樹生さんがなぜ突然この会社に来たか、理由に思い至らないはずはない。それでも謝るでもなく、自分は大丈夫だと主張するでもなく、歓待もしないけれど追い返しもしない。これがこのふたりの距離感なんだろうと、うらやましくなった。


「高塚さん、それキャリアの件でしょ? 僕も行きますよ」


閉まりかけたドアを再び開け、次原さんも出ていった。なぜか樹生さんもその後を追おうとしたので、どこへ行くつもりかと思ったら、彼は廊下を確認しただけで、そっとドアを閉めて戻ってきた。

手に持っている携帯が震えている。


「はい」


出ながら私に目配せをくれた。それでわかった、お義父さまとの面会の件だ。


「なんだって? どこに? ふたりとも?」


彼が険しい声を出した。雲行きが怪しいみたいだ。

少しの間、相手の声に耳を澄ましてから、「わかった」と彼は電話を切った。ふうと息をついて、私を見る。


「伯父さんのプライベートの秘書からなんだけどね。今週か来週あたりで時間をくれっていう話をしたんだけど、伯母さんとふたりで、本州を離れてるらしい」

「え…ご旅行ですか?」


そんな予定、あっただろうか。

久人さんたち家族は、互いのスケジュールをよく把握している。そんな大きな旅であれば、私の耳に入っていてもおかしくないのに。

樹生さんは、ソファの背に腰を下ろし、首を振った。


「息子に会いに行ってるみたいだ」

「え…」

「"本物の"ね。どうやら北海道にいるらしいよ。行ってすぐ会って、てわけにもいかないから、しばらく滞在して、時間をかけてるみたいだな」


そんな…。

探し当てて、さらに会いに行くほどの思い入れなの。そりゃ、会うために探していたんだと言われたら、そうだけれど。

でも、じゃあ、なんのために会うの。

久人さんは、どうなるの…。

そのとき、ノックもなくドアが開いた。樹生さんが弾かれたように立ち上がって、振り返る。その顔が蒼白になった。


「久人…!」


久人さんは静かな目つきで、私と樹生さんを見つめていた。