「そこで戻れば、必ず次の世代でも跡目争いが起こる。子供をそういうことに巻き込みたくなかった」

「お義父さまと、同じ派閥の親族が怒ってね、それからの争いは長かったわ。私たちは何度も引っ越して、ついに居場所を突き止められ、子供を取り上げられてしまったの。四歳になる直前だった」

「なぜ、子供を…?」


久人さんの問いに、ふたりは首を振った。


「私をこらしめるためか、子供がいなければ戻ってこられるだろうと言いたかったのか…それを知る前に、父は急死してしまった。和解もできなかった」


そこで一息つき、コーヒーを飲むと、お義父さまは少し声を強くした。


「私は否応なしに当主を継ぐことになった。それからの数年は、記憶がないほど忙しない日々だ。今の会社に入り、一から勉強し、成果を上げ、小うるさい目付け役たちを黙らせなければいけなかった。あっという間に五年が経ち、私たちの生活はようやく落ち着いた。そこで気づいた。なにも持っていないことに」


そこで言葉は途切れた。私も久人さんも、相づちすら打てずに待った。このあとに語られるのが、久人さんとの出会いだとわかっていたからだ。

長い沈黙が下り、私はコーヒーをいれ直して空気を変えたほうがいい気がした。席を立とうとした瞬間、お義父さまが口を開いた。


「私は後継者が欲しいと思った」


誰も、なにも言わなかった。彼が久人さんに、ちらっと視線を向ける。


「矛盾していると思うだろう」

「いえ、あの…」


久人さんは迷った末、「はい」と正直に答えた。お義父さまが微笑む。


「同じことが繰り返されるのは、もう嫌だったんだ。後継者を育て、守り、誰もが認める中ですべてを継承してやりたい。盲目的に世襲が行われ、値踏みの視線の中で生きなければいけない、この因習を打破したい。それができてこそ、自分のそれまでの人生にも意味があったといえる。そう考えた」


彼はひとつうなずき、目を伏せた。