そういえばあたしは人生で初めて告白なんてものをされたんだった、と不意に思い出して、あたしはまごついてしまう。
それを見て、犬飼くんがくふふと笑った。
「やっぱり、夏木さんってシャイで照れ屋だねー。告白されて動揺するのとか、なんか可愛くてキュンとしちゃうよ」
…………なんとまぁ、犬飼くん、意外にもタラシか!?
タラシなのか!?
あぁ、顔が熱いっ!!
「ねぇ、ミケランジェロもそう思うだろ?」
犬飼くんが猫に頬ずりしながら言う。
「は? み、ミケランジェロ?」
「三毛だからミケランジェロ〜♪」
「あっそ………」
なんだか気が抜けて、あたしはぷっと噴き出した。
「あの、さ………」
犬飼くんが改まった表情であたしに向き直る。
いきなり真剣な顔をされて、あたしは思わずどきりとした。
「―――俺、このクラスになってから、ずっと夏木さんのこと好きだったんだけど。付き合ってくれますか?」
「………う、あぅ、えーと、その話はおいおい………」
間の抜けた返事をして、あたしは脱兎のごとく校舎へと駆け出した。
「あっ、待ってよ夏木さん!!」
追いかけてくる犬飼くんの足音を聞きながら、まあ悪くないかもしれない、なんてあたしは考えていた。
砂埃の舞うグランドの真ん中を突っ走るあたしと犬飼くんの上で、太陽がさんさんと輝いている。
『犬飼くんが見てる(恐)』
完
『夏木さんが見てる(照)』
*
古典の時間。
雑学大好きな三木先生は、いつもはっと驚くような話をしてくれる。
「この歌の真意を理解するには、平安時代の人々が夢のことをどう考えていたのかを知る必要があります」
先生がそう言って、黒板に『夢についての考え方』と書いた瞬間。
俺の真後ろで、かりかりとペンを走らせる音がした。
ーーー夏木さん。
どうやら、メモをとることにしたらしい。
前に座っているので、目で見ているわけじゃないけど。
夏木さんは、あんまりノートをとるのは好きじゃないみたいだ。
みんなが一生懸命ノートをとっているときに、夏木さんだけが動きを止めていることがよくある。
そのことは、音というか、気配で、なんとなく分かるのだ。
授業中、俺はいつも全神経を背中に集めて、夏木さんの気配をうかがっている。
「というわけで、この歌の意味は、自分の夢に好きな人が出てきたから、その人も自分のことを想ってくれていて、それで夢の中まで会いに来てくれたんだって喜んでいるんですね。
それまでは、夢なんてそんなに信じていなかったけど、………好きな人に夢で会えることを楽しみに待つようになった………そういう歌なんです」
先生はそう言って、夢の話を締めくくった。
俺は頬杖をついて窓の外を見る。
今日は天気がいい。
真っ青な空が窓枠いっぱいに広がっている。
ぷかぷか浮かんでいる真っ白な雲が、ゆったりと流れていく。
でも、きれいな青空よりも、俺の心を支配しているもの。
それは、夏木さんだ。
―――なんでって?
