秘色色(ひそくいろ)クーデター


「俺とお前がこうして話してるのを誰かに見られたら、お前の評価は一気に落ちるだろうな」


 すっくと立ち上がった大和くんは、掃除道具入れに近づいて中から箒を取り出した。そして1本を私に差し出す。


「俺みたいになったら最悪だぞ。誰も話しかけてこねえし、せんせーらも俺なんていねえみてえに扱うし。プライドだけ高い奴らに文句言われたり。俺の場合そのヒエラルキーにも入ってねえからな」


 笑いながら言っているけれど、なぜか私には、苦痛にゆがんでいるように見えた。


「……それを、壊すことは、できないの?」

「さあ、どうだろな。そんなもん最初からどうでもよかったしな。成績や見かけだけで寄ってくる女も男も大人もうざかったしな」

「ふは。自分で言っちゃうんだ。見かけって」

「自分のことよくわかってるだろ、俺」


 適当に床を掃きながら、大和くんは楽しそうに笑った。
 それが嬉しくて私も思わず笑ってしまった。

 こんなふうに、ずっと笑っていられたらいいのに。
 大和くんも、私も。

 
「私も、中学まではそれこそ……ヒエラルキーからはじき出された存在だったんだ」

「へえ。意外だな。お前結構気が強いのに。そうでなくても教室でうまいこと立ちまわってんじゃん」

「中学で学んだから、そうしてるだけ」


 そう、もう二度と……同じようなことにならないように。細心の注意を払って学校で過ごしているだけ。
 

「大和くんの言うように、私、気が強かったんだよ。だから、いじめとかすごく嫌いだった」


 中学1年の頃までの私。
 ヒエラルキーなんてものをそのときはなにも考えていなかったけれど、少なくとも私は、最下層ではなかっただろう。

 あの頃は成績もよかったし。


「友達はいたんだよ。小学校からずっと一緒の友達が、何人もいて、毎日放課後は遊んでたくらいに仲がよかったんだ」


 箒を動かす手が止まってしまった。
 ぎゅっと力を込めて、声が震えてしまわないようにするのが精一杯だ。

 この話を、誰かに伝えるのは、初めてだからだろう。

「中学に入って、隣の小学校と一緒になって、新しい友だちが増えて。はじめはみんなで仲良くしてたんだけど……些細な事が原因で、ひとりの女の子が無視されたの。原因は思い出せないくらい、本当に些細なことで」

