次の日から、試合を見る目が変わった。
相手のチームはどんな特徴を持っているのか。
自分だったら、その場面でどうするか。
イメージしながら心の中でどんどん判断を下していった。
転機が訪れたのは三日目の試合のとき。
このときも僕は、途中からの交代だった。
状況は一対一の引き分けだ。
相手の選手の多くはスピードがあり、速攻を得意とするチームだった。
それまで試合を見ていて、長いパスが多いと感じていた。
縦にも横にも、大きくパスを出してディフェンスを散らせ、そこから瞬足のフォワードに切り込ませる、という戦法だ。
僕はピッチに立つと、ひとつ深呼吸をした。
外でイメージしていたことをやるだけだと自分に言い聞かせる。
ーー姿勢がいいからさ。
体幹がしっかりしてる証拠だよ。
そういう奴って、身体のバランスを取るのがうまいから、長く走れるんだ。
ーーサッカーって、走ってなんぼの競技だよ。強いチームは選手の運動量が圧倒的に多い。
相良と初めて会ったときに言われた言葉だ。そう、僕にはこの走りがある。
僕は、攻撃の中心となっている相手の選手をしつこくマークし続けた。
相手の選手から飛んでくる長いパスを奪うことは考えなかった。
意識したのは、相手のボールを奪うことではなく相手にスピードを出させないことだ。
ひたすら、相手と自チームのゴールとの間に身体を入れ続けた。
そんなことを繰り返していると、相手の息遣いもだんだん荒くなってくる。
僕は後半出場ということもあるが、身体の軸がぶれないように意識していたのでまだまだ元気だった。
また、長いパスが来た。
マークしている選手もその着地点を目指して走るが、今までのようなスピードがない。
ーーこれなら、取れる!
僕は走りながら、グラウンドの中央を見て、周りのスペースが空いていることを確認した。
そして、ボールの着地点に相手よりも先に入り、そのパスを胸で止めた。
まだ走れる。
僕はそう思い、大きくボールを蹴った。
それで、僕をマークしていた選手は意表を突かれる。
身体を反転させる時間が必要な分、今度も僕のほうが早くそのボールに追いついた。
ボールを持ったあとのイメージは、短いパスでつなぐことだ。
自分のチームには相手のような瞬足の選手はいないが、パス回しはとてもうまい。
その歯車に、僕は入る。
相良にアドバイスされて、試合を観察するようになってから、パスをするときに大事なのは出すタイミングだとわかった。
相手に距離を詰められる前に、パスの受け手がディフェンダーに阻まれる前に。
思い切って、パスを出して次のフォローに回る。
パスをとにかくつなげ続けるんだ。
これが自分のやるべきことだと思った。
そんな意識の中で、僕は走り続けた。
するといつの間にか、全体的にラインが上昇し、相手陣地内に深く入り込んでいた。
そこでも、こちらのチームの早いパス回しが続く。
相良も、相手のゴールを狙うタイミングをうかがっていた。
そのとき、相手の足がボールをはじいた。
僕は、その軌道を見て走り出した。
相手陣地、右奥のスペースでのことだ。
相手チームは一斉に攻撃に転じようと、こちらへ
向かってくる。
いつもであれば、その瞬間に僕は自陣に戻り相手をマークしていただろう。
しかし、僕が向かった方向は、相手ゴールだった。
それも、全力で。
もう三十メートルもない。
すると視界の右端から、すっと、パスが出された。
ちょうどいい場所と、強さ。
顔を上げると、キーパーは右側に寄っている。
僕は走りながらタイミングをつかみ、右足を思い切り、振り抜いた。
ドンッ、と音が鳴り、放たれたボールは相手ゴールの左上に吸い込まれた。ネットが大きく揺れる。
「ピーッ!」
審判の笛が晴れ渡る空に響いた。
わっと、チームの歓声が湧いた。
