「果凛は・・・しあわせなのね?」
「・・・うん」
「そう、よかった」
その表情はやわらかく微笑んでいた。
「お父さん?」
寝室の前で声をかけてみる。
「・・・」
「お父さん、入っていい?」
返事がないのを了解の合図と理解してドアを開けた。
真っ暗な部屋で、ベッドに腰かけている。
・・・まったく、もう。
黙ってそばに行き、隣に座った。
なんて話せばいいのか言葉を探していると、
「・・・間違いだったんだ」
と、おとうさんが小さくうめくように言った。
「え?」
「そもそも、卒業旅行でサムイ島に行きたいって言ったときに許すんじゃなかったんだ」
「もう・・・」
私は苦笑する。
「今さらそんなこと言っても仕方ないじゃん」
「かわいいひとり娘が外国に住んで、しかも外国人と・・・」
声が震えている。
また泣いているようだ。
「あのね、お父さん。お姉ちゃんはあまりワガママは言わない性格でしょう? 代わりに私がワガママだらけだったじゃない」
「・・・ああ」
「その分、お姉ちゃんがこうと決めたら、それは意地でも押し通したじゃん」
「そうだったな・・・。高校を決めるときも、外国に住むときも。決めたことは絶対ゆずらなかったもんなぁ」
顔を上げてなつかしむような目。
「結婚を反対しても無駄だよ。それより、きちんと祝福してあげてください。お願いします」
ブンブンとお父さんは子供のように首を横に振った。
「いやだ」
「もう」
「それだけはイヤだ」
「ほんっと、そっくりな親子なんだから。ねぇ、一度サムイ島に行ってみてよ。すんごくステキなとこなんだから」
「・・・ってる」
ボソリとつぶやく。
「え?」
「知ってるよ。サムイ島なら」
今度は私がびっくりしてお父さんを見る番だった。
「行ったことあるの?」
「遠い昔、な。タイにもお父さんの会社があって、まぁそこは人にまかせっきりだけどな。ついでにサムイ島にも連れて行ってもらったことがある。もう、10年も前の話だ」
へぇ・・・。
そんなこと一度も聞いたことなかった。
「じゃあ、いい場所ってことは知ってるんだよね? 海もキレイだし、青空もすんごい広いんだよ」
「お父さん、あそこが気に入ってな。ビッグブッダって言う・・・」
______ソムチャイ。
ビッグブッダでソムチャイと見た景色。
金色の大仏。
胸がトクンと息をした。
「お父さんもビッグブッダ行ったんだ? 私もあそこすごい好き」
「へぇ」
お父さんが目じりを下げた。
「実羽も見たのか、大きかっただろう?」
「うん。迫力がすごいよね」
機嫌が少し直ったことにホッとした私は大きくうなずいた。
「ああ、実羽知ってるか? あの大仏さんが背負ってる龍がいただろう?」
「うんうん」
必死で笑顔を作って同意する。
「タイでは大仏さんがあの龍を使って幸福をみんなに運ぶ、って言われてるらしいぞ。だから、大仏さんだけでなく龍にもお祈りするといいんだってさ」
「へぇ、知らなかったー」
今度サムイ島に行ったらそうしよう、と思わず言いそうになったのをなんとか飲み込む。
「まぁ・・・。お父さんはお姉ちゃんの結婚には大反対だけど、仕方ない・・・のかも・・・な」
さびしそうな表情のお父さんが、少し切なかった。
毎日のようにソムチャイとLINEをしあう日々。
日本語が通じないので、ローマ字で。
ソムチャイは無事に退院して、元気にホテルで働いているとのこと。
お姉ちゃんの結婚は冬前に決まり、反対しながらお父さんもその気になってきているよう。
夏はどんどん過ぎてゆき、日焼けの跡も薄れてゆく。
それを確認するたびに、逆に募る会いたい気持ち。
____夏休みが終わるころ、だんだんとLINEの返事が少なくなっていった。
私も学校がはじまり、さわがしくにぎやかな日々に追われてゆく。
あんなにゆっくりと過ぎたサムイ島での時間も、日本にいると悲しいほど早い。
LINEの返事が短くなってゆくのを、胸の片隅で静かに傷ついてる。
それでも、ソムチャイへの気持ちは変わらなかった。
やがて夏は行き、
風が涼しくなり、
ソムチャイからの返事は来なくなった。