見間違いなのかもしれないと何度も思った。そう思おうとした。けれどあの日から、どんな時でもなにをしてても〝養子〟という文字が鮮明に浮かんでしまう。

 印鑑を取る前は急いでいたし、横から適当に書類を漁っていたから自分の名前しか見えなかった。でも後々確認した時は、確かに養子と書かれていた。それに義母の横には……お母さんの名前も。


 勘違いかもしれないのだからもう一度見てみようと何度も試みたけど、取り出してまじまじと確認することは怖くて出来なかった。それどころか、箪笥を開けることすら出来ない。


 十六年生きてきた中で疑う気持ちなんて微塵もなかったはずなのに、あの書類を見てから色々思い出すことがある。

 一番気になったのは、アルバムだった。小さい頃からの私の写真がしまってある赤いカバーの分厚くて大きなアルバム。わざわざ見返すようなことはほとんどなかったけれど、戸籍謄本を見てしまった翌日、両親がいない時間に私は押入れからアルバムを取り出した。

 一ページ目を捲るのに、相当時間がかかった。怖くて、手が震えて。だけど心のどこかで願っていた。

 お願い。表紙を捲ったら、産まれたての私がお母さんに抱かれている写真がありますように。
 不安で胸が締めつけられながらも、そう祈りながらゆっくりとアルバムを開いた。

 写っていたのは、産まれたばかりの私の写真だった。真っ赤な顔で泣いている、サルみたいな赤ちゃん。でもそこに、お母さんは写っていなかった。写真の上には愛花という名前と誕生日の十一月五日、産まれた時の体重が書かれた紙が貼られていた。


 赤ちゃんから一歳くらいの、私一人だけが写っている写真が二ページにわたって六枚。その後は、二歳の私だった。

 二歳から現在までは両親と一緒に写った写真も沢山あって、行事毎にまめに写真を撮っている。そのほとんどが、写真が好きなお父さんが撮ったものだった。

 それなのに、二歳までの写真が極端に少ないし、両親と一緒に写っている写真は一枚もない。

 今までは気にも留めなかったことだけど、私が養子だとしたら説明がつく。

 赤ちゃんの頃、私は違う人のところにいた。両親は、私の両親じゃなかった。だから写真も一緒に撮っていない。一緒に撮れないからだ。