「実羽ちゃん」
声に振り向くと、由衣さんが駆け足でやってくるところだった。
「由衣さん」
「あーよかった。まにあったわ。まったくあのタクシー、めっちゃトロいねんて」
と、走り出そうをしているタクシーを指さして言ってる。
「わざわざ来てくれたんですか?」
「あったりまえやがなー。ほら、これ」
そう言って、私に小さな目薬のようなものをくれた。
「これは?」
「開けてみぃ」
キャップをはずしてみると、
「うわぁ」
あたり一面に、甘くてやさしい香りが漂った。
「これって、香水?」
そう尋ねると、満足そうに由衣さんはブイサインを作った。
「そう。実羽ちゃんをイメージしてブレンドしてみてん」
「すごくいい香り!」
「よかったわー。飛行機にはこのサイズしか持ちこみできへんから、また果凛ちゃんに渡して送ってもらうからな」
力強くうなずく由衣さんが、ますます大好きになる。
「あ、そうや、実羽ちゃん。渡辺社長を訴えないでくれてありがとうな。本人、すごく感謝してたわ」
「ああ・・・。もう、いいんですよ。アイスも元気になったみたいだし」
私が渡辺社長を訴えないことで、彼の容疑はなくなった。
ウアンは殺人未遂で拘束されているが、人身売買のことは伏せているのでアイスも退院後は釈放されるようだ。
・・・これでよかったんだ。
「それじゃあ、また来るね」
「実羽っ」
お姉ちゃんが耐え切れない感じで急に私を抱きしめた。
「お姉ちゃん」
「実羽。ぼんどにあでぃがどう」
なんとなくお礼を言われているような。
「私こそ、本当に良い夏休みだった。すっごくすっごく感謝してるよ」
久しぶりに会えたお姉ちゃん。
ソムサックや由衣さん。
そして、なによりソムチャイとの出逢い。
これで、終わりじゃない。
ここからが始まりなんだ。
手を振り別れる大好きな人たち。
ありがとう、みんな。
ありがとう、サムイ島。
よいことも悪いことも、全部含めて、大好きです。
第6章
空に咲き 海に散る
重いスーツケースをなんとか玄関まで引きずると、
「ただいまー」
と、家のドアを開けた。
朝の6時に日本にようよう到着したけれど、飛行機の中であまり眠れなかった私は疲れ果てていた。
すぐにでもベッドにもぐりたい気分。
なのに・・・。
「お父さん?」
目の前には仁王像のような顔をしたお父さんが立ちはだかっていた。
その顔は、真っ赤になっていて怒っているのがわかる。
「え・・・? どうしたの?」
リビングからお母さんが顔だけ出して、苦い顔を見せた。
「サムイ島に行ってたんだってな」
・・・げ、まずい。
「こっちに来なさい」
そう言うと、背を向けて歩いてゆく。
「・・・はぁい」
荷物はそのままにトボトボとついてゆくしかなかった。
ソファに腰かけた私は、
「ふぅ、やっぱり家がいちばん!」
と明るく声をあげてみた。
ギロッとこちらをにらむお父さん。
そのまま腕を組んで正面に座った。
お母さんに助けを求めようとしたけれど、お茶を入れながらチラチラこっちを見ているだけ。
「昨日、サムイ島の警察からお前に電話があった」
短く言ってお父さんはこれみよがしにため息をついた。
「え・・・なんでだろうねぇ、ハハ・・・」
「ごまかすんじゃない!」
大きな声に縮こまる。
「通訳の人の日本語がよくわからなかったが、お前がなにをしてたのかはだいたいわかった」
肩をすぼめて小さくなっている私に、お父さんは2度目のため息をつく。
「全部、話しなさい」
お母さんが、冷たいお茶の入ったグラスをふたつ置くと、
「・・・ごめんね」
と小さく言った。
これは覚悟を決めるしかない。
私はお茶を一気飲みした。
“緊急事態”のエアメールが来たことからゆっくりと話し出す。
お姉ちゃんの結婚宣言の話をしたときにお父さんの顔は真っ赤になり、私が拉致された話では顔を真っ青にして震えていた。
・・・ソムチャイとの話はさすがにできなかった。
話ながらもソムチャイに会いたくなる。
「これで全部」
1時間近くかけて話し終えた私は、そう言うと口をつぐんだ。
次はお父さんの説教タイム。
普段はあまりしゃべらないのに、こういう時だけやたら話が長いんだよな・・・。
チラッとお父さんを盗み見すると、
「うう・・・」
泣いてるし。
「あ、あの・・・?」
「果凛が・・・結婚だって?」
・・・やっぱ、その話だよね。
「実羽、あんた戻ってくるように説得してくれたんじゃないの?」
お母さんが横から私に尋ねる。
「ううん・・・。あれは、無理」
お手上げのポーズをした。
お父さんは涙をゴシゴシとぬぐうと、
「お、お父さんは認めないぞ。外国に行っただけでも反対なのに、けつ、けつ、結婚だってぇ」
と、今度は怒りに感情がシフト。