゃ叶えることができないから、どうかわかってほしいと、必死に母へ訴えた。
母は僕が話している間、何も口を挟んだりしなかったけれど、全ての説明を終えた時、とても不愉快そうに眉をひそめて、言った。
「ふざけないで」
その言葉で僕は一瞬硬直したけれど、すぐに持ち直した。許されない提案をしていることは、僕にもわかっていたから、いつも以上に覚悟はできていた。
「ふざけてないよ。本当に、真剣に考えたんだ」
「ふざけてるわよ。今通ってる大学を辞める?そんなの、許すわけないじゃない。何があなたにとって大事なことなのか、もう一度よく考え直しなさい」
それだけ言うと、母は椅子から立ち上がってリビングを出て行こうとする。正直、こうなることは予測できていた。だから僕は、アパートから持ってきていたあれを、カバンの中から取り出す。
「母さん、これ見てよ」
母は、苛立たしそうに目つきを鋭くして、こちらに振り返る。僕はそんな母に、梓へプレゼントしたコートを見せつけた。
「それがなに?」
「この前、僕が作ったんだ」
「悠が、作ったの?」
本気で怒り出す一歩手前だった母の表情が、少しだけ興味の色に変わる。僕は恐れずに自ら近付いて、母にコートを手渡した。
母はコートを訝しげに見て、再び僕に鋭い視線を投げつける。
「こんな既製品を手渡されても、騙されないから」
「だから、自分で作ったんだって。僕の……彼女だった人にプレゼントしたんだ」
「……彼女?その人とは、別れたの?」
「うん。僕に夢を追いかけてほしいから、別れを選んでくれたんだ。一緒にいると、お互いに依存しちゃうから」
おそらく、半信半疑なのだろう。疑り深い母は、警戒の色を薄めてはくれなかった。結局、手渡したコートは強引に僕に押し戻され、「さっさと、あっちに戻りなさい。それで、明日にはちゃんと大学に行くのよ」と吐き捨てられた。
母は頑固だから、一筋縄ではいかないだろうと思っていたけれど、これは思っていたよりも長期戦になりそうだった。
けれど梓が応援してくれた手前、こんなところで早々に折れるわけにはいかない。
しばらくは実家に泊まり、母の説得を続けよう。そう決めて、とりあえずは元々使っていた二階にある自分の部屋へ退避した。そして父が夜に家に帰ってきた時、父の部屋へ行ってコートを見せながら、先ほど母に説明したことと同じ内容を、もう一度伝えた。
僕の話を黙って聞いていた父の第一声は「そうか、悠にも彼女ができたのか」だった。父はどこか嬉しそうで、僕は拍子抜けする。
「あのさ、大学を辞めたいっていう話してたんだけど……」
「あぁ、別にいいんじゃないか?」
そんな風に、あっさりと父は言う。昔から母とは違って大らかな人だったけれど、ここまで適当に返事をされるとは思っていなかった。
「結構、真面目な話だよ?」
「分かってるよ。悠が自分で何かをやりたいって言ったの、もう随分と聞いてなかったから。実はちょっと、嬉しいんだ」
適当なんかじゃ、なかった。昔を懐かしむ目をする父を見て、僕は思わず目頭が熱くなった。僕に、ずっと興味がないのだと思っていたから。
「うん。父さんは、悠のことを応援するよ。お母さんにも、父さんの方から説得してみる」
「……いいの?」
「あぁ、頼りない父さんだけどな。お母さんが悠を好きな気持ちは本物だから、きっと許してくれるよ」
そう言って、父さんはニコリと笑う。僕の瞳からは、一筋だけ涙がこぼれた。
その日、僕は久しぶりに家族元で夕食を食べた。久しぶりに帰ってきたことを、妹と兄は驚いていたけれど、少し喜んでもくれていた。
妹は食事の席で、僕に言った。
「悠にぃ、少し雰囲気大人っぽくなった?」
「そうかな?」
「実はな、悠に彼女ができたらしいぞ。この前別れたらしいんだけどな」
「ちょっと父さん、バラさないでよ……」
「うそっ! 悠にぃ彼女いたの?! 健にぃに彼女できてないのに!」
「うるさい、菜央。俺はできてないんじゃなくて、作らないんだよ」
そんなくだらない話で笑いあっていると、母さんはぽつりと呟いた。
「きっとその子、悠みたいな優しい子よ」
僕は、その母さんの言葉が嬉しくて、思わず顔がにやけてしまった。母さんに褒められたのは、大学の合格が決まった時以来だったから。
滅多に僕のことを褒めない母さんが、その時ばかりは僕の成功を喜んでくれた。だから、大学を辞めることを許してくれないのかもしれないと、僕はそんなことをふと思った。
でも、服を作るという道は、僕が自分で決めたことだから。いつか母さんにも、理解してほしかった。
子どもの頃、ボタンを縫い付けれたことを褒めてくれたのが、たまらなく嬉しかった。だから、次に母さんと進路の相談をするときは、そんなありのままの自分を素直に話そう。
僕は、まだまだ若い。時間はいくらでもあるから、ゆっくりと僕の生き方を認めて貰おう。
そう、心の中で密かに思った。