──久人はね、自分がないんだよ。


まさしくだ。彼は自分を、高塚家の共有物のようなものだと思っている。だからプライバシーをどう扱われようが、逐一観察されていようが、気にならないのだ。


「だから、『桃でよかったよ』…」


独り言が漏れた。

家柄も保証され、後ろ指さされるような経歴もない。老獪な親族たちが手ぐすね引いて待っている場所に、高塚家当主の子息として乗り込む久人さんにとってみれば、私は最適な結婚相手だったのだ。

べつに、卑屈になっているわけじゃないけれど。

その完璧なまでの打算と、私に向けている本物の愛情を、自分の中に共存させてしまえるのが久人さんなのだ。だけどそんなの、必ずどこかに無理が出る。

そのひずみのひとつが、あの思考停止なんだろう。


「桃子さん」


親しみを込めた呼び声に、私は顔を上げた。


「はい」

「あなたは高塚さんの選択に、納得できていますか?」


あれ…。

私は答えられず、同時に、あることに気づいて驚いた。

次原さんも、久人さんに欠けているものがあることを、知っている…?


「あの…えっと、私の納得は、彼の決断には関係ないので…」

「その台詞、まるで高塚さんですよ」

「えっ…」


眼鏡の奥で、知的な瞳が苦笑する。


「『行きたいとか行きたくないとか、そういう問題じゃないんだよね』と言いませんか、あの人? 僕には言います」

「あっ、私にも言います」

「どうしてあの人は、あんな自信満々なくせに、不安そうなんでしょうね」