「千晴さん…、久人さんを責めないでほしいの」

「責めないわ」


えっ。

千晴さんの、私への保護者的な愛情と正義感は、久人さんを許さないに違いないと確信していた私は、拍子抜けした。


「本当?」

「うん。べつに、あんたが責めるなって言ったから、ってわけじゃなくてね」


仕事帰りなんだろう、きれいなフレンチスリーブのブラウスと、タイトなスカート。千晴さんは両ひざに手を置き、まじめな話をするときよくやるように、「桃子」と静かに呼んだ。


「はい」

「私もね、そんなに長い期間じゃなかったけど、夫婦生活ってものを送ったからわかる。夫婦の間のことはね、他人にはわからないのよ、絶対に」


私は黙って、続きを待った。千晴さんが少し目を伏せ、ふうと息をつく。


「お互いにしか見せない顔を、妻も夫も必ず持ってるものよ。親にも子にも、友達にも見せない、伴侶にだけ見せる顔が、夫婦をやってると、できてくるの」


言いながら、首のうしろをぱりぱりとかく。真剣な話をしすぎて、少し照れくさくなったときの、彼女のくせだ。


「夫婦間の約束事も、傍から見ればおかしなものだったりする。けどね、ふたりが幸せなら、それでいいのよ。外野が口出すことじゃない」

「はい」

「だから今回も、私はなにも言わないわ。あんたを見るかぎり、久人さんに怯えている様子もないし。それがあったら話は別なんだけど」

「久人さんを怖いと思ったことなんて、一度もないよ」


千晴さんは、わかってると言うように微笑んだ。


「逆に言えばね、夫婦の関係に、お手本なんてないのよ。ふたりで、自分たちが幸せであるように、決め事をつくって暮らすの。それが夫婦」

「うん…」

「桃子にしかできないんだよ。ほかの誰も見たことのない久人さんの顔を、見てあげるの。見せていいんですよって旦那様にわからせてあげるの」