それから時間はお昼どきになり、お店は座る席がないほどお客さんがひっきりなしに来た。
やっぱり定番の焼きそばは注文する人が多くて、作ってはまた作りの繰り返し。でもそのおかげでずいぶん上達して、得意料理が焼きそばになりそうなぐらい。
「サユちゃん、野菜まだ足りる?」
「あ、キャベツがヤバいかもです」
「オッケー。すぐに切って持ってくるね」
なんか働いて汗を流すのって気持ちがいい。みんなで一致団結しているような気になって、焼きそばも何皿でも作れちゃいそう。
「あれ、可愛い子がいる」
そう思った矢先に、鉄板の前にふたつの影。顔を上げると、そこには海ぱん姿の男の人が立っていた。
「もしかして女子高生?」
「焼きそばふたつ作ってよ」
たぶん大学生かもう少し上。肌はこんがりと小麦色に焼けていて、どうみても軽そうな感じ。
私をなめ回すように見てくる視線が気持ち悪くて、心臓が一気に速くなる。それでも他の人たちは忙しそうだし、迷惑はかけられないと、私は声を絞り出した。
「……か、買うならあちらのレジでお願いします」
たぶん声は届いた。雑音の店内でもまあまあ大きな声で言えたはず。
「えー俺らきみから直接買いたいんだけど」
「そうそう。俺たちのために愛情こめて焼きそば焼いてよ」
その言葉にぞわっと寒気が。そんなやり取りをしている間に鉄板の上にあった焼きそばが焦げてしまい、「あーあ」と、男たちに笑われる。
「もしかして声かけられて動揺しちゃった?彼氏いないの?ってかあんまり男に慣れてない感じ?」
ペラペラと止まることのない口。
「そういう経験がない子って新鮮でいいかも。焼きそばなんて焼いてないで海で遊ぼうよ」と、ひとりの男の手が私に伸びてくる。
フラッシュバックしたように恐怖心が蘇り、ビクッと泣きそうになっていると……。
「コイツに触るな」
私の腕を掴もうとする男よりも先にヒロが男の手を制止する。
「なんだよ、お前」
威勢よく男たちはヒロを睨んだけれど、自分たちより大きな身長と威圧感のあるヒロのオーラに「う……」と、怯んだ。
「焼きそばがほしいならレジに行ってください。もしこれ以上コイツにちょっかい出すなら無理やり追い出す」
ギロリとヒロが鋭い目つきをすると、男たちは徐々に後退り。そして「や、焼きそばなんていらねーよ!」と逃げるようにお店を出ていった。
もう男はいないのに、手の震えがおさまらない。
そんな自分を隠すように私はあえて明るい声を出す。
「ありがとうヒロ。あ、でもお客さんふたり帰らせちゃったね。美幸さん怒るかな」
早く止まって。じゃないとヒロに心配かけてしまう。
震える手を見せないように、できもしない作り笑顔を浮かべていると……。
「強がんな」
ヒロが私の手にそっと触れる。
すると、まるで魔法のように震えがピタリと止まった。
他の男は相変わらず怖いのに、どうしてヒロはこんなにも大丈夫なのだろう。
ヒロの暖かさが染み込んでくるように、奪われかけていた体温も徐々に戻ってくる。
「もう少しで休憩だから。それまでブスな顔して焼きそば焼いてろ」
「ブ、ブス?」
聞き返したところでヒロはいたずらっ子みたいに、私のパーカーのフードを頭に被らせた。
「もう男に声かけられんじゃねーぞ」
そう言って忙しい接客に戻っていく。
声をかけられるなって、それは私もヒロに言いたいことなのに。女子の視線をさらうヒロの姿を目で追いながら、自分の気持ちと向き合ってみる。
どうしてヒロに触れられても平気なのか。
どうしてヒロがいると安心するのか。
どうしてヒロのことばかりを考えてしまうのか。
答えはたったの1秒で出た。
私は……ヒロのことが好きだ。
*
「すいません。先にシャワー借りちゃって」
海の家のバイトは海の遊泳時間である5時に合わせて終わった。
それからお店の片付けをみんなでやったあと、日給のお金を茶封筒で美幸さんに手渡されて、私は給料そのものが初めてだったから感激していると……。
『ねえ、サユちゃん。今日うちに泊まらない?』
そう誘われて、こうして現在。美幸さんの家のお風呂まで使わせてもらったのだ。
「いいのよ。焼きそばの油で身体がギトギトだったでしょ?それより今日は本当に助かっちゃった。ありがとうね」
「いえ、こちらこそ楽しかったです!」
でも、まさか美幸さんに家に泊まることになるなんて思ってなかったけど。
美幸さんの自宅は海から車で30分ほどの場所にあって、おしゃれな平屋の一軒家。
目まぐるしく仕事が始まってしまったから美幸さんについての情報はなかったけれど、美幸さんは結婚していて、お腹には6か月になる赤ちゃんがいるそうだ。
仕事の時はエプロンをしていたから分からなかったけど、今は少しふっくらとしたお腹が確認できる。
「でも旦那さんは大丈夫なんですか?」
どうやら今日は会社の事務所に泊まるように連絡したらしい。
「いいの。いたらいたで飯作れ、風呂沸かせってうるさいだけなんだから」
美幸さんと旦那さんは結婚してすでに四年目のようで、やっと授かった赤ちゃんだとエコー写真まで私に見せてくれた。
「可愛いですね!もう顔がこんなにはっきりしてるんですか?」
「今はどの産婦人科も4Dだからね。カラーだし、白黒よりはよく見えるよ」
この小さな命が美幸さんのお腹に入ってるってだけで感動しちゃう。
