「次はおごってもらうから、今日はいいよ」

 私の胸中とは裏腹に、嬉しそうにあんパンをかじりながら井上くんが言った。きっと次に同じようなことがあっても、私におごらせるなんてことはしないのだろうなと思った。

「ありがとう……」


 井上くんはクラスのまとめ役として前に立つことが多く、いつも明るくて嫌な顔をしているのも見たことがない。それに加えて今日一緒に歩いたほんの数十分で、なんとなく井上くんが人気者である理由が分かったような気がする。

「このあんこ、甘過ぎなくて俺の好みかも。食べる?」

 差し出された食べかけのあんパンを見つめた後、全力で拒否するように首を振った。

 本当はこんなところでのん気にパンなんて食べていたくない。しかも隣にいるのは井上くん。誰かに見られたらと思うと気が気じゃない。
 早く帰りたいと思っているはずなのに、井上くんに笑いかけられると空にふわりと浮かぶ雲のように、心が一瞬軽くなるのを感じていた。どうしてなのかは分からないけど、それも井上くんの魅力の一つなのかな。


 クロワッサンを口に入れると、サクッという食感の後にバターの香りが広がった。以前の私なら、きっとパンが美味しいというだけで簡単に幸せを感じられたはず。でも今は、そんな些細な幸せすら感じてはいけないような気になってしまう。


「今後の予定だけどさ、とりあえず十月の委員会までにまとめなきゃいけないから、次までにどの順番で調べるかなんとなく考えてくるよ」

「うん、分った」

「俺達は部活入ってないけど他のクラスの学級委員は部活やってる奴もいるし、俺らで出来るところはやろう。次の委員会は確か……」


 パンを食べ終えた井上くんは、スマホでカレンダーを確認している。井上くんは本当に、正輝(まさき)という名前がピッタリだ。

 正しく輝いている井上くんにも、悩みや不安に思うことなどあるのだろうか。井上くんの本来の姿は、今私が見ている井上くんと同じなのかな。それとも実は全然違うのかも……なんて、そんなわけないか。

 井上くんはきっと、裏も表も同じ。無理に周りに合わせたり、自分の存在に疑問を持つことなんか絶対にない。井上くんはみんなから必要とされているし、愛されているんだから。