「女子にありがちだな」

「うん、ほんと。多分黙っててもすぐに仲直りしただろうなって今では思うんだけど……、私、それがすごく嫌で。友達に文句言ったんだよね」


 無視されたのは小学校から一緒の友達だった。一番の友達で、私も無視するように言われたけれど、それが耐えられなかった。


——『無視なんてしたくない。私はなにもされてない』

——『無視なんて卑怯なことしないで、話せばいいじゃない』

——『勝手にすればいい。でも私には関係ない』


 あの台詞が間違っているとは、今も思えない。

 些細な事で無視をして、"自分がどれだけひどいことをしたのかわかってもらう”なんて、理解できない。

 でも。


「結局その後無視されたのは私になった」


 それは、あっけなく。

 ごろごろと坂道を転がり落ちるように。ヒエラルキーの最下層まで堕ちて、いつのまにかそこからもはじき出されてしまった。

 私は誰にも話しかけられなくなった。私だけが悪者になり、友達だと思っていた子も、私を避けてしまった。


「ずっと?」

「……それだけじゃないけど、それをきっかけに、卒業までずっと」
 

 あの事件から私は、超えてはいけない一線を作ってしまった。


「だから、こんな私立に入学したのかお前」

「ここだと、誰もいなかったからいいなって。家から1時間以上もかかる私立なんて併願でも誰も受験しないからね。なおかつここは偏差値もそこそこ高いし」

「いじめから逃げてきていじめの巣窟にくるとか、運がねえなあお前も」

「ふ、そうかも」


 冗談めいた口調と内容に、くすっと笑ってみせると、大和くんもかすかに笑った。
 彼なりの優しさなのかと思うと、それが染みる。


「あ、でも! 今、楽しいよ、私。友達も出来たし、またいじめられるとか、そういうこはあんまり考えてないし。無理して一緒にいるなんてことはないんだ」

「じゃあなんで、たまたまとはいえ、あいつらと一緒にやろうって思ったわけ?」


 その質問に、暫く首を傾げて考えてみた。

 いじめをなくしたいのかと言われると、わからない。いじめられた過去が辛かったのかと言われると、それも、わからない。

 いじめ事態は今も嫌いだ。見るとやっぱり気分が悪くなるし、苛立つ。
 だけど、色んな感情が麻痺してしまった。耳も目も、塞ぐすべを見つけた。

 いじめに加担したわけじゃない。
 いじめられているわけでもない。

 そんな私があの放送になにを感じたのか、言葉にするのはとても難しい。自分でもよくわかってないんだもん。

 だからかもしれない。


「……答えを知りたいから、かも」


 このくすぶっている思いが出口にたどり着くために、なにか答えを得たいのかもしれない。教えてもらえるのかもしれない。


「俺と一緒だな」


 だけどきっと、これだけはわかってる。


——『この学校から、そんな下らないことを排除する』


 鷲尾先輩の言葉。
 それは、私たちの探している答えじゃない。


「そういえば……明日も集まるのかな」

「さあ、そういやどうなんだろうな。知らね」

「ちゃんと、話がしたいな、みんなと」


 よく考えれば、私はみんなと話をしてないんだ。鷲尾先輩の気持ちはいいとして、他の人の気持ちを、まだ聞いてない。私だってまだ、大和くん以外に伝えてない。

 聞いてみたい。
 話をしてみたい。

 その先に私はなにかを見つけられるような気がする。見つからなかったらそれはそれで、別に構わない。


「してみれば? 俺はしねえけど」

「……なんでしないのよ」

「俺あいつらと話すとイライラするんだよなあ。よくわかんねーけどすげえムカムカして、学校中のガラス全部割りたくなるんだよ、また」


 また、という言葉を告げてから、大和くんはにやりと笑った。

 やっぱり、ウワサは本当なんだ。だけど、……なにか、今の私と同じような気持ちを抱いていたからなのかな、と感じる。

 許されることじゃないけど、それを怖いとは思えない。


「私は、大和くんの答えも、知りたいと思う」

「……つまんねーかもよ?」

「ふふ、いいよ、そんなの。だから、一緒に探して、みない?」


 ひとりよりも、ふたりのほうがきっといい。
 ひとりだったら、私、わからないこともわからなかったと思うから。


「明日、誰もいなかったら、ふたりでクーデター起こすか」


 しばらく、大和くんはなにかを考えるように黙っていたけれど、不意にそんなことを呟いた。


「いいね、それも。ガラス割るところから始めようか」

「ふは、バカだなお前」


 大和くんが口を大きく開けて笑った。

 彼が隣で、こんなふうに笑っていてくれるなら、本当に割って、みんなに距離を置かれてもどうってことないような、そんな気がした。

 いや、……しないけどね。


 2時間ほどふたりで掃除をして教室を出ると、大和くんは「じゃあな」と逃げるように帰ってしまった。




 
  (」°ロ°)」<喧嘩衝突せよ






o
*


.

.


