ぽかんとして見ているうちに、犬飼くんはなぜか、ふらふらと校門の外を通り抜けていく。
「―――先生、ちょっと出かけてきます!」
我ながら間抜けな一言を残し、あたしはみんなの視線を一身に集めながら、教室の後ろを横切って廊下に飛び出した。
そのままの勢いで、校舎も飛び出す。
グランドを全速力で駆け抜け、校門を通り抜けて外に出た。
学校の前の大きな幹線道路。
車がびゅんびゅんと通り過ぎていく。
犬飼くんは………?
まさか、車に――――
「んみゃあ」
…………ん?
場違いな声と、足元をかすっていく柔らかい感覚に、あたしはぱっと視線を落とした。
そこには、一匹の三毛猫。
「………なんだ、あんたが鳴いたのか」
「みゃーぉ」
…………ん?
なんだ、やけに低い鳴き声だなあ。
ってか、あれ?
この猫とは反対側から鳴き声が聞こえたような………。
反射的に振り向くと。
「みゃお、夏木さん」
歩道のど真ん中に座り込んであたしを見上げている学ランが。
「………えっ、犬飼くん!?」
「みゃっほー」
犬飼くんは、『やっほー』というように軽く片手を挙げて立ち上がった。
「…………ななななにしてんのこんなとこで!?」
あたしが戸惑いながら訊ねると、ぱっと走り出した三毛猫をがしっと捕まえた犬飼くんが、へらりと笑った。
「やっと捕まえた〜♪」
くふふと笑い声を洩らしながら、犬飼くんは三毛猫に頬ずりをする。
「いやぁ、朝くる途中にこの猫見かけてね、めっちゃ可愛いからちょっとひと撫でしようと思ったんだけど、こいつすばしっこくて」
「はぁ………」
「悔しいから絶対なでてやるーって追いかけてたら、こんなとこまで追いかけっこしちゃったよー」
「………はぁ」
にへにへ笑いながら三毛猫と戯れる犬飼くん。
なんだか拍子抜けだ。
慌てて走ってきて損した気分………。
「ってか、夏木さんこそ、こんなとこで何してんの? いま、授業中でしょ?」
きょとんとした顔で訊ねてくる犬飼くんの表情に、あたしはぐったりと項垂れた。
「………犬飼くんが、勘違いに気づいて、変な気起こしたんじゃないかと思って、慌てて出てきたんじゃん! それなのに、もー、なんなのよ!!」
あたしはムカついて犬飼くんの背中をばしっと叩いた。
犬飼くんは「いてて」と目を丸くしてから、
「………か、勘違いって?」
首を傾げて訊いてくる。
「………だから〜。実はあたしがサトシと付き合ってて、犬飼くんのことなんか好きじゃないって………」
「えっ!?」
あたしの言葉に、犬飼くんが大げさなほど仰け反った。
「うそ、それ、勘違いなの!? 俺、てっきり本当に夏木さんはサトシくんのこと好きなんだと思ってた!!」
「………ん? は?」
「なんだぁ、そうなんだ!! よかったあ、俺かなりショック受けたのに、なぁんだ俺の勘違いだったかぁ」
「………え? ちょ、ちょっと………」
なんかおかしいぞ、なんか変だぞ。
なんか噛み合ってなくないか? あたしたちの会話。
あたしが状況を把握できずにまごまごしていると、犬飼くんは何かに気づいたようにはっと顔を上げた。
「………えっ。も、もしかして、もしかしてだけど、まさか、まさか、夏木さんも俺のこと好きなの………?」
「…………はぁっ!?」
あたしの素っ頓狂な叫びが、真っ青な空の下に響き渡った。
あたしの驚愕をよそに、犬飼くんは、ぽっと赤くしながら、三毛猫をぎゅうぎゅう抱きしめる。
「なんだー、そうなの? 俺、勇気だして思い切って告白したのに、夏木さん変な顔して何も言ってくれなかったからさぁ、俺てっきり、やっぱ脈ないのかなぁ、なんてへこんでたのに」
「………ちょっとちょっと、待ってよ犬飼くん。あなたがいつ私に告白しました?」
あたしが冷や汗を垂らしながら確認するように言うと、犬飼くんは驚いたように目を見開いた。
「えっ、だから先週、古典で夢の話が出たときに………」
「うんうん」
「俺の夢に夏木さん出てきたって」
「うん、言ってたね………ってちょお待って、それが告白!?」
「そうだよ!」
「待って待って待って、少し話を整理しよう!」
*
犬飼くんからじっくり事情聴取をした結果。
要約すると、こういうことらしい。
犬飼くんが、「俺の夢に夏木さんが出てきた」と言ったのは、現代のほうの夢の考え方をもとにしたもので。
つまり、「俺は夏木さんのことを夢に見るほど夏木さんのことが好きだ」という告白だったのである。
(自分で解説するのめっちゃ恥ずいわ!)
