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マンションのエントランスを出たところで、あたしは一度足をとめた。
床にハイヒールを放り投げ、足で転がして向きを整え、ぐいっと履く。
そして、ゆっくりと視線をあげて、蓮見の部屋を見た。
もしかして、ベランダから見送ってたりするんじゃないか、とか思ったあたしは、もちろん浅はかだ。
ちなみに、追いかけてくる足音も、もちろんしない。
「………ばか蓮見」
地面に向かって小さく呟き、あたしはとぼとぼと歩き出した。
…………あーぁ、やっちゃった。
あんなことやるつもりも、言うつもりも、まったく無かったのに。
自分の気持ちを抑えられなかった。
あたしがさっきやったことは、あたしが一番嫌いな女の典型的な行動だ。
あんなこと、したくなかった。
でも、気がついたら、やってしまっていたのだ。
めんどくさい女。
蓮見が一番きらいなタイプ。
「…………はぁ……」
溜め息が勝手に洩れる。
めんどくさいことをやってしまった自分に嫌悪感。
でも、仕方なかったとも思う。
正直、我慢の限界だった。
一日中、蓮見に振り回されて、振り回されて。
せっかく休みの日に二人で会えたのに、市場調査の手伝いをして、リクエストに応えて晩ご飯を作ってあげて、洗い物までして。
そんで、帰り際には、見送りもしてもらえない。
あたしは家政婦か!!
………って言いたくなるのも、仕方ないよね?
凍えた指を口許に当て、はあっと息を吹きかける。
冷たい風が吹き抜ける街。
その中を足早に通り過ぎていく、帰路を急ぐ人たち。
蓮見はきっと今頃、何事もなかったかよように、ディスプレイに向かっていることだろう。
駅の改札を通り抜け、ホームのベンチに座って、ぼんやりと電車を待つ。
向かいのホームに、色鮮やかなポスターが何枚も貼ってあった。
デパートのクリスマスセール。
遊園地のクリスマスパレード。
交響楽団のクリスマスコンサート。
隣では、クリスマスに遠出をしてホテルに泊まる算段をしているカップル。
ーーーどいつもこいつも浮かれやがって。
あたしは一人心の中で悪態をついた。
どーせ、あたしには無関係だ。
*
「おい、清水」
「…………なに。仕事の話?」
「いや、違うけど」
「じゃあ、話しかけないでください」
あたしは蓮見の顔を見もせずに、すたすたと室を出た。
あの日以来、あたしは蓮見を無視しつづけている。
とは言っても、職場が同じだから、まったく口をきかないってわけにもいかないけど。
業務上の会話以外は、まったくしていない。
なに意地はってんだろう、と自分でも馬鹿らしく思うけど。
今さら引っ込みがつかないというか……。
ここまできて自分から歩み寄るなんて、なんだか負けを認めるようで嫌だ。
でも、蓮見のほうは、そんなあたしの気持ちなど全く理解不能らしく、不思議そうに首を傾げていた。
「…………はぁ〜……」
トイレの洗面台で鏡に向かって化粧直しをしていると、何度目かも分からない溜め息が唇から洩れ出した。
「おっきな溜め息ねぇ」
背後から笑いを噛み殺したような声が聞こえて、あたしはパフを頬に当てたまま振り返った。
「あ、お疲れ様です!」
苦笑いを浮かべながら隣に立ったのは、先輩の赤坂さんだった。
「清水さん、最近ちょっと元気ないね。
何かあったの?」
「え……元気ないですか、あたし」
「うーん、ほら清水さんて、いつも元気いっぱいで蓮見くんと言い合いしてたじゃない?
最近それ見ないなあ、って」
それは、元気がないというか、蓮見と喋りたくないってだけなんだけど。
「なんか、顔も少し暗いしねえ。
悩み事でもある?」
「あー、はい……プライベートでちょっと色々ありまして………」
「ほうほう、色恋沙汰?」
赤坂さんの言い方がおかしくて、あたしは思わず噴き出した。
「よかったら、話きくよ?」
赤坂さんが先輩らしい包容力のある笑顔で言った。
それを見た瞬間、心がほぐれるのを感じた。
あたしは、ずっと、誰かに話を聞いてほしかったのかもしれない。
こくりと頷いて、あたしは赤坂さんと一緒にトイレを出た。
ちょうど昼休憩の時間だったので、あたしたちは社食に入った。
「………っていうことがあって。
相手に対する怒りやら、自己嫌悪やらで、頭がぐちゃぐちゃなんです」
隅っこのテーブルに座り、あたしはぼそぼそと、これまでの経緯を赤坂さんに話した。
もちろん、相手が蓮見だということは伏せて。
「なるほどねぇ……。
恋って、難しいわねぇ………」
赤坂さんはしみじみと呟いた。
そして、ホットコーヒーを口に含む。
特にアドバイスとかはないらしい。
あたしも、とりあえず話を聞いてもらえただけで大分すっきりしたので、それでも構わない。
「ときに」
「はい?」
「その相手って、蓮見くん?」
「はい………って、え!?」
あたしはがばっと顔を上げた。
目の前に、にやにや笑っている赤坂さんの顔。
「なっ、ななななんで分かったんですか!?」
「あはっ、焦りすぎ!
ってゆーか、少なくとも私に関しては、バレバレだったけど?」
「えぇ~っ!?」
………マジですか!?
「ど、どういうふうにバレバレ………」
「んー、そうねえ」
赤坂さんが頬杖をつき、なんだか嬉しそうに笑いながら言う。
「なんていうかね、蓮見くんの雰囲気が、柔らかくなったっていうか」
「え~……そうですか~……?」
あたしが疑わしげに言うと、赤坂さんがふっと噴き出した。
「清水さんから見たら、わかんないのかも。
だって、柔らかいのは、清水さんに対してだけだもん」
「え………」
あたしは瞬きをして、考える。