そう、私はこのホテルが好き。
そこにはソムサックやお姉ちゃんがいつも笑っていて、そして、そこにソムチャイがいるから・・・。
「宝石って名前のホテルだよ。手放すのは簡単だけど、今回の理由は納得できない。このホテルを愛するお客としては、黙っていられなかったの。心配かけたのはごめん、ごめんね」
「そっ、そんなこと思ってくれてたの?実羽・・・ウウ」
単純なもので、もうお姉ちゃんはうれし泣きに変わっているようだ。
でも、そんなお姉ちゃんが私は大好き。
「実羽ちゃん。しばらく気をつけたほうがいい」
ソムサックが両肘をついた手にあごを乗せてそう言った。
「それ、僕も思う」
同意するソムチャイ。
「気をつける?」
「そう。ウアンは不動産屋でもキュウバンの良くない男。これから、なにするかわからない。・・・だけど、このホテルの支配人として言います、ありがとう」
あごを手からおろして、ソムサックは深く頭を下げた。
“キュウバン”じゃなくって“評判”だと思ったが、黙っていることにした。
「ウウ・・・気をつけるのよ。ありがとう」
お姉ちゃんも頭を下げたのを見て、私は首をふった。
「大丈夫。これで宿泊料がタダになるんだからさ」
「え?」
ふたりがハモって顔を上げたのを見て、私は指を1本立てて口を開く。
「お礼は言葉より現物でね」
ぽかーんとした顔のふたりに、
「じゃ、おやすみ~」
と告げて私は部屋に戻った。
第4章
ここから光は見えない
目が覚めるとすぐに、昨日の出来事が思い出されて自然に顔がほころんでしまう。
メオの食堂のことじゃない。
ソムチャイとビッグブッダに行ったこと。
バイクで抱きついた背中。
ベンチで抱きしめられたこと。
すべてが私の細胞を喜ばせている、って言ったらおおげさか。
でも、なんだかうれしくて幸せで、人を好きになるってすごいことなんだと感じちゃう。
そして会いたい気持ちは膨らんでゆくのかな。
みんな、こんなふうに人を好きになってゆくの?
だとしたら、すごいなぁ。
窓からの景色も、青い空も全部が好き。
それは、ソムチャイのおかげ。
携帯からランダムに歌を流して、またベッドに横になる。
「好き」
つぶやいてみた。
「ソムチャイが好き」
もう一度。
言葉にしなくても、もう、本当に好きになっていたんだ。
自分でブレーキをかけられないから、その分、恋はすごいのかも。
起き上がって、パスポート入れからeチケットを取り出す。
4日後の日付が印刷されている。
「そっか・・・」
急に胸が苦しくなる。
ざわざわ、波のように押し寄せる。
私は・・・帰らなきゃいけないんだ。
さっきまでの幸福感がウソのように息をひそめ、代わりに湧き上がる感情。
これは・・・。
切ない、というものなのかな。
ソムチャイに会えなくなる。
その現実が急に目の前につきつけられたような気分。
そんなのはじめからわかっていたことなのに、彼をただ好きでいればいい、って昨日思