でも、紛らわしい言い方するもんだから。
あたしは勘違いして、「君は俺の夢に会いに来ちゃうくらい俺のこと好きなんでしょ?」という意味のセリフに解釈してしまったと。
………だって、そう思うじゃん!!
読者の皆様だって、そう思いませんでした!?
思ったでしょ!?
しかも変人犬飼くん相手だから、それくらい変なこと言いかねないと思うし!!
………んもー、なんなのよ、悩んで損したじゃん………。
と、ここまで考えて、あたしは急激に、犬飼くんに対して申し訳なくなってきた。
だって、勝手に勘違いして、犬飼くんのことキモいストーカーだと思って、必死であれこれ作戦立てたりして。
もー、情けないやら申し訳ないやら。
自分が悪いと思ったらすぐに謝りなさい、というまともな教育も受けてきたあたしは、俯いたまま小さく呟いた。
「…………ごめん、犬飼くん……」
それを聞いた瞬間、犬飼くんが絶望的な表情になった。
「俺、やっぱり振られるんだー………」
……………ん?
なんだ、また噛み合ってないっ!!
「ちっ、ちがうちがう、そっちの話じゃなくてー!!」
「えっ、じゃあ、OKしてくれるの!?」
「へっ!? あっ、いや………っ」
そういえばあたしは人生で初めて告白なんてものをされたんだった、と不意に思い出して、あたしはまごついてしまう。
それを見て、犬飼くんがくふふと笑った。
「やっぱり、夏木さんってシャイで照れ屋だねー。告白されて動揺するのとか、なんか可愛くてキュンとしちゃうよ」
…………なんとまぁ、犬飼くん、意外にもタラシか!?
タラシなのか!?
あぁ、顔が熱いっ!!
「ねぇ、ミケランジェロもそう思うだろ?」
犬飼くんが猫に頬ずりしながら言う。
「は? み、ミケランジェロ?」
「三毛だからミケランジェロ〜♪」
「あっそ………」
なんだか気が抜けて、あたしはぷっと噴き出した。
「あの、さ………」
犬飼くんが改まった表情であたしに向き直る。
いきなり真剣な顔をされて、あたしは思わずどきりとした。
「―――俺、このクラスになってから、ずっと夏木さんのこと好きだったんだけど。付き合ってくれますか?」
「………う、あぅ、えーと、その話はおいおい………」
間の抜けた返事をして、あたしは脱兎のごとく校舎へと駆け出した。
「あっ、待ってよ夏木さん!!」
追いかけてくる犬飼くんの足音を聞きながら、まあ悪くないかもしれない、なんてあたしは考えていた。
砂埃の舞うグランドの真ん中を突っ走るあたしと犬飼くんの上で、太陽がさんさんと輝いている。
『犬飼くんが見てる(恐)』
完
『夏木さんが見てる(照)』
*
古典の時間。
雑学大好きな三木先生は、いつもはっと驚くような話をしてくれる。
「この歌の真意を理解するには、平安時代の人々が夢のことをどう考えていたのかを知る必要があります」
先生がそう言って、黒板に『夢についての考え方』と書いた瞬間。
俺の真後ろで、かりかりとペンを走らせる音がした。
ーーー夏木さん。
どうやら、メモをとることにしたらしい。
前に座っているので、目で見ているわけじゃないけど。
夏木さんは、あんまりノートをとるのは好きじゃないみたいだ。
みんなが一生懸命ノートをとっているときに、夏木さんだけが動きを止めていることがよくある。
そのことは、音というか、気配で、なんとなく分かるのだ。
授業中、俺はいつも全神経を背中に集めて、夏木さんの気配をうかがっている。
「というわけで、この歌の意味は、自分の夢に好きな人が出てきたから、その人も自分のことを想ってくれていて、それで夢の中まで会いに来てくれたんだって喜んでいるんですね。
それまでは、夢なんてそんなに信じていなかったけど、………好きな人に夢で会えることを楽しみに待つようになった………そういう歌なんです」
先生はそう言って、夢の話を締めくくった。
俺は頬杖をついて窓の外を見る。
今日は天気がいい。
真っ青な空が窓枠いっぱいに広がっている。
ぷかぷか浮かんでいる真っ白な雲が、ゆったりと流れていく。
でも、きれいな青空よりも、俺の心を支配しているもの。
それは、夏木さんだ。
―――なんでって?
