いかんいかん、また暗くなるとこだった。

大股で私は歩き出す。

ちょうど向こうから大きな黒い車が向かってくるところだった。

道の端に寄り、行き過ぎるのを待つ。
車はスピードを落として私の横へ。

そして、急にキュッと音をたてて車体が止まると、後ろのドアが勢いよく開く。

なにか袋のようなものが見えたかと思うと、

「え?」

私の視界は真っ黒になった。


袋をかぶせられた!?

なにか短く怒鳴るような声がしたかと思うと、ひょいと体が地面から浮かぶ。
「ちょ。ちょっと!」

もがいて声を出した時には私の体はシートに投げつけられた後だった。

すぐに隣に誰かが乗り込むと、強引に手を後ろにまわされる。

恐怖で体が硬直する。

いったい何が起きてるのかわからない。
金属の重なる音がして、後ろ手にまわされた腕は動かなくなった。

それが手錠だということを理解するのに時間はいらなかった。

「やだ、やだ、やだ!」

足をできるだけ動かすと、それを強い力で抑えつけられる。

殺される!?

知らずに体が震えだした。
車はスピードをあげて走り出したようだ。

シートに身体がひっつく。

「やめて・・・」

あごがカチカチ音をたて、止まらなかった。
汗は、暑いからじゃなく恐怖からの冷や汗。

となりの人は、私が暴れないことがわかったのか、押さえていた手を離した。

その時、私はあることに気づいた。


隣の人・・・。


「ね・・・ひょっとして・・・」

そこまで声に出したとき、なにかが強引に口に当てられた。
ツンと薬品の匂いがする。

「んーーーー!」

必死で逃れようとするが、あまりに強い力でひきはがせない。

ドラマとかではよく、なにかを嗅がされた人が瞬時に気を失う場面をよくやっているが、現実はぜんぜん違う。
袋越しだからか、意識はまだあった。

まるでクモにとらえられた獲物が逃げようともがくように、徐々に力が入らなくなる中でも必死で体を動かす。
そのたびに、薬品が鼻に当てられる。

何度か繰り返しているうちに、体の感覚がなくなってゆき急激に眠気が襲ってきた。

・・・お姉ちゃん

・・・ソムチャイ

そして、暗闇が訪れる。

















私は海に浮かんでいた。


不思議に、泳がなくてもぷかぷか浮かんでいる。

空は青く、海との境界線がわからないほど。

「空に浮かんでるみたい」

そう言うと、
「ほんとだね」
と、すぐそばで声がした。


「ソムチャイ?」

視線はそのまま空に向けて、聞く。

「実羽」

その言葉が心地いい。
体を起こすと、目の前にソムチャイがいた。

ソムチャイは微笑んで私を見ている。

「ソムチャイ」

もういちど言う。

「そんなに呼ばなくても、ここにいるよ。いつだってここにいる」

「日本語上手になったね」

「実羽の言葉が僕に響くから」

そう言うと、ソムチャイは私の両手をにぎった。

泳いでないのに、やっぱり私たちは海に浮かんでいた。

「私、日本に帰りたくないよ」

なぜか私はそう言っていた。

ソムチャイはだまって私を見つめている。

「帰りたくない」

もう一度繰り返すと、ソムチャイは空に顔を向けた。

まぶしそうに瞳を閉じると、
「空はつながっている」
と、言った。

空はつながっているから、離れていても大丈夫ってこと?

なんだか急に悲しくなる。

それでも、涙はあふれない。

「空はつながっている、か」

そう言ってみると、ソムチャイはうなずいた。
「僕がいなくなっても、どこかでつながっているからマイペンライ」

笑顔なのが余計に傷つく。

「・・・そうかもね」

どんどん悲しみが大きくなり、それとともに青空には黒い雲が広がっていった。
まるで墨汁をこぼしたみたいに、真っ黒になる空。

「雨がふるよ」

そう言って、ソムチャイは手を離した。

「うん、帰ろう」

私は言った。

そしてソムチャイを見ると、
「え?」

だんだんと、ソムチャイの体が水に沈んでいくところだった。
「ソムチャイ、どうしたの?」

ソムチャイのあごが水につかっている。

手を伸ばしてその体をつかもうとするけれど、なぜか体が動かなかった。

「空はつながっている」

ソムチャイはそう言うと、水の中に沈んだ。

「ウソ、ウソ! ちょ、ソムチャイやめてよ!」

手を伸ばしたい。

手を。

それでもまったく体が動いてくれない。

一気に雨が頭上から降り出した。


激しく、水面を叩く。