「・・・ってる」
ボソリとつぶやく。
「え?」
「知ってるよ。サムイ島なら」
今度は私がびっくりしてお父さんを見る番だった。
「行ったことあるの?」
「遠い昔、な。タイにもお父さんの会社があって、まぁそこは人にまかせっきりだけどな。ついでにサムイ島にも連れて行ってもらったことがある。もう、10年も前の話だ」
へぇ・・・。
そんなこと一度も聞いたことなかった。
「じゃあ、いい場所ってことは知ってるんだよね? 海もキレイだし、青空もすんごい広いんだよ」
「お父さん、あそこが気に入ってな。ビッグブッダって言う・・・」
______ソムチャイ。
ビッグブッダでソムチャイと見た景色。
金色の大仏。
胸がトクンと息をした。
「お父さんもビッグブッダ行ったんだ? 私もあそこすごい好き」
「へぇ」
お父さんが目じりを下げた。
「実羽も見たのか、大きかっただろう?」
「うん。迫力がすごいよね」
機嫌が少し直ったことにホッとした私は大きくうなずいた。
「ああ、実羽知ってるか? あの大仏さんが背負ってる龍がいただろう?」
「うんうん」
必死で笑顔を作って同意する。
「タイでは大仏さんがあの龍を使って幸福をみんなに運ぶ、って言われてるらしいぞ。だから、大仏さんだけでなく龍にもお祈りするといいんだってさ」
「へぇ、知らなかったー」
今度サムイ島に行ったらそうしよう、と思わず言いそうになったのをなんとか飲み込む。
「まぁ・・・。お父さんはお姉ちゃんの結婚には大反対だけど、仕方ない・・・のかも・・・な」
さびしそうな表情のお父さんが、少し切なかった。
毎日のようにソムチャイとLINEをしあう日々。
日本語が通じないので、ローマ字で。
ソムチャイは無事に退院して、元気にホテルで働いているとのこと。
お姉ちゃんの結婚は冬前に決まり、反対しながらお父さんもその気になってきているよう。
夏はどんどん過ぎてゆき、日焼けの跡も薄れてゆく。
それを確認するたびに、逆に募る会いたい気持ち。
____夏休みが終わるころ、だんだんとLINEの返事が少なくなっていった。
私も学校がはじまり、さわがしくにぎやかな日々に追われてゆく。
あんなにゆっくりと過ぎたサムイ島での時間も、日本にいると悲しいほど早い。
LINEの返事が短くなってゆくのを、胸の片隅で静かに傷ついてる。
それでも、ソムチャイへの気持ちは変わらなかった。
やがて夏は行き、
風が涼しくなり、
ソムチャイからの返事は来なくなった。
日曜日の朝。
LINEのお知らせ通知を確認しても、ため息。
ソムチャイへの想い。
それが大きくて苦しい時期は終わって、私は、
「自分が好きならそれでいい」
という、変な心境になっていた。
その日も、部屋でゴロゴロしていると、
「実羽~」
と下でお母さんが大きな声を出した。
「はぁい」
返事だけして、スマホのゲームを続けていると、
バンッ
と部屋のドアが勢いよく開いた。
「ちょっ・・・どうしたの?」
お母さんが右手に握りしめているもの・・・。
これって・・・。
「昨日届いてたみたい。今、新聞取りに行ったらあったの」
そう言って差し出したもの、それは、エアメールだった。
「お姉ちゃんから?」
手を伸ばして受け取った。
「そう」
お母さんは一緒に見るつもりらしく、絨毯に座り込んで手紙をじっと見つめている。
「はいはい、開けますよ」
せかされるように、開ける。
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親愛なる妹 実羽へ
緊急事態発生。
航空券を同封しておいたから、
すぐに来てください。
果凛より
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読み終わった私が声をあげるより早く、
「なんなの、これ!?」
とお母さんが立ち上がった。
「お母さん?」
「このチケット、明日出発の便じゃないの!」
「・・・?」
「あの子はほんっとにロクなことしないんだから! 実羽、これはダメよ。学校だって始まってるんだし、行っちゃダメ」
「でも・・・」
よく見ると手紙の中には、またeチケットが同封されていた。
たしかに明日の日付だ・・・。