「愛花、どうかした?」

 傘の中で軽く息を吐き、気持ちを落ち着かせてから傘と顔を上げた。

「なんでもない。ごめんね。私、思ってることを正直に言えない人間なの。そもそも自分が誰なのかもよく分からないし、井上くんとは違うんだ」

 ぽかんと口を開けて私を見つめる井上くん。気付けば雨の音は聞こえなくなっていた。傘を閉じて空を仰ぐと、所々割れた灰色の雲から夕陽の柱が差している。


「私急いでるから、先に行くね」

「あ、あぁ。じゃー次は週明けの月曜ってことで、大丈夫?」

「うん」

 返事をした私は、バイバイも言わずにその場から走り去った。


 井上くんも駅に向かうのだろうけれど、一緒には行けない。駅まで一緒に行って電車が来るのをホームで待って、つり革に掴まりながら二人で帰るなんて、それこそ誰かに見られたらと思うと怖い。

 本当は急ぐ理由なんかないのに、雨の色に染まったアスファルトを無心に蹴り上げた。


 駅に着いた時には全身にじっとりと汗をかいていて、持っていたタオルで首元を拭きながらホームへ向かう階段を上がった。九月になったのに、暑さはちっともおさまってくれない。雨上がりは湿気が増すから余計に暑く感じられる。

 電車に乗り込むと、周りを包み込む空気が一変する。電車はあまり好きじゃないけど、突然世界が変わったかのようなこの瞬間だけは結構好きだ。汗で湿った体が一瞬にして冷やされると、ドアの手すりに掴まり外を眺めるようにして立った。


 移り変わる外の景色をぼーっと眺めながら、今日の出来事を思い返す。ミサは笑ってくれたし、気にしていない様子だった。だから大丈夫。週が明けてもなにも変わらない。それでも、一抹の不安が頭を過る。

 学校に行った時、もしみんなの私を見る目が変わっていたら。みんなに避けられてしまったら。

 ドアに寄りかかり視線を下げると、最悪な展開だけが浮かぶ。こうなったら嫌だと思うことばかり思いついてしまう。

 友達と上手くやっていけるのなら、本音を隠して嘘をつくことなんでどうってことないけど、自分らしくいられない高校生活は正直つまらなくて、周りに合わせているだけの自分なんていてもいなくても同じだ。


 駅に着いてドアが開くと、全身を包んでいた空気が作られた冷たいものから、本来の生ぬるいものへと変った。

 外に出て歩き始めると、ふとさっきの言葉を思い出す。

『私、思ってることを正直に言えない人間なの。そもそも、自分が誰なのかもよく分からないし。井上くんとは違うんだ』

 そういえば、あれは本音だったな。