「こっち方面、行くの初めてかも」

 前を向き直して言った井上くんの言葉は、私に向けたものだろう。今日の雨には似合わない、明るくよく通る声だ。

 私も初めてだよ。南門から出たのも凄い久しぶりだし。
 そう思っているのに、私は「うん」と一言だけ発して俯いた。


「この信号渡って真っ直ぐ行くか、それとも左か右、どっちかに曲がる?」

 わざわざ後退りをして、私の右隣に並びながら言った。井上くんが隣に来た瞬間、心持ち左にずれながら「どっちでも」と答える。

「それじゃー、今日はとりあえず真っ直ぐ行くか」

「うん」

 方向が決まったところで信号が青に変わり、渡ると一方通行の道へと入る。私は再び自分の顔を隠すように傘を前に傾けた。



 井上くんとは二年で同じクラスになったけど、彼のことは一年の頃から知っている。

 学校という狭い世界では噂が広まるのも早い。直接関係のない私にもいつの間にか様々な情報が入ってくる中で、一、二を争うほど耳にしたのが井上くんの名前だった。イケメンだとか、誰が井上くんに告白しただとか、そういった話がほとんどだ。


 どちらかというと地味で見た目も普通な私が、井上くんとこうして放課後二人で歩いている今の状況はどう考えてもあり得ない。そんなことは自分でも分かっているけど、これは仕方のないことなんだ。

 私が自ら一緒に帰りたいとか一緒に歩きたいとか言ったわけではない。ましてや井上くんから誘ってきたわけでもなく、委員会で決めた仕事だから一緒にいる、ただそれだけ。だから私は決して悪くない。

 井上くんと二人でいることも、話しかけてくるのも、私がそうしたいからじゃない。


 それでもやっぱり周りの目は気になるから、こうして傘で顔を見えないようにしてしまう。

 もし事情を知らない誰かが勘違いをして、私と井上くんが放課後一緒にどこかへ行っていたなどと噂を流されたら……そう思うだけでゾッとする。女子の嫉妬ほど怖いものはないのだから。


 少し前に傾けた傘から途切れることなく滴り落ちる雨粒を見るたびに、今日が雨で良かったと、心からそう思った。