帰るとリビングのガラステーブルに今買ってきたものを広げ、がつがつ食べる。手当たり次第封を開け、口に詰め込む。味なんてわからない、おいしいかまずいかなんてどうでもいい。テレビからは何やら楽しそうな声がするけど聞こえない。カーテンを引いていない窓には無心で食べ物をほおばるわたしが映っている。

ロールパン、メロンパン、コロッケパン、ポテトチップス、おせんべい、いちごショートケーキ、シュークリーム……次から次へとバキュームーカーのように吸い込んでいく。手も口の周りも汚れて制服のスカートにシュークリームのカスタードクリームがちょろっと落ちたけど、どうでもいい。

 猛スピードで胃袋にぎゅうぎゅうに押し込んで、やがて耐えられずトイレに駆け込む。甘ったるい消臭剤の臭いが不快感と共にお腹を圧迫し、喉に指を突っ込めばどんどん吐ける。カエルの断末魔みたいな汚い音を出して汚物を大量生産する自分を本当に可哀想だと思うけれど、吐く苦しさが泣きたい気持ちをねじ伏せてくれる。

 希重を失い学校でいじめられるようになり、そしていつの頃からか始まった食べ吐き。お母さんはいじめと同様このことにも気付いていない。毎回ちゃんと吐くもののやっぱり少しは体に吸収されているようで体重は増える一方だし、食べカスはいつもテーブルの上にそのままだから食べ過ぎてることはわかってるはずだけれど、食いしん坊とかとは違うもっと病的なもんだなんて思いもしないらしい。

雑誌の編集長をやるぐらいだから頭はいいはずなのに、人間として肝心な部分が欠けている。まぁそれはわたしもだけど。

 わたしはなんでまだ、こんなことを続けてるんだろう。虫や河野をいじめること、食べ吐き。どちらもいじめられて日々すり減っていく心を保つための行動で、いじめがなくなった今は必要はないことなのに、一度身についてしまった習慣はなかなか離れていかない。いじめられなくなってもすり減った心は元通りにならないから。何も癒されていないから。

 エリサも明菜も、わたしをいじめる人なんて脳みそスカスカのくだらない人間で、わたし以上に価値のないゴミとか細菌みたいな存在だ。そう思うよう努力しているけれど、「死ね」「キモい」「ブス」……

彼らから発せられる言葉やわたしに向けられる汚いものを見る視線は、頭の表面で考えてることではまったくブロックできずぐりぐりと心を抉る。本当は、どんなに価値のない人間からだってもっと優しく温かい言葉を、眼差しを、向けてほしい。

そんな情けない本音を全力で無視しながら、でも無視しきれず、生きている。食べ吐きは体の苦しさで心の苦しさを忘れるため。虫や河野をいじめるのは自分よりも更に「下」にいるものが欲しいから。

 こんなふうにしか生きられないんだからいっそ死ねばいい。でも首つり、手首を切る、飛び降り……どれも怖くて痛そうでそんな勇気出ない。リストカットはやってみようと思ったけど、手加減してしまって結局シャープペンの先でちょんと小さい傷をつけただけで終わった。三日できれいに治ってしまったひっかき傷だった。あぁつくづく惨め。

 いくら人生が辛くたって自殺は絶対許されない行為だ、ただの逃げだなんて言うけれど、本当にそうだろうか。少なくとも自殺する人たちは死の恐怖に打ち勝ってひとつの結末を選び取ったわけで、対してわたしは何も選べず逃げる勇気もなく食べ吐きとか河野いじめとか対処療法でごまかしながらダラダラ生きてる。

 死ぬこともできず仕方なくしか生きれない人間なんてほんとの本当に最低なんだ。