女子高生のインスタグラマーが物珍しくて、横澤さんたちもかいかぶってるけど、実際出版して全然売れなかったら、誰が責任をとるんだろう。
横澤さん、いまはとっても優しいけど、思うような結果がでなかったら、意地悪な人になって嫌みとか言いだしたりしたら、どうしよう……。
考えれば考えるほど、わたしは怖くなった。図にのって、この話を受けたらすごく後悔することになるとしか思えなかった。
わたしなんかが、そんなだいそれたことをしちゃいけない。
そう思ったわたしは、ベッドから出てすぐに横澤さんにメールを送った。
「さきほどのお話なんですが、わたしには無理じゃないかと思います。せっかく声をかけてくださったのですが、お断りさせてください」
メールを送ってほっとしたのもつかのま、すぐに横澤さんから返信がきた。
「あまり焦って答えを出さないで。一度きちんと会ってお話しましょう。もし不安なようだったら、ぜひご両親も同席いただければと思います。編集長からきちんとご説明させていただきます。とにかく宮下さんも焦らず、ゆっくり考えてください。また、こちらから連絡しますね」
口調は丁寧だけど、いやとは言わせない圧力を感じた。
やっぱり社会人はちょっとちがう……、わたしは重い重い荷物を背負ってしまった気がして、がっくりと肩をおとした。
わたしは夕暮れのなか、散歩にでた。
家のなかでひとりで考えていると、暗いことばかり思い浮かべてしまう。
歩いて身体を動かしながら、考え事をしたほうがポジティブな姿勢で向き合うことができる。そんなわたしが、考えごとをするときに、いつも行く場所があった。
それは通学路の途中にある大きな公園で、昼間は赤ちゃん連れのママたちや、小学生の子供達でにぎわっているのだけれど、夏とはいえ六時を過ぎると人気がなくなる。
まだ完全に日が沈むまでには少し間があった。蝉がどこかでうるさいほど鳴いている。まだまだ暑い日が続いていたけれど、意外と夕方になると涼しい風が吹くようになっていて、夏が過ぎていく気配があった
ああ、もうすぐ夏休みが終わる。
時間はどんどん流れていき、わたしがどんなに悩んだり迷ったりしても待ってはくれない。立ち止まって考え込んでばかりのわたしは、流れていくすべてのスピードについていけず、いつも置いてきぼりにされているような気がする。
ふと見るとあたりを満たしていたオレンジ色の光がじょじょにグレーを帯びてきて、街灯がついた。
あたりの暗闇が少しずつ濃くなっていく。
ぼんやりと歩いていたわたしは、ふと蝉の抜け殻をみつけた。
まだ新しいのか、つやがのこるべっこう色のそれを手のひらにのせてみた。
街灯の光に照らされたそれが、光る様子を撮る。
水飲み場の蛇口がしっかりしめられていないのか、水がぽたぽた垂れ落ちていた。
その姿を撮る。
わたしは誰も乗っていないブランコを撮った。
日が落ちて、薄暗い中にたたずむブランコは、ほんとにたよりなく、心細そうに見えた。
わたしはブランコの写真に少し画質が荒くなるようなフィルターをかけた。
うらびれた寂しい感じがさらに増して、この写真が一番いまのわたしの気持ちにあっている気がした。
『自分のやるべきことがわからない。いるべき場所も見つけられない』
そうコメントをそえて、ポストする。
とたんに、いいね、が増えていく。
ふと思った。こんなにネガティブなポストなのに、みんな嫌な気持ちにならないのかな。それとも、いまのわたしの気持ちをほんとにみんなが共感してくれたんだろうか。
何かを感じとってくれたんだろうか。
……それともただ惰性でいいねしてくれただけかな。
はじめて取材を受けて、横澤さんにほめてもらった日はあんなに気持ちが軽くなって、前向きになれたのに。
自分には不相応なほどの期待をかけられていると分かったとたん、こんなに不安になるなんて。ほんとにわたしは弱いな。
わたしはスマホをポケットにしまうと、再び撮影しはじめた。
街灯のあかりだけが頼りの撮影だったけれど、それでもやっぱり写真を撮ることは楽しい。とても楽しい。集中できるし、時が過ぎるのを忘れてしまう。
ある程度枚数を撮ってしまうと、わたしはさっきのブランコに座って、この公園でとった写真をみはじめた。
それぞれの写真にあった加工を考えながら、フィルターをかけ、トリミングをしたり、手を加えていく。
写真の加工がうまくいって、思った以上の仕上がりになると、ちょっと言い過ぎかもしれないけど、感激する。小さくガッツポーズをとりたくなる。
この写真たちをインスタグラムにポストするのは問題なくて、写真集として発売するとなると、こんなに不安になるのはなぜだろう。
やっぱり、お金が発生するからかな。料金を支払ってまで手に入れたのに、満足できないといって不満を言われたりするのがこわいのかな。
見るのも見ないのも、フォローするのもしないのも、自由なインスタグラムという世界がわたしにとって責任がなくて、居心地がいいのは確かだ。
でも……でも。
ほんとにこれでいいのかなって、ここ最近感じていた疑問がやはり頭をもたげてくる。
自分でとった写真を自分の好きなように加工して、コメントをそえてアップして。
