「前田くんは、陽鶴に相手にされなかったって泣いてたけど?」

「はあ? それさあ、どういうこと?」


机に紙パックを置き、私は抗議の声を上げた。


「私の方が泣きたいんだけど。急にもういいって言われて、置いてかれちゃったんだよ」

「あんた、まだ分かってないの?」


明日香が大袈裟にため息をついた。
マツエクの縁取った大きな目が呆れたように私を見るけど、分かっていないのでこっくりと頷いた。


「だって本当に、何が悪かったのか分かんない」

「あのねえ……、まず、美術館が悪い」

「何で? 美術館ってデートスポットとして不合格なんて話、聞いたことないんだけど」

「そうじゃなくて。
あんた、モネだか何だかの絵の前で一時間以上も突っ立ってたんだって? 耐えられなくなった前田くんが話しかけたら、絵についてずーっと語りだしたとか」

「ああ、うん。モネの『睡蓮の池』ていう絵なんだけどね、これが光の加減がすっごくいいんだよねえ。
で、その『睡蓮の池』と、『睡蓮』の差について、話をしたよ。
モネは晩年、白内障を患っていてね、彼が目が悪くなったのがタッチにも現れ……」

「いやそれはどうでもいい。あんたの絵画ネタは聞き飽きてる。あのねえ」


私の言葉を遮って、明日香は私の頭をちっちゃな子供にするように撫でた。
あごのラインでばさりと切ったボブヘアが、明日香の手で揺れる。


「それが悪かったんだって、どうして分かんないかねえ、この子は」

「え!」


目を見開くと、明日香が「バカ子だねえ、陽鶴は」とますます頭を撫でた。


「本気で分かってないのね。あのねえ、好きな女の子とデートに行ってて、ずっと美術のウンチク聴かされてたら男の子は辛いんだよー?
そのあげくに『知らなかったの⁉』なんて言われちゃ、馬鹿にされてるって思うんだよー?」

「ふ、ふお。はい」

「それと、ここも重要なんだけどね? 美術館っていうのはデートプランの一部にするべきであって、丸一日過ごす場所ではないの、一般的には」

「あ……う……」


子供にひとつひとつ言い聞かせるような明日香に、私は口をパクパクするしかない。
だって、そんなこと思いもしなかった。


「あんたが美術オタクなのは、私は知ってるし、全然いいんだけど。前田くんは知らなかったからショックだったんだよ」

「あう……」


そうか、そういうことだったのか。
私、きっと彼も楽しんでると思ったのに。
しゅんとした私の頭から手を離して、明日香が言う。


「ほら、なんだっけ。美術展が終わるまで、陽鶴はほとんど前田くんの相手してなかったでしょ」

「ああ、『こうこうび』?」