「邪険にされたら言いなさいよ」

「大丈夫だって」

「お前の作る飯は食えたもんじゃないとか、洗濯物のたたみ方が違うとか、そういう扱いを受けたら帰ってきなさいよ! 家庭内のモラハラは外に見えにくいんだから。あんたが毅然としてなきゃだめよ」

「大丈夫だってば」

「私、慎吾からあんたのこと預かってるのよ、苦労させたくないのよ〜」


ついに私を抱きしめて泣き出した。ビールグラスが、いつの間にか空だ。酔っぱらってるな、これ。


「新しい家にも、遊びに来てね」

「行く! もう通う!」


さみしいよー、と泣く千晴さんをよしよしとなだめながら、両親が健在だったら、この倍の騒々しさで見送られたのかなあ、なんて想像した。


* * *


さて。

私には結婚が決まった半年前から、粛々と進めていた自分的プロジェクトがある。

転職だ。

前述した理由で住処を選べなかった私は、郊外にある職場への通勤に片道二時間弱を費やしていた。そして久人さんの勤務先を考慮すれば、新居もこれまで以上に職場に近づかないことはわかっていた。

職場を変えよう。

これまでは自分だけの生活だったので、往復三時間半を毎日電車の中で過ごすことも苦じゃなかった。けれどこれからは、きっと久人さんとの時間を大事にしたくなる。

というわけで職場には早めに退職の意を伝え、結婚準備のかたわら転職エージェンシーのいくつかに登録し、場所、条件共に理想の転職先を探していた。

そして見つかったのだ!


千晴さんに泣かれた翌朝、初出勤となる私は、感じよく見えそうな明るいベージュのスーツに身を包み、真夏の都心を目指すビルに向かって歩いていた。

以前の通勤は、不便な代わりにラッシュとも無縁だった。さすが都心の通勤時間帯、電車の中も駅も駅を出てからも、一心不乱に目的地を目指す人で溢れかえっている。