 いつものように朝起きて1階に降りると、お父さんがテレビを見ながら朝ごはんを食べていた。

 そういえば……今日は土曜日だっけ。
 休みに入ってから曜日感覚がなくなってた。


「お、おはよう、輝」

「はよ。お父さんがいるからびっくりした」


 そばのソファに座ってから、キッチンにいるお母さんにも声をかけて一緒にテレビを眺めた。今日もワイドショーが流れている。

 最近有名な実力派俳優と言われるかっこいい男の人が、そこそこかわいいだけのタレントと熱愛だのなんだのと騒がれてる。

 この前騒がれていたネット炎上とやらは、どこに消えたのだろう。


『売名行為じゃないの?』


 毒舌なコメンテーターがそう言った。

 言われてみれば、誰もが名前を知っている俳優と、ヲタクに人気があるだけで特に取り柄のないアイドル。そう受け取ることもできないこともない。

 ……こういうのも、ヒエラルキーが存在するってことなのかなあ。

 格差婚とかいうやつも、同じような感じかもしれない。なにを基準にしているかっていうだけで。

 でも、それに対して大人は、なにも言わないんだ。


「今日はどこか行くのか?」

「学校。美化委員の掃除があるから」

「へえ、そんなこともあるんだな」


 お母さんから聞いて知っていたくせに。

 そう思ってても、なにも気づいていないふりをして笑って会話を続けた。なんのための会話なんだろう、これ。確認の会話なんだろうか。

 毎週、休みのお父さんと顔を合わせるとこんなふうにさり気なく私の様子を聞かれて、内心めんどくさいなと思いながら笑顔を貼り付けて答えている。

 これ、いつまで続くんだろう。

 それが私のせいだってことはわかっているんだけど。

 お父さんはともかく、お母さんはきっと、今も肩身の狭い思いをしているんだろうし、私が文句なんて言えない。
 

 以前働いていたパートをやめてからずっと専業主婦だ。

 同級生の親とスーパーで顔を合わせることがあるからか、車でしか行けない小さなスーパーで買い物をしているのを知っている。


「……学校、そろそろ行かなくちゃ」


 逃げるようにそう告げて、すぐに着替えて家を出て行った。

 今日は取り敢えず1時くらいに学校に行こうと、昨日大和くんと話した。けれど、今はまだ10時過ぎ。学校についてもまだ11時台だ。
 
 早すぎるけれど、家にいるのも億劫だし仕方ない。
 夏休みが始まる前からこんな調子で、大丈夫だろうか。


 高校に入ってから、以前よりも家にいるのが窮屈になった。

 ひとりだったら、同じようなことが起こるはずがなかった。

 でも、友だちができてから、その話が出る度に両親の"また同じことが起こりませんように"という不安が透けて見えるような気がする。


「……あの放送を、聞いたからっていうのも、あるのかも」


 そして放送室のドアを開けたから。
 
 はあ、っと憂鬱とも諦めとも言えるようなため息を落としてから、どんより曇った空の中、バス停に向かった。
 空を見上げると、眩しいわけでもないのに眉間に皺がよってしまう。



