『我々は、反乱軍である』





 夏休み直前の期末テスト最終日。
 開放感に包まれていた学園に、"それ"が響き渡った。



『これは、学校に対する、優劣をつけて子供を格付けする大人たちに対する、そしてこの狭い学校という場所で偉そうにしているお前たちに対する——』



 自信に満ちた声。
 やけに雑音がひどい。あと音割れも。そうすることで無理やり声を特定できないようにしているのかもしれない。



『宣戦布告である』



 全身が、粟立つのがわかった。
 


『仲間よ、戦士よ、集結せよ』



 そう言って、ブツリ、と音が途切れた。
 
 もう夏休みに入ったような浮かれた気分は、どこかの誰かの放送ジャックによって冷水をぶっかけられたかのようにどこかに吹き飛んでいった。



 その日、"私の日常"にピキリとヒビが入った。




 
  (」゚O゚)」< 宣戦布告せよ






 ・


 今の私を彼が見たらなんて思うだろう。

 歯を食いしばって戦っていたはずの私が、逃げる勇気もなく、ただ目を閉じて耳をふさいで笑っていると知ったら軽蔑するかもしれない。

 もしかすると"仕方ないよね"なんて言って悲しそうに笑うかもしれない。

 仕方ないことなんて、この世界にあっていいわけないと、豪語していた過去の私は、今の私を見たらどう思うだろう。



『戦え』



 声が、聞こえる。
 自分の、君の、立ち向かう声が、鼓膜を刺激する。
 
 なにと、戦えばいいんだろう。誰か、教えてよ。


o
*


.

.


 夏の制服ほど、通気性の悪いものはないと思う。
 背中は汗でびっしょりと濡れてしまって、制服がはりついている。額からも汗が浮いてきて、湿気で体も重い。

 黒いスカートっていうのも季節感がない。シャツは薄い青鼠色だし。なんで白じゃないんだ。真夏でもリボン着用を義務付けられているのも納得出来ない。

 リボンで学年がわかるようになっているとはいえ夏はかんべんして欲しい。まあ、男子のネクタイよりかマシか。

 はあっと吐くため息さえも重く感じた。
 ショートボブの髪の毛が、水分で重い。

 そして"相田 輝(あいだ ひかる)"と大きく私の名前が入った英語の教科書は、まるで鉛のよう。


「おっはよー、輝! なに朝から暗い顔してんのよー!」


 バッシーっと勢いよく背中を叩かれて、思わずバランスを崩したけれど、足を踏み出してなんとか堪える。
 振り返れば、今日がそんなに素敵な日なのかと聞きたくなるほどの笑顔の茗子(めいこ)がいた。

 内巻きにしたセミロングの髪の毛が、私の髪の毛と違ってふわりと揺れる。私と同じ赤いリボンが可愛さを強調して見えた。


「おはよ、ほんっと茗子は毎日幸せそうだねー……なんなの? 今日のテスト余裕なの?」

「んなわけないじゃん! で、も! 今日でテスト最終日なんだよー?」

「それは嬉しいけどー」


 高校生になって初めての期末テスト。今日を乗り切れば明日から終業式までの1週間ほど。実際には10日間は休みだ。今日を乗り切れば明日から夏休みと言ってもいいだろう。

 茗子が浮かれる気持ちもわかる。私も本来ならひゃっほーってスキップしながら学校に行きたいところだ。

 でも。
 今日は私が一番苦手な英語と現代国語。
 いや、それだけじゃない。それだけだったら別にどうってことはない。


「順位が貼りだされるんだもんなあー……」


 朝から何度目かわからないため息を、空を仰ぎながら吐き出した。
 あ、さっき茗子に叩かれたせいで英単語が5個位脳みそからこぼれ落ちたかも。


「ああ、それかー。輝は"外部組"だから慣れてないんだよねえ。私とか"内部組"ではあたりまえだからさー」

「そんなこと言って! 茗子は中間の時古文で10位とかだったじゃないー! 総合でも50番台だったし!」

「あははは」


 今日も"そんなことない"とか言ってちゃっかり上位に入るんだきっと!
 私なんて中間、総合は真ん中らへんだったけど、英語と現国は下から数えたほうが早かったんだから……。