「やっぱり女の子は反応が違うよね。ヒロなんて写真見せても『宇宙人みてー』しか言わないし」
そんなヒロは今、美幸さん家のリビングのソファーで爆睡中。お泊まりに誘われたのは私だけだったんだけど、帰るの面倒くさいから俺も行くってついてきた。
だけど、海の家で余った食べ物を晩ごはんにして食べたあとは、こうしてスヤスヤと寝息をたてている。
「実は産婦人科はヒロが住んでる街の病院なの。たまに荷物持ちとして付き添ってもらってるんだ」
「そうだったんですか」
だからあの時、ヒロと美幸さんは一緒に歩いてたのか。
「サユちゃんもあの街に住んでるんでしょ?定期検診の時は私も行くから時間が合えばお茶でもしようね」
「は、はい」
お茶はもちろん行く。でもヒロの家に置いてもらってるなんて言えない。
「ヒロは……私生活ではどんな感じなのかな?聞いてもちっとも教えてくれなくて」
美幸さんの声のトーンが変わった気がしたけれど、私は自分が知ってる限りのことを伝える。
「しっかり者だと思います。夏休み中はほぼ毎日バイトしてますけど、疲れてても美幸さんが送ってくれたものを温めて食べてますよ」
私も頂いてしまってるけど、ヒロは食事を抜くことはないし、それなりに身体には気遣ってると思う。
「そっか。ヒロは中学卒業と同時に家を出ちゃったから今でも心配なんだよね。ヒロが寝てるから話せるけど、実はうちの両親とあんまり関係が上手くいってなくて」
そういえばヒロからご両親の話は聞いたことがないし、そもそも私と同じで自分のことは話さない気がする。
「と言ってもヒロの反抗期が続いてるだけなんだけど、全然実家にも顔を見せないの」
「そうだったんですね……」
私が知らなかったヒロの部分。
それを聞いてしまっていいのか分からないけれど、今はヒロのことならなんでも知りたいと思ってる自分がいる。
「中学3年の時にね、卒業したら俺は働く、一人暮らしするから保証人にだけなってくれって私に頭を下げてきたの」
「………」
「私も今は専業主婦になっちゃったけど、当時は正社員で働いてたし、一応ヒロの保護者としては成立しててね。でも保証人になる代わりに高校だけはちゃんと行きなさいって頼んだんだよね。ヒロは真面目に学校に行ってる?」
「行ってると思います」
これも私が知ってる範囲のことだけど、しっかり進級してるということはテストや出席日数をクリアしなきゃいけないわけで。
金髪でバイク通学と、校則に違反することばかりをしてるけど、ヒロの家にはちゃんと晴丘の制服がしわにならないようにハンガーにかけられている。
「でも本当は、保証人はお父さんの名前になってるの。ヒロには内緒ね。どっちも頑固だからそういう男が家族がいると気を遣ってしょうがないよ」と、美幸さんは困ったように笑った。
もしかしたら自分から頼めないヒロの代わりに美幸さんが裏でご両親にお願いしたのかもしれない。
「なのにバイトで稼いだお金はほとんど実家に仕送りしてるみたいだし、ヒロもヒロなりに両親の気持ちは分かってると思うけど、それでも消化しきれない部分がずっと消えないままなのね」
最後の言葉は私にというより、ソファーで寝ているヒロに向けて美幸さんは言っていた。
ヒロの消化しきれない部分とは、一体なんだろう。
とても暖かそうな家族なのに、どうしてヒロはそんなにも早く家を出たかったのかな。
自立したかった?大人になりたかった?
その答えはたぶん、ヒロにしか分からない。
私がそんなことを考えてる中、美幸さんが急にお母さんの顔つきになりながら自分のお腹を優しく撫ではじめた。
「だけど私もその血を引き継いでるから、きっとこの子もヒロみたいな性格に育っちゃうと思うけど」
「男の子なんですか?」
「うん。あ、これも内緒ね。旦那にもまだ言ってないことだから」
……そっか。男の子なんだ。ヒロみたいな子だったら手は焼くかもしれないけど、きっときっと優しい子に育つはず。
無事に産まれたら抱っこさせてほしいな。
そのあとは他愛ない雑談をして、美幸さんは美味しいアイスミルクティーを作ってくれた。エアコンが効いた部屋でリラックスしていると……。
「サユちゃん。これ見る?」と、美幸さんが別の部屋から水色のアルバムを持ってきてくれた。表紙には名前シールで【ヒロ】と書かれてある。
「見ます……!」
私は即答だった。
写真が整理されたアルバムにはヒロの小学生から中学生までの記録が映っていて、顔は幼いけど小学生からヒロはあまり変わってない。
しかも中学生の時なんて晴丘の制服とは違って学ランで、この頃から相当女子にはモテたはず。髪の毛は黒髪だけど、その代わりとても派手なオレンジ色の髪色をした人物が隣に……。
「え、これ奏介くんですか?」
リーゼントのように髪を固めて、おまけに眉毛はほとんどない。怖いというか、荒れている。ものすごく。
「ああ、そうそう。アイツ本当どうしようもない不良だったの。奏介の影響でヒロもバイク覚えちゃったし、ヒロの素行が悪くなったのは半分奏介のせいだと思ってるから」
美幸さんは呆れた顔をしていた。
奏介くんが前にヒロとのエピソードを話してくれた時、『自分から喧嘩を吹っ掛けた』『それなりに俺は喧嘩が強かった』なんて言ってて私はあんまり信じてなかったけど、どうやら本当のことだったようだ。