「亜沙実、遅いじゃない。さっさと食べて出ないと遅刻するわよ」


「今日は朝練、ないもん」


「知ってるわよ。朝練じゃなくて一時間目に遅刻するって言ってるの」


 叩きつけるように言いながらお母さんは洗いものの手を休めない。流しに向かう、トレーナーにジーンズのいつものように少し疲れた後姿。白い水しぶきが冷たそうにシンクで跳ねている。きゅっきゅっ、とか、がちゃがちゃ、という音が休みなく聞こえてくる。


 だいぶ前に、なんでお母さんはいつもそんなに忙しくしてるのって聞いたことがある。するとお母さんはちょっと眉をひそめ呆れたような顔になって、


「そりゃ、亜沙実に未歩に真衣、子どもが三人もいるからよ。子どもを育てるのってすっごくお金がかかるし、お父さんのお給料だって高くないのよ。お母さんも頑張って働かないと、うち、破産しちゃうんだから」


って言ったっけ。なんか、ムカついた。だってその理屈だと、自分が忙しいのは、つまり年齢の割に白髪の多い髪とか年中カサカサの手とか女の人らしいところなんてちょっともないファッションとか、全部あたしや妹たちのせいってことになるじゃないの。


 中学二年生、反抗期真っ盛りの割にあたしはいい子だと思う。化粧はしないし茶髪じゃないし、親とむやみやたらと喧嘩しない。お母さんのこともお父さんのことも、別に嫌いじゃない。でも、恩着せがましい理屈は大嫌いだ。


「お父さんは?」


 ダイニングテーブルの一番奥のお父さんの定位置を見て言うと、お母さんはまた面倒臭そうに言葉を投げつけた。


「とっくに会社行ったわよ、いつもそうでしょう? くだらないこと言ってないで、さっさと食べちゃいなさい」


 くだらない、って一言が癇に障った。でも時間がないのは本当で言い返す暇がない。ダイエットを意識して薄めにマーガリンを塗ったトーストに、大口開けてぱくついた。


 お父さんはお母さん以上に忙しい。朝はいつもあたしが起きる前に起きてるし、夜は九時とか十時まで帰ってこない。


時々、朝のダイニングルームで新聞を読んでるお父さんや、夜のリビングで晩酌しているお父さんと顔を合わせることもあるけれど、会話らしい会話なんてない。


思春期の娘にどう接していいのかわからないのかもしれないし、そもそもがあんまりしゃべらない、無口な人だ。どこの家もそうなのかもしれないがうちではお父さんは、リビングの隅で枯れかけてる観葉植物ほどの存在感しかない。


「おねぇちゃあん、真衣が未歩のオムレツ、食べちゃったよー」


 未歩が半ベソかきながら制服の袖を引っ張る。その隣では真衣が口の周りをケチャップで真っ赤にしながらオムレツをほおばっていた。


未歩は誰に似たのか泣き虫でトロくて、一方の真衣は甘え上手でずるがしこい。「欲しがりや」なのも、未歩のハンカチとかオムレツとかが本当に欲しいわけじゃなくて、未歩が怒ったり泣いたり騒いだりするのが面白いんじゃないかと思う。


 食べるのに忙しくて未歩を無視しても、未歩はしつこくまとわりついてくる。あたしが真衣を叱ってやらないと気が済まないらしい。この子たちの相手してる余裕ないのに。