 またあの公開処刑が行われるのかと思うと憂鬱にもなる。



 私の通うこの私立の学校は、中等部と高等部がある。
 中学から通っている学生は"内部組"、私のように高等部から入ってきた学生は"外部組"と呼ばれる。

 クラスの約3分の1が外部組。でもそれだけのこと。こうして茗子のような内部組の女の子たちと仲よく過ごせてるし。男の子の友達だっている。

 そう、そんなことはどうだっていい。
 問題なのは私立らしい、教育方針の方だ。

 まさか、テストの順位が全部壁に張り出されるなんて……知らなかった。それだけじゃなく、実技の順位も。100mを何秒で走ったかとか、音楽の歌のテストも。美術で描いた絵は順位付きで全部貼りだされる。

 順位至上主義、みたいな感じ。

 否が応でも友達と比べちゃって、辛いんだけど!

 中学の授業が違ったのか、この公開処刑の効果なのか、内部組はみんな上位。今のところ一番仲よくしてる茗子とか他の子もみんな内部だから、私が一番順位が低い……。


 ああ、もうほんっとヤダ。
 なんでこんな苦痛を味わうために片道1時間以上もかけて通ってるんだろー。中学まではそこそこ勉強できる方だと思ってたのに。

 晒すなら上位50名くらいまでにしてくれたらいいのになあ。自分の名前を300名前後の中から探し出すのも大変だっつーの!


