でも、夢の中の僕は、とんでもなく予想外の行動をとった。
「……返せっ!」
ものすごく大きな声が響いた。
これは、僕の声なのか?
気付いたら僕はその人だかりの中に割って入り、
中心にいる男の子に体当たりをかましていた。
その男の子も不意をつかれたせいか、あお向けにひっくり返る。
僕は馬乗りになり、男の子の左手からノートを奪い返そうとした。
ノートを両手でつかんだ瞬間、視界がぐるりと右に回転した。
強い衝撃に視界がちかちかする。
男の子に右手で殴られたのだとわかった。
ジンジンとした痛みが頬に広がる。
僕らの体格差はかなりあった。
もちろん僕のほうが小さい。
その一撃はかなりの衝撃だったはずだ。
でも僕は、ノートから手を放していなかった。
僕はまた、「返せ!」と大きく叫んだ。
殴り返しはしない。
ただ、そのノートからは決してその手を放さなかった。
そしてもう一度叫ぶ。
ーーーこれは、僕らの宝物なんだっ!!
……そこで目が覚めた。
こめかみが冷たい。
さわってみると、濡れている。
僕は涙を流していた。
夢の中で僕は、ノートのことを〝僕らの宝物〞だと言った。
これは、僕だけの持ち物じゃない。
僕と、誰かの。
その誰かは、今ならわかる。
……僕は、なくしていた記憶のすべてを思い出していた。
涙をぬぐうこともせずに、僕は枕元に置いていたノートを手に取った。
【だれかの】。
昨日、かおるくんから預かったものだ。
表紙に書かれたこの文字は、僕が書いたものではない。
正確に言えば、僕だけが書いたものではない。
僕はノートを開く。
夢の中ではぼんやりとしていて見えなかった中身。
そこにあったのは、僕のただの落書きではなかった。
昼間の海、夕焼け空。
海の中にはイルカ。
夕焼け空には白鳥。
男の子や女の子も、いる。
僕が今まで描いてきた絵とそっくりだった。
右側に絵。
そして左側には、文章があった。
同じだ。
彼女の物語とまったく一緒。
僕がこの物語を読んで、絵を描くのは二回目だったんだ。
ノートには、今僕が森下さんに描いているものと、ほとんど同じ構図の絵が描かれていた。
物語の最後の場面はまだ彼女から渡されていないけれど、記憶を取り戻した僕は、もうその内容を知っている。
僕はもう一度、ノートを読み進めていった。
「あそこにうさぎがいるでしょう?」
女の子が、草むらをかけまわる一羽のうさぎを指さして言いました。
「うん、いるね」
「三つ目のあなたの素晴らしいところをこれから話すわ。これがさいごよ」
月のきれいな夜。
森の中に、男の子と女の子は立っていました。
夢ではない〝現実〟での男の子は、なわがとべるようになるために、友だちの力をかりるようになりました。
まず、なわの回し方のコツをクラスの友だちにおしえました。
こうして、男の子も少しとびやすくなりました。
あとは、ひたすらとびました。
友だちに見てもらって、引っかかったときの自分の
ようすを教えてもらいました。
それを聞いて、そこをなおして、またとぶ。
そのくり返しでした。
いままで、自分の力だけでがんばろうとしていてうまくいかなかったけれど、友だちの力をかりると、少しずつでもとべるようになっていたのでした。
この夢からさめたら、男の子は本番の日をむかえることになります。
男の子は、とにかく緊張していました。
そんな男の子に、女の子は男の子に伝えることがあったのです。
「あのうさぎはね、もともと弱虫で、うさぎのくせにジャンプ力もなくって、とってもどんくさかったの」
きもちよさそうに草むらを走る白いうさぎは、月の明かりにてらされてとてもきれいにかがやいています。
「そうは、見えないね」
そうよね、と女の子は笑いました。女の子の白いワンピースも、うさぎと同じようにかがやいています。
「むかし、どんくさいうさぎは人のしかけたワナにはまってうごけなくなってしまっていたの」
「かわいそう」
男の子は言いました。
「でもね、その日の夜、それは今日みたいに月のきれいな夜だったんだけどね。
わたしたちくらいの年齢の男の子がそれを見つけて、ワナをはずしてくれたの」
「よかった、助けてくれる人がいて。
優しいね、その子は」
男の子はほっとしました。
「その子はね、そのときこう言ったの。
『きみがとってもきれいな白色だったから、ぼくはきみを見つけることができたよ。
お父さんとお母さんからもらったその毛の色は、きみの宝物だね』って」
へえ、と男の子はうれしくなって思わず声を出しました。
「うさぎはね、それまで自分にはなんにもとりえがないって思っていたけど、その子のおかげで自分のいいところに気付けたの」
「なんか、ぼくみたいだ」
「そうね、あなたみたいね」
女の子はやさしく笑ってそう言いました。
「それから彼は、月のきれいな晩にはまた男の子に会えると思って元気に走り回るようになったの。
今までは走るのがきらいだったからぜんぜん早くならなかったけど、そうやって走り回っているうちに、うさぎは上手にかけまわれるようになったわ」
「できないって思いこんじゃってたんだね。
それも、ぼくみたい」
男の子は、だんだんうさぎが自分に見えてきました。
「それで、うさぎは男の子にまた会えたの?」
女の子はうなずきました。
でも、その表情はけわしいものでした。
「会えたんだけどね、そのときの男の子は、オオカミにおそわれているところだったの。
男の子はしりもちをついて、にげることができなかった」
「えっ! それで、うさぎはどうしたの?」
「昔のうさぎだったら、そんなときなにもできなかったと思うけど、
そのときのうさぎはただ男の子を助けることだけを考えて、オオカミに正面から体当たりをしたの。
すごいスピードだったわ。
とつぜんの大きなちからに、オオカミには、なにが起こったのかわからなかった。
それで思わず、男の子をおいてにげていったのよ」