 途中の駅でファーストフードに寄って行こうかな。もしくはコンビニでご飯買ってどこかで食べるのもいいかも。


 そんなことを考えながら、結局学校にそのまま向かう。
 お腹は空いているけれど、なにかを食べる気にはなれなかった。


 学校は土曜日ということもあって、いつも以上にしんと静まり返っている。午前中は部活は休みらしく、グラウンドにも誰もいなかった。


「さて、どうしようか」


 ひとりごちて、うーんと首をひねった。

 待ち合わせまではまだまだ時間がある。

 卓球部の部室、はひとりで行くのは気が引ける。放送室に行くのも、まだ早いし、ひとりで行くわけにもいかない。


 掃除する教室でひとり時間を潰そうかな。でも、なにをして暇つぶしをしようか。携帯でゲーム、もいいけど生憎最近おもしろいゲームもないし。

 そんなことしてたらあっというまに電池なくなっちゃうしなあ。


 ……久々に本でも読もうかな。
 絵本とか。温かい物語と、綺麗な挿絵を見たら、心も晴れるかもしれない。学校にあるかわかんないけど。


 大和くんには行かないほうがいいって言われた図書室。
 でも、その場に居座らずに、さっとなにか1冊借りて出てくれば。


 うん、大丈夫。
 さっといってぱっと帰ればいい。休みの日にわざわざ学校の図書室に行く人も多くはないだろう。


「よし」


 決心して踵を返した。

 確か図書室は、中等部の方にあるんだったっけ。ちょっと遠いけど、暇を持て余している今なら別にどうってことはない。

 途中にある渡り廊下で体育館の方に向かって、そのままぐるっと回って図書室に向かう。

 さほど大きくないけれど、独立した建物になっている図書室は、他の校舎よりも少し古い感じがあって、独特の存在感を放っていた。


 なんか、絶版になった本がいっぱいありそうな感じ。見渡す限り本。しかも棚が高い。何冊くらいあるんだろう。


 中に突き進んでいくと、そばにいた生徒がちらり、と視線を向ける。

 ……案外人がいるんだ。

 試験も終わったって言うのに、なんで休みの日まで図書室にいるんだろう、と思ったけれどネクタイの色を見てわかった。

 ほとんどが3年生だ。1年なんてひとりも見当たらない。

 私と同じように、図書室にいる人たちも私のネクタイを見ているような気がした。受験勉強の邪魔にならないようにそっと足を踏み出して隠れるように本棚に向かう。


 あんまり長居はしないように、悩まないで決めちゃわないと。


 大和くんの言っていたのってこういうことなんだろう。
 すごい、ぴりぴりしている。
 “1年がくるんじゃねえよ”って言われているみたいだ。


 この学校は学年の壁も大きい。中学の時もそういうのはあったけれど、比べ物にならない。まさか、こんなに注目されるなんて……。


 人目を避けるようにそそくさと棚の影に入っていった。


「あ」

「……あ」


 目の前にいた女の子と目があって、声がこぼれた。
 私の声に反応して彼女も顔を上げて私を見るなり同じように言葉を発する。


「え、と。柿本さんも、図書室に来てたんだ」

 
 1年は誰もいないと思ったから、ちょっとほっとした。

 柿本さんに近づくと、彼女は一歩後ずさる。
 じっと私を見つめる瞳が、長い髪の毛の奥から見える。


 ……もしかして、私警戒されてるのかな。え? なんで?
 このまま距離を詰めるか悩みながら彼女を見つめ返すことしかできない。

 ど、どうしたらいいだろう。


「あ、の」


 どうしたの? と、聞こうと思ったとき。彼女の後ろからひとりの女の人がやってきた。紺色のネクタイをしているから、3年生。化粧が濃いせいか、きつい印象がある。

「あれ? なんでー? ないじゃん」


 図書室なのに声が大きいけれど大丈夫なんだろうか。
 私と同じように柿本さんもその先輩の方に視線を向けた。本棚を覗き込みながらなにかを探している。


「あ、あった」

「え?」

「それ、貸してくんない? 必要ないでしょ?」


 柿本さんの手元にある本を指さして、さも当然のように信じられないことを口にする。
 なにを持っているのかと見ると、歴史の資料集だった。柿本さんは歴史が好きらしい。


「え、こ、これ、は」

「なに? 私3年で今世界史やってるんだよね。気になることあるから読みたいんだけど」


 威圧的な口調。


「……は、い」


 困ったようにうつむきながら、震える声で手にしていたその本を差し出そうとする柿本さん。


「え!? 渡すの!? なんで?」


 思わず大きな声をあげてしまって、慌てて口を手で塞いだ。

 本棚の影だったおかげで視線が集まることはなかったけれど、目の前のふたりが驚いた顔を私に向ける。


「なんなのあんたら?」

「あ、いや……別に数日くらいいいんじゃないかなーって」

「は? なんであんたにそんなこと言われないといけないわけ? 私は必要だって言ってんじゃないの」


 うわあ、怖い。
 先輩なんだからっていう威圧感がすごい。

 でも。

 奥歯を噛み締めながら、絞りだすように言葉を発する。
 駄目だ、と思いながらも、感情が止まらない。


「だったら……もうちょっと言い方とか……」

「じゃあ、あんたも口の聞き方気をつければ? 1年でしょあんたたち。こっちは受験控えてるんだけど」

「でも」

「い、いいから!」


 納得できなくて言い返そうとすると、隣にいた柿本さんが慌てて間に入ってきて、本をずいっと先輩に差し出した。


「わ、わたしは大丈夫なのでっ」

「あ、そう? ならいいけど……」


 満足そうにその本を受け取って、それみたことかと鼻を鳴らしながらちらりと私を見た。


「あんた、ここ、初めて来るでしょ?」

「……私? まあ、そうですけど」

「じゃあどうせ、成績も大したことないんでしょ。勉強できるわたしたちの邪魔しないでくれる?」


 っはあああああ!?
 なにそれ! なにそれ! 意味分かんないんだけど!

「私たちに邪魔されるくらいで下がる成績なんですか」

「っあんたね……!」


 私の発言に、目の前の先輩の顔が一気に赤く染まった。
 そしてどん、と肩を突き飛ばされる。

 そんなに大したことのない力だったけれど、不意をつかれてしまい、ぐらりとバランスを崩してしまった。

 コケる!

 と、思ったのに、私の体が誰かの体にぶつかって支えられた。


「なにしてんだよ、お前」


 頭上から降ってくる、呆れたような口調。
 顔をあげると、声と同じように呆れたような顔をしている大和くんが私を見下ろしていた。

 
「大和くん」

「ったく、行くなって言ったのに」

「……ご、ごめん」


 はあっとため息をつかれて、素直に謝ってしまった。

 そっと目の前の先輩に視線を移すと、大和くんの存在に驚いたような表情で、少し後ろに下がってから、なにも言わずに立ち去ってしまった。

 最後に、私にじろっと鋭い視線を向けて。

 大和くんは、上級生にも名前も顔も知れ渡っているんだ。もちろん、いい意味ではないけれど。


「出るぞ」


 短くそう言って、大和くんは私の体をぐいっと起こした。そのとき、目の前にいた柿本さんと視線がぶつかる。
 いや、彼女の視線に私が気づいた、と言ったほうが正しいかもしれない。


 彼女は、私を睨んで、いた。


「え?」


 な、なんで?

 問いかけようと思ったけれど、柿本さんはなにも言わずに背を向けて、なにもなかったかのように別の本棚に移動してしまった。

 ……なんだったんだろう。





「お前、俺の話聞いてたのか」

「いや、ぱぱっと済ませたら大丈夫かなーって、思って」


 図書室を出て、校舎を歩いているとき。大和くんが眉間に皺を寄せて私を睨んだ。
 前だったら怖かっただろう彼のそんな顔も、数日であんまり気にならなくなってしまった。

 なんだかんだ優しいのを、知ってしまったからかもしれない。


「大和くんは、どうして図書室に?」

「お前のバカな後ろ姿が見えたからだよ」


 バカな、は余計だけれど、やっぱり優しい。