 まあ、だからこその進学校なんだろう。


 ついでに言えば。
 テストが終わっても私は晴れ晴れとした気持ちで夏休みを迎えられない他の理由もあるわけで。


「なんで美化委員なんてあるのー!」

「あはは! 入学してすぐだったもんねえ委員会決めるの」

「やられたよ、ほんっと」


 この学校の美化委員会は、期末テストが終わってから夏休みに入るまでの休み中、学校の掃除をさせられるらしい。

 道理で人気がなかったはずだ。

 立候補形式で決められたから、事情を知らない外部組の私が選べるのなんて残りものしかない。なんとなく選んだらそんな面倒な委員だったなんて。

「でも放送部よりマシじゃない」

「まあ、たしかに」


 放送部は委員会の中で一番仕事が多くてみんな嫌がるらしい。
 毎日のお昼放送に、校内で流すビデオも。もちろん体育祭や文化祭も仕事ばかりだとか。

 そう言われると確かにマシだ。夏休み前と冬休み前の休みだけしかないし。

 でも他の委員は年に3回の集まりくらいで済むっていうんだからやっぱり貧乏くじを引いたとしか思えない。


「委員会もあるし、順位の張出しもあるし、あーもうやだー!」

「でも、輝、一学期の美術では10番以内に入ってたじゃないー」

「……そうだけど……」


 確かに絵がそこそこ描けるのは唯一の取り柄だけど、美術よりも英語で10番以内のほうがいいなぁ、私。
 もう、絵が上手であろうと下手であろうと、私には関係ないもの。


「よ。なに騒いでんのお前ら」


 ぽんっと背中を叩かれて、私と茗子の相田から飯山(いのやま)くんが顔を出してきた。

 あかるい茶色の髪の毛が、太陽の光で金色にも見える。
 くりっと大きな瞳で私を茗子を交互に見てから、にっと白い歯を見せて笑った。


「おはー、イノ。輝が順位張り出しと美化委員会に凹んでるところ」

「あー輝って美化委員だったんだ。ご愁傷様ー」

「ひどーい!」


 ケラケラと笑いながら、茗子の隣に並んだ飯山くんに頬をふくらませた。
 隣に並ばれて、ちょっと嬉しそうな茗子に、微笑ましく感じる。

 ……絶対、茗子って飯山くんが好きだと思う。
 ただ、みんなで問い詰めても認めない。素直になればいいのになあ。

 明るくって、ムードメーカーな飯山くん。背も高いし、顔もまあ、かっこいい。サッカー部でも期待のエースだとかなんとか。

 そんな彼と可愛くて目立つ茗子なら、すっごくお似合いだと思うんだけどなあ。同じ内部組ですごい仲いいし。

 飯山くんも、茗子に気があると思う。
 
 彼の場合は誰とでも仲よく付き合うから、なんとなくそう思う、ってくらいだけど。誰にでもにこにこしているのはすごいと思う。誰かをバカにしているところも見たことがない。

 じいっとふたりが話しているのを見ていると、まだ落ち込んでいると思われたんだろう。茗子が苦笑を零しながら「ほら、元気だして」と笑った。


「休憩時間に出そうなところの問題出してあげるよ!」

「まじで!? 茗子ー!! 大好き!」

「よっしゃ、じゃあ、終わったらパーッとカラオケでも行こうぜ」


 暑い中、茗子にぎゅうっと抱きついて、飯山くんの誘いにふたりして「行く!」と返事をした。

 高校生活は、想像していたよりも楽しい。
 私の通っていた中学からこの学校に進学したのは私ひとりで、はじめは正直不安でいっぱいだった。

 けれど、茗子のような明るくってムードメーカーな子と仲よくなれて、毎日笑って過ごせている。

 大丈夫。もう大丈夫。うん、楽しい。


 
 しばらく歩くと、坂道と、その上に大きな校門が見えてきた。
 校門の真ん前には大きなグラウンドがあり、右手が高等部、左手が中等部。グラウンドの奥には、体育館が見える。

 門をくぐって右に曲がって少し歩くと靴箱だ。先生たちの入り口は、それよりも手前。
 
 靴箱とフェンスそばの木々のあたりに数人の男子生徒が固まっているのが見えた。
 毎朝毎朝あんなところで集まるなんて、不思議だ。

 隣にいた飯山くんは、バッと勢いよく頭を下げた。それに気づいたのか、先輩たちは軽く手を上げて応える。


「あれ、浜岸先輩だよね? そういえば中学の時に同じクラスだった友達が好きなんだってー彼女とかいるの?」

「いや。知らねえけど、あの人ならいてもおかしくねえから、いるんじゃねえ?」


 ふたりの会話を聞きながら、そういえばあの先輩もサッカー部だったな、と思い出した。

 あの先輩はしかもサッカー部のエースだったっけ。
 一度茗子に連れられて部活を覗いたときに、誰よりも目立っていた人だったはず。きゃあきゃあ女の子に言われていたっけ。

 100mも2年で一番早いって聞いたこともある。誰かがプロになるに違いないって言ってたかも。サッカー部自体はさほど強くはないけれど、絶対注目されるだろうって。

 男らしい顔つきで、背も大きい。ありゃあモテるだろうなあ。
 ……確かに、かっこいいと思う、けど。


「あんな人嫌だなあ」

「え? なんか言った?」

「なんでもないよー」


 ぽつりと独りごちた。
 それに反応した茗子にへらっと笑ってから靴箱に向かう。

 クラスメイトが数人いて、みんなに挨拶を交わしながら靴を履き替えると、目の前を背の高い男の子がすっと通り過ぎていった。


「うわ、大和だ」


 そう言って、茗子がひょこっと私の後ろから顔を出す。
 その声に反応したのか、彼が一瞬だけ私たちの方に視線を移した。

 冷たい、目。
 切れ長の、ちょっと釣り上がった瞳の奥は、真っ黒で、それが"近づくな"って言ってるみたいだ。
 髪の毛も真っ黒、目も真っ黒。ついでに制服も黒。それはみんなだけど。

 彼はその中でも特別、真っ黒で、誰よりも目立っている。印象がそんな感じ。

 一瞬、彼の視線に捉えられて私たち3人とも体が固まってしまった。