だって俺はゆうべ、夏木さんの夢を見たから。
俺の夢に夏木さんが出てきたから。
どんな夢かというと。
俺は校舎の屋上で空を見上げていて。
すると、背後に気配を感じて。
振り向いたら、夏木さんが立っていて。
それだけ。
夏木さんも俺も、なにも言わなかった。
ただ、見つめ合うだけ。
そんな夢。
目が覚めて、俺は、「なんでこんな不思議な夢を見たんだろう」と思った。
けど、よく分からなかった。
んだけど。
いま、先生の話を聞いて、分かってしまったのだ。
目から鱗。
―――俺は、夏木さんが、好きなんだ。
そっか、そうなのか。
くふふ、やっと謎が解けた。
とてもすっきりした気分だ。
数学のテスト中に、考えても考えても分からなかった問題で、いきなり解法がひらめいて、すらすら解けちゃった。
みたいな気分だ。
俺は嬉しさのためにこみあげる笑いをなんとか抑えながら、くるりと後ろを振り向いて、
「ねぇねぇ、夏木さん」
と、愛しの夏木さんに声をかけた。
教科書を閉じて机の中に入れようとしていた夏木さんが、ふい、と目を上げて、「なに?」というように眉を上げてじっと俺のほうを見た。
俺が話しかけると、いつも夏木さんはこの表情をする。
俺の話をちゃんと聞いてくれようとしているのが伝わってきて、俺は嬉しくなる。
だから、夏木さんのこと、好きなんだ。
「今さ、最後の夢の話、聞いてた?」
と俺が訊ねると、夏木さんは「え? あ、うん」と頷いた。
よかった、やっぱりちゃんと聞いてたんだ。
だったら、
俺は、君の姿を夢に見るくらい、君のことが好きなんだ。
……って言えば、きっと俺の想いの深さが伝わるだろう。
とは思ったものの。
「君が好き」という一言を口に出すことは、思った以上にハードルが高くて。
「昨日さあ……俺の夢に、夏木さん出てきたんだ」
俺がなんとか口に出せたのは、こんな中途半端な言葉だけだった。
なんの報告だよ………。
しかも、照れ笑いが勝手に湧きでてしまって。
なんとも情けない告白になってしまった……。
もっと計画を練ってから告白すればよかったな、なんて思いながら、ちらりと夏木さんを見ると。
「……………は?」
夏木さんは、これでもかというほど呆然とした表情をしていた。
それを見て、俺ははっと気づく。
そうか、そりゃあ驚くよね。
今までただのクラスメイト、席が近くてときどき会話する、それだけの存在だった俺が、いきなり告白するなんて。
しかも、夢に見るほど強く夏木さんのことを好きだなんて。
驚くのも仕方がない。
夏木さんはしばらくの間、なにも答えずに硬直していた。
なにか考えているらしい。
夏木さんは、女子にしてはあんまり口数が多いほうではない。
黙っていろいろ考えているタイプだ。
そういうところも、控えめで落ち着いていて魅力的だなあ。
………なんて考えていると。
「あっ、あはは~。へえ、そんなんだ~あはっ、あははっ」
突然、夏木さんが笑い出した。
それを見て、俺はほっと安堵する。
すぐに即答で断られたりしたらショックだなぁ、って思ってたから。
嬉しくなって、俺は思いの丈をもっとぶつけることにした。
「俺、なんで夏木さんの夢なんか見たんだろうって、すごく不思議に思ったんだけど。先生の話きいて、納得しちゃった〜」
俺がそう言った瞬間、夏木さんの顔が、笑みを浮かべたまま固まった。
きっと、びっくりして、照れくさくなっちゃったんだな。
そんなことを思っていると、夏木さんはがばっと立ち上がり、
「不思議なこともあるもんだね~」
と言いながら、すたこらさっさと立ち去っていった。
………うーん、照れ屋さんだな。
そういうところも素敵だし、いいなぁ。
でも、不思議なんかじゃないのに。
俺が夏木さんに恋していて、夢にまで見るのは、不思議なんかじゃない。
むしろ、夏木さんみたいに優しくて話しやすくて笑顔が素敵な女の子、好きにならないほうがおかしいよ。うん。
もっと自信をもって、夏木さん!