そもそも私たちが、入籍までしておきながらなぜこれまでなにもしていなかったのかといえば。

"だっていずれ一緒に暮らすし"

これに尽きる。

久人さんの考えを聞いたことはないけれど、たぶん同じ。

デートを重ね、気持ちを膨ませ…という段階を踏まずに結婚した私たちには、さてじゃあいよいよ、みたいなきっかけやタイミングが、一切なかった。

だって必要なかったから。

必要なかったから…。




「緊張しすぎでしょ」

「しますよ…」


久人さんの住まいは、会社からタクシーで10分ほどの場所にあるマンションだった。

近くには芸能事務所なんかがあり、都心の喧騒からは少し外れた、だけど便利な場所。いかにも彼が選びそうな立地だ。

十階建てほどのきれいなマンションは、外装がセメントむき出しで、一見デザイナーズマンションかと思った。だけど中を見たら、住みやすさはまったく犠牲になっていなかったので、違うのかもしれない。

最上階の1LDK。あれだけバリバリ仕事をしている人にしては、簡素すぎると感じるほどシンプルな部屋に彼は住んでいた。


「あ、しまった。コンビニ寄ってくればよかったね」


寝室兼書斎の個室で、上着を脱ぎながら久人さんが言った。


「コンビニですか」

「歯ブラシとか、下着とかさ。あったほうがいいでしょ」


ベストを脱ぎ、ネクタイを緩める。

ワイシャツのボタンに手がかかったとき、これ、このまま見ていていいのかな、と急に焦った。だけど部屋の主がここにいるのに、私がほかの場所にいるわけにもいかない気が…。


「えっと、歯ブラシはいつも持ってます。下着は…し、下着?」

「シャワー浴びるでしょ?」


久人さんが、ワイシャツをぐいとスラックスから引っ張り出したので、慌てて顔をそむけた。

向こうはなにも気にしていないようで、前をはだけたワイシャツを肩に引っ掛けたまま、クローゼットからなにか出して私に放った。大きなTシャツだ。