「ずっとふたりぼっちで、お母さんが仕事で遅いときは、わたしはひとりぼっちだった。お母さんも、きっと、ずっとさみしかったんだと思うの。ひとりで子どもを育てるのは、きっと、大変だっただろうと思う」

噛み締めるように、どちらかというと自分自身にそう言い聞かせるように彼女はいった。
俺のときもそうだった。母親が再婚しようとしたときに、俺も自分にそうやって言い聞かせることで納得しようとしていたから。結局、気の強い性格の俺の母親は相手と上手くいかなくなって、再婚話はなくなったのだけど。

「とってもいい人なんだ、おとうさん」

『おとうさん』という単語を、彼女はとても丁寧に発音する。
まるで、母国語以外の言葉を話しているみたいに。

「お母さんだけじゃなく、わたしのこともすごく大切に思ってくれているのがわかる。小学校の先生でね、とっても優しくて思いやりのある人なの」

彼女は、俺のほうを見なかった。再び歩き出した彼女はまっすぐに前を見詰めている。

「二年の授業が終わったら、わたしとお母さんとで、おとうさんのいま住んでいる所に引っ越します。ごめんなさい。ずっと黙っていたこと、悪かったと思ってる。何度も話そうと思ったんだけど、言えなかった」

彼女はやっぱり俺を見ない。
お母さんと、新しい『おとうさん』との未来を見詰めている。そんな感じがした。

「隠し事って、そのこと?」

「うん」

「引っ越すって、どこ?まさか沖縄とか北海道とか、ってわけじゃないだろ」

俺は、必死だったと思う。
引っ越して、転校するくらいで別れなきゃならないって理由にはならないよな?
そう言いたかったんだと思う。

「外国なんだ。シンガポール」

そういって、彼女はどこか遠い空を見上げていた。