でも、ほとんどの人がそれをやっている宮下理緒という人間のことを知らない。
わたしが現実にどんな人間で、何を感じて生きているのか、誰にもわからない。
一方通行で発信しているだけだから、誰かに傷つけられることもない。
だからわたしは気楽だ。
ただ楽しいってことだけで、続けていける。
でも、私自身を理解して、愛してもらうこともない。
フォロワーの中には、わたしのファンですってコメントをくれる人もいる。
でもそれはほんとにわたしを好きだということとは違う気もする。
その人の中で勝手に作りあげたイメージのわたしを好きだと言ってくれてるに過ぎない。もちろん、それでもありがたいごとなんだけど。十分なんだけれど。
わたしはどうしたいんだろう。どうしてインスタグラムを続けてるんだろう。
短い言葉でしかないけど、その時々の気持ちを正直に表現しようって、最初から決めてた。
現実の世界で、みんなにあわせて演じている自分がいるから、インスタグラムのなかでは正直でいようと強く思った。
それってなんでだろう。
別に、違う人格を演じて、現実とは違う世界を作り上げて、妄想の世界でなりたい自分になったってよかったのに。それはそれで気分のよいものだったのかもしれない。
そうやって考えていくうちに、わたしはわかってしまう。
やっぱり、わたしは誰かに私という人間を分かってほしいんだってこと。
宮下理緒という人間が、毎日何を考えて、どんなことに傷ついて、どんなことに笑って、何を幸せだと思って生きているのかをわかちあう誰かを探しているんだっってこと。
いつもえれなの影に隠れて、そのまぶしい光に消されてしまっているわたしの存在に気づいてほしいと、心のどこかで願っているんだと。
でも、実際は自分をさらけ出すことが苦手で、アピールすることができないから、インスタグラムでごまかしているんだろう。
でもこのままじゃ横澤さんに言ったとおり、ほんとうにただの自己満足だ。
これでいいのかな。
このままじゃ何も変わらない。
そこまで考えて、また思う。
……わたしは何か変えたいのかな?
変わりたくないのかな?
ああ、もうそれすらもわからない。
わたしはいったいどうしたいんだろう。
考えれば考えるほど、頭の中はもつれにもつれ、こんがらがり、同じ場所をぐるぐる回っているような感覚になってきて、深い深いため息をついたときだった。
「こんな暗いとこにひとりでいたら襲われるぞ」
突然背後から声をかけられて、飛び上がるほど驚いた。
驚いたのは突然声をかけられたからというのもあるけど、それだけじゃなくて、その声がよく知ってる声だったから。
「颯太くん……」
「うす」と、颯太くんは空いている隣のブランコに座った。
「どうしたの? なんでここに?」
「ん? 遊びに行った帰り。通ったら、怪しい女がひとりでいて、なんだ? って思ったら理緒だった」
「うそ……」
「ほんと。おまえ、こんな暗い公園にひとりって、まじであやしいからな。通報されるぞ」
颯太くんは少し息切れしてた。不思議になる。
「走ってたの?」
「あ…、まあちょっと急いでて。でもいいんだ、もう」
「大丈夫?」
颯太くんは大丈夫大丈夫と言いながら笑った。
「久しぶりじゃん」
「そうだね」
そうだ、颯太くんに会うのは夏祭り以来だった。
そのことに気づいたとたんに、わたしは少し気まずくなった。
あの日以来、わたしは意図的に颯太くんを避けていた。
これ以上好きになってはいけないと、あえて会わないように気をつけていたのだ。それなのに…またこうして偶然会ってしまう。
どうしてだろう。
どうして、こんなに偶然が多いの? わたしの頭の中は疑問でいっぱいだったけれど、颯太くんはブランコに座るには長過ぎる足をもてあましながら、ゆらゆらとブランコを揺らしている。
「で、理緒はどうした。家出でもしたか」
「まさか……。考えごとしてただけ」
「なに、考えごとって」
「いろいろ」
颯太くんが笑った。
「俺の聞き方が悪いな。ストレートに聞いて、理緒が答えるわけないもんな」
その言葉に少しだけ申し訳ない気がした。
颯太くんはいつもちゃんとボールを投げてくれるのに、わたしは受け取るのが下手すぎる。
そのボールをよけたり、そらしたりするばかりで、しかもとれなかったボールを颯太くんがいつも取りに行ってくれてるみたいになってる。
わたしもちゃんとしたボールを投げなきゃ。はじめてそう思った。
……でも、どうやって投げていいかわからない。
「なんか」と、とりあえず切り出してみる。
「うん」
「なんか今のままでいいのかなって、ちょっと思って」
「何が。理緒?」
「そう。……そうだね。わたしが」
わたしははっきりとそう言った。
「なんでそう思ったの。今のままでいいのかなって、なんで。なんか心配なことでもあった?」
「………なんとなく」
「そっか」
またキャッチボールがとだえた。わたしのせいだ。
「……なんていうか」
投げたい。投げ返したい。
「なんか、わたしってつまんないよね?」
颯太くんがきょとんとした。
必死になりすぎて、変なことを口走ってしまい自分でも驚いてしまう。