私は玄関へ向かった。足音を忍ばせて、そっとドアを押し開ける。

そこには、久人さんが立っていた。


「久人さん…」


私を見るなり、彼の瞳が揺れる。顔に浮かぶ、慙愧の念。

ドアを開けようとしていた様子がない。自宅の玄関の前で、ただ立ちすくんでいたのかと思うと、胸が痛んだ。

私はドアをいっぱいに開けた。


「お帰りなさい」


久人さんの足は動かない。スーツは着ているものの、ネクタイはどこかへ行っている。なにも持たず、空の両手を身体の横に垂らしている。

なにか言いたそうに、その目が私を見た。

唇が動く。


「ごめんね、桃」


消え入るような声だった。

彼が抱えたまま出せずにいる涙が、私のほうへ移ってきたみたいに、目の奥が熱くなった。口を開いたら泣きそうで、私は黙って首を横に振った。

ためらったまま、なかなか戸口をくぐらない久人さんに、両手を広げてみせる。しばらくそれを見つめていた彼は、やがて、やっと一歩踏み出し、私を抱きしめた。ドアが彼のうしろで、ゆっくりと閉まった。


「桃、ごめん…ごめん」

「大丈夫です」

「怖かったよね…」


ずっと屋外にいたのかもしれない。久人さんの背中は、薄手のスーツの上からでもわかるほど汗ばんでいる。

行き場所もなく、帰れもせず、こんな時間まで。

ひとりで、なにを考えていたんだろう。

桃、と小さな声で何度も呼んで、久人さんは私をきつく抱きしめ、肩に顔を埋めた。頭をなでて、ごめん、と絞り出すようにささやく。


「怖くなかったですよ」

「嘘だよ、だって桃、経験もないのに」

「久人さんですから、怖くはなかったです」


彼の胸に顔をすりつけると、私を抱く腕の力が強まった。