だって俺はゆうべ、夏木さんの夢を見たから。
俺の夢に夏木さんが出てきたから。
どんな夢かというと。
俺は校舎の屋上で空を見上げていて。
すると、背後に気配を感じて。
振り向いたら、夏木さんが立っていて。
それだけ。
夏木さんも俺も、なにも言わなかった。
ただ、見つめ合うだけ。
そんな夢。
目が覚めて、俺は、「なんでこんな不思議な夢を見たんだろう」と思った。
けど、よく分からなかった。
んだけど。
いま、先生の話を聞いて、分かってしまったのだ。
目から鱗。
―――俺は、夏木さんが、好きなんだ。
そっか、そうなのか。
くふふ、やっと謎が解けた。
とてもすっきりした気分だ。
数学のテスト中に、考えても考えても分からなかった問題で、いきなり解法がひらめいて、すらすら解けちゃった。
みたいな気分だ。
俺は嬉しさのためにこみあげる笑いをなんとか抑えながら、くるりと後ろを振り向いて、
「ねぇねぇ、夏木さん」
と、愛しの夏木さんに声をかけた。
教科書を閉じて机の中に入れようとしていた夏木さんが、ふい、と目を上げて、「なに?」というように眉を上げてじっと俺のほうを見た。
俺が話しかけると、いつも夏木さんはこの表情をする。
俺の話をちゃんと聞いてくれようとしているのが伝わってきて、俺は嬉しくなる。
だから、夏木さんのこと、好きなんだ。
「今さ、最後の夢の話、聞いてた?」
と俺が訊ねると、夏木さんは「え? あ、うん」と頷いた。
よかった、やっぱりちゃんと聞いてたんだ。
だったら、
俺は、君の姿を夢に見るくらい、君のことが好きなんだ。
……って言えば、きっと俺の想いの深さが伝わるだろう。
とは思ったものの。
「君が好き」という一言を口に出すことは、思った以上にハードルが高くて。
「昨日さあ……俺の夢に、夏木さん出てきたんだ」
俺がなんとか口に出せたのは、こんな中途半端な言葉だけだった。
なんの報告だよ………。
しかも、照れ笑いが勝手に湧きでてしまって。
なんとも情けない告白になってしまった……。
もっと計画を練ってから告白すればよかったな、なんて思いながら、ちらりと夏木さんを見ると。
「……………は?」
夏木さんは、これでもかというほど呆然とした表情をしていた。
それを見て、俺ははっと気づく。
そうか、そりゃあ驚くよね。
今までただのクラスメイト、席が近くてときどき会話する、それだけの存在だった俺が、いきなり告白するなんて。
しかも、夢に見るほど強く夏木さんのことを好きだなんて。
驚くのも仕方がない。
夏木さんはしばらくの間、なにも答えずに硬直していた。
なにか考えているらしい。
夏木さんは、女子にしてはあんまり口数が多いほうではない。
黙っていろいろ考えているタイプだ。
そういうところも、控えめで落ち着いていて魅力的だなあ。
………なんて考えていると。
「あっ、あはは~。へえ、そんなんだ~あはっ、あははっ」
突然、夏木さんが笑い出した。
それを見て、俺はほっと安堵する。
すぐに即答で断られたりしたらショックだなぁ、って思ってたから。
嬉しくなって、俺は思いの丈をもっとぶつけることにした。
「俺、なんで夏木さんの夢なんか見たんだろうって、すごく不思議に思ったんだけど。先生の話きいて、納得しちゃった〜」
俺がそう言った瞬間、夏木さんの顔が、笑みを浮かべたまま固まった。
きっと、びっくりして、照れくさくなっちゃったんだな。
そんなことを思っていると、夏木さんはがばっと立ち上がり、
「不思議なこともあるもんだね~」
と言いながら、すたこらさっさと立ち去っていった。
………うーん、照れ屋さんだな。
そういうところも素敵だし、いいなぁ。
でも、不思議なんかじゃないのに。
俺が夏木さんに恋していて、夢にまで見るのは、不思議なんかじゃない。
むしろ、夏木さんみたいに優しくて話しやすくて笑顔が素敵な女の子、好きにならないほうがおかしいよ。うん。
もっと自信をもって、夏木さん!
*
「あれ〜? 消しゴム忘れちゃった〜」
俺が勇気をふりしぼって夏木さんに告白してから一日。
夏木さんは恥ずかしさからか、何も言わずに俺の後ろの席に座った。
そして、こんなことを言ったのである。
たいへんだ、消しゴムがないと夏木さんは困るだろう。
俺の筆箱には、たまたま二つの消しゴムが入っていた。
神様、ありがとう………!
俺はきれいなほうの消しゴムをつかみ、夏木さんを振り返ろうとした。
んだけど。
「消しゴム貸して!」
夏木さんがそう言って手を差し出した先は、俺ではなく原田の席だった。
くふふ、夏木さんったら。
ほんとに照れ屋さんだなぁ。
俺に直接「貸して」と言うのが恥ずかしくて、わざと隣の原田に頼んだのだろう。
でも、そこは俺が察して、気をきかせてあげなくちゃ!
