壷井さんが好きだと言った映画の主人公は、カクレクマノミという小さな魚だ。
オレンジに白の模様が可愛らしくて、映画の公開以降は人気が急上昇。今じゃ水族館にもカクレクマノミのコーナーが設けられていたりするほどだ。

海に棲む魚、いわゆる海水魚を飼育するのはアクアリスト初心者にとってのちょっとした夢で、淡水魚の水槽は大小合わせて四つ持っている俺でも海水魚には一度も手を出したことがない。
手を出したくても出せない理由は、なんといってもコストの面が一番大きい。

一度水槽の立ち上げに成功すれば、意外なほど維持費がかからない淡水魚のアクアリウムに比べると、水替えの度に人口にしろ天然にしろそもそも海水から準備しなければならない海水魚のアクアリウムは恐ろしくコストと手間がかかる。もちろん海水以外にも、サンゴやバクテリアの棲むライブロック、水温を保つヒーターやクーラーなど、とにかく必要なものが山ほどある。
LEDライトで照らした海水魚の美しさは、それでも欲しいと思わせるほど魅力的なことは間違いないけれど。

『はい、アクアショップ・タートルでーす』

あまり歯切れのよくない独特の声。ちょっとだらしないイメージになるので語尾は伸ばさないほうがいいっすよ、と俺も何度か注意してみたことがある。まあでも、そんなところもひっくるめてこの人らしい。

「あ、もしもし、亀田さん?あ、えと、今日、なんですけど、ちょっと連れて行きたい人がいるんですけどいいっすか?」

そこまで言うと、電話の向こうで亀田さんがふふんと笑ったのがわかった。昼休みの中庭は気持ちがいい。俺は携帯を片手に、たまたまあいていたベンチでスコールを飲んでいる。うちの学校は、授業中以外は携帯の使用が許可されている。だから休憩時間になるとみんな、堂々とスマホを片手に飯を食ったり友達と喋ったりしている。