「ねえ、あのさ」

壷井さんが顔を上げる。細い指先で黒くて真っ直ぐな髪を耳にかけると、普段は日の光を浴びない壷井さんのかたちの良い耳たぶが姿を見せる。

「壷井さん、髪、結ばないの?邪魔じゃないの?」

どうでもいいこと言っちゃったな、とちょっとだけ後悔する。せっかく綺麗な輪郭なのに。ばさっとおろしてたら余計に暗い性格に見えるじゃん?
とまでは言わなかったけど、これだけでも既にかなりお節介だと思う。

「わざとなの」

「え?」

「ひとりになりたいとき、こうすると壁になるから」

壷井さんはそう言って、耳にかけていた髪を元に戻して下を向く。
そうすると、黒くて艶のある壁に阻まれて壷井さんの表情がまたわからなくなった。目の前にできた壁は、さりげなく俺を拒絶している。

話しかけないでってことね。上等じゃん。

「…へえ便利。俺も欲しいなー、その壁」

ちょっと嫌味っぽかったかな。だけどこれは別に嘘なんかじゃない。

「水嶋くんには、必要ないでしょ?」

壷井さんが冷めた口調で言ったけど、だけどそれは、実は違う。俺にだって壁が必要なときがある。

「俺もたまにひとりになりたいとき、あるけど」

「そうなの?そうは見えないよ」

「そう見えないように、気をつけてるから」

「……ふうん。水嶋くんも意外と大変なんだ」

「大変なんだよ、これでも」

俺がぼそっと答えると、壷井さんは少し笑った。
彼女が笑う顔なんて初めて見たような気がして、ほんの少しどきっとした。

ほんの少し。