「夏木さん、俺の消しゴム使っていいよ」
俺はドキドキしながらもできるだけにっこりと笑って、夏木さんに消しゴムを差し出した。
「俺ふたつ持ってるから、今日一日貸してあげるよ」
気をつかわせないように、フォローも入れつつ、ね。
「ありがと! 犬飼くん」
夏木さんがなぜか少し困ったような笑顔を浮かべて、俺の消しゴムを受け取った。
そうか………。
俺と夏木さんのことが、まわりに気づかれちゃうんじゃないかって、どきどきしてるんだな。
だからさっきも、俺に直接貸してと言えずに、間接的に思いを伝えてきたんだ。
俺としては、べつに皆にばれちゃっても構わないんだけど。
控えめな夏木さんには、ちょっと恥ずかすぎるのかも。
「夏木さんってシャイだよね……」
そういうとこがかわいいなぁ、と思いながら言うと、夏木さんは複雑な表情でぱっと俯き、俺の消しゴムでノートの文字を消しはじめた。
俺の顔が直視できないんだね。
ほんと、シャイで照れ屋でかわいいなぁ。
くふふ。
*
「えぇっ、あたしの好きな人〜? えーっとねぇ………」
真後ろで夏木さんが、仲良しの吉村さんと会話をしている。
もちろん、俺の耳にもその内容は聞こえてくる。
どうやら二人は、お互いの「好きな人」について話しているらしい。
名前は出さず、どんな性格か、どんなところが好きなのか、などのヒントを出し合っている。
いかにも女の子どうしらしい会話で、微笑ましいなぁ、なんて俺は思った。
夏木さんの番になり、俺の心臓がどきどきしはじめる。
いったい夏木さんは、どんな話をするのだろう?
夏木さんの好きな人って………?
「頭が良くてー、スポーツも得意でー、顔もなかなかでー、性格も落ち着いてて人当たりがよくてー……」
………あれ?
これって、これって、俺のことかな、やっぱり……。
俺は成績も中の上から上の下ってとこで、まあまあだ(と思う)。
スポーツも、運動音痴ってほどじゃないし、一度だけ50m走で6秒台を出したことがあった。
顔は、ちょっと自分ではよく分からないな……(照)。
性格については、小学校の通知表では「落ち着きがあり、誰とでも仲良くできる」と書かれるのが定番だった。
ああ、どきどきマックス!
夏木さん、やっぱり俺のこと……?
だって、わざと俺に聞こえるように言ってる気がするし。
もしかしてだけど、シャイな夏木さんなりに、俺に想いをアピールしてるんじゃないの〜!?
嬉しさのあまり、俺はうふふと込みあげてくる笑いをこらえきれないまま、
「………最近さ。俺たち、なんか距離が縮まったよね……」
なんてことを夏木さんに言ってしまった。
ああ、俺ってば、なんて恥じらいのない……夏木さんを見習わなきゃ。
でもほら、『思い立ったが吉日』なんて言うじゃないか。
あわよくば、このままの勢いで、ぜひにも夏木さんと………なんて考えてしまうわけで。
俺の言葉に、夏木さんはびくりと肩を震わせ、ゆっくりと瞬きを繰り返した。
きっと、周りに聞かれちゃったんじゃないかって、どぎまぎしているに違いない。
本当に、奥ゆかしい人だなあ。
俺はにっこりと笑いかけて、前に向き直った。
その日以降の夏木さんの行動も、俺に対する想いについての確信を深めるには充分だった。
朝登校してくると、夏木さんは必ず俺に、「おはよ」と声をかけてくれるし。
それなのに、廊下ですれちがったりすると、恥ずかしそうに顔を俯けるし(照れ屋さんだなぁ、ほんとに)。
昨日なんて、授業中に思わずうとうとしてしまっていたら、後ろから俺の椅子を蹴って起こしてくれたし(優しいなぁ)。
そういう夏木さんの全ての行動が嬉しくて、俺はことあるごとに振り向いて話しかけてしまう。
ああ、なんだか最近、学校が楽しくてしかたがない。
今日も夏木さんに会える、今日も夏木さんとお話できる。
幸せだなあ。
でも、夏木さんはいつになったら、俺の告白に返事をくれるんだろう?
まあ、恥ずかしがり屋さんだから、なかなか言い出せないのかな。
もうしばらくしたら、俺から声をかけてみよう。