僕はたくさんの仲間にもみくちゃにされた。
すげーよ、
やったな、
ナイスシュート。
そんな声をかけられながら。
試合でゴールを決めたのは、これが初めてだった。
自分の蹴ったボールがゴールに吸い込まれていくのを見るのも、
仲間に声をかけられることも、
身体が震えるほどの喜びに満たされることも、
全部、初めて。
今までは、自分がゴールを決めるなんて、考えたこともなかった。
それは自分の役目ではないと思っていたのだ。
しかし、それではチームの一員とは言えない。
ゴールは、全員で狙わなければならない。
だから僕は、合宿が始まってからずっとイメージをしていた。
条件が揃ったときには、遠慮なくシュートを打とうと心に決めていた。
僕にパスを出したのは、相良だ。
相手がボールをはじいたとき、近くにいたのだ。
相良なら、そのボールを中央に運べると思った。
そう思っているところに、相手チームは攻撃に転じようとしていた。
だから、僕はゴールに向かって全力で走ったのだ。
僕の出した答えは、小さなチャンスを逃さず、活かすことだった。
何度も、試合を
見ているなかでイメージしていたプレーだった。
……ありがとう。
僕は心の中でたくさんの人を思い浮かべ、感謝をした。
言葉に言い表せない高揚感が、いつまでも僕の体を熱くさせていた。
合宿は、終わってみるとあっという間だった。
あの三日目の試合が終わったあと、僕は監督にこう言われた。
『一皮むけたな、日比野』
監督が言うには、今の僕は野生児っぽくていいらしい。
相手にとって十分『こわい』プレイヤーだと。
そんな奴の存在は、チームにとってはでかい、と。
『お前らもっと、野生児にならなあかんぞ。
ゴールを奪うための嗅覚を研ぎ澄ますんや。
今日、そんなゴールがあったな。
そういう野生児的なプレーが、俺らを全国に連
れてってくれるかもわからんぞ』
その日のミーティングで、監督は僕の名前こそ出さなかったがそう言っていた。
僕は次の日から後半だけだけど試合に出るようになり、最終日にはスタートからも出た。
『野生児』。
なんだか僕には似つかわしくない言葉だ。
でも、自分でも思わぬところに自分の可能性が眠っていることがあるんだということを、今回の合宿で実感することになった。
今朝は、久しぶりに遅く起きた。
とは言ってもまだ午前七時。
合宿中には五時には起きて練習をしていたから、感覚が少し狂っている。
昨日までの疲れがまだ抜けきっていないようで、身体中が痛い。
でも、僕の気分は晴れ晴れとしていた。
カーテンを開けると、まぶしい陽の光が部屋中を明るく照らしている。
今日は、森下さんと久しぶりに会える。
あの話の続きが読めるし、合宿中のことも報告できる。約束を、果たせる。
そう思うと、自然と胸が高鳴った。
僕は、ひとつ深呼吸をして弾む心を少し落ち着かせ、毎朝しているのと同じように味噌汁と目玉焼きを作り、お茶を入れた。
出来上がる頃にじいちゃんが起きてくるので、一緒に朝食を食べる。
「おはよう、立樹。
朝ご飯、ありがとう」
じいちゃんは目尻のしわをいっそう深くし、
ゆっくりと手を合わせた。
「いただきます」
じいちゃんはもう八十歳になるけど、まったくボケてない。
いつも僕の顔を見て、名前を呼んで、挨拶をする。
僕が用意するのはいつもと変わらない朝食だけど、まるで毎日違うものであるかのように喜び、
「ありがとう」と言い、美味しそうに食べる。
父さんと母さんが亡くなったとき、じいちゃんは、父親や母親の代わりになろうとはせず、
ただそれまでのじいちゃんのままでいてくれた。
記憶をなくした僕よりも、記憶のあるじいちゃんのほうが父さんと母さんの死はつらく悲しいはずだと想像したけれど、
じいちゃんが悲しんでいる姿を僕は見たことが
ない。