「トヨさん、起きとったんか」
「うーん、まあ、ぼんやりとね」
松之助さんの問いかけに欠伸をしながら答えたトヨさんは、そのままゆっくりと私のほうを向いた。
「莉子。この店の二階に空いてる部屋があるから、あなたそこに住んじゃいなさい」
「え」
「そしたら住むところには困らないでしょ?」
「い、いいんですか!?」
それは、願ってもみない提案だった。この店に住み込みで働けるとなれば、家賃もゼロで、通勤時間もゼロということだろう。
「なんてったって、私は衣食住の神様だからね。困ってる人間を見過ごすわけにもいかないわ」
「いやトヨさん、それはさすがに――」
「神様ってすごい!」
松之助さんがなにか言いかけていたけれど、そのおいしい話に食いつかないはずもなく、私は「働く! 働きます! ここで私を雇ってください!」と勢いよく宣言したのだった。
『……それで結局、伊勢の料亭で働いてるって? しかもなに、男と同居中?』
「う……、だってその人が住んでるなんて知らなかったんだもん……」
隣の部屋で眠っている同居人を起こさないように私がボソボソ嘆けば、電話の向こうで葉月がおかしそうに笑った。
あれから二週間ほどが過ぎて、仕事にも少し慣れてきた今日この頃。私に神頼みを勧めてきた葉月が、会社のお昼休みに連絡をくれたのだった。
――ここで雇ってもらえることが決まった翌日、家族にそのことを伝えると、すごく喜んでくれた。さすがに神様たちの集まる居酒屋ということは言えなかったため、伊勢の料亭だということにしたけれど。
そして引っ越しの準備も家族総出で手伝ってもらい、万全の態勢で再び伊勢にやってきたとき、店の二階に松之助さんも住んでいるということを知ったのだった――。
「よく考えたら、住み込みの話が出たときになにか言いかけてたような気はするんだけど、まさかひとつ屋根の下になるとは思わないじゃん……」
『部屋は別々だけど、他は大体、共有なんだっけ。お風呂でバッタリ遭遇とかないの?』
「ないよ!」
語気を強めて否定した。さすがにそこは、私も松之助さんも細心の注意を払っているところだ。
『ちぇ、ないのか。ところでその男、何歳なの』
「確か二十八? とか言ってた気がするけど……」
毎日のようにやってくるトヨさんから聞いた話を思い返しながら答えると、葉月の興奮したような鼻息が聞こえた。
『いいじゃん、二十八。ちょうどいいじゃん、二十八』
「ちょうどいいってなにが……ていうか多分、葉月が思ってるようなことは起きないよ……」
なんだか話が変な方向に逸れだしたので、私は静かに部屋を出た。少し傾斜のきつい階段を、なるべく音を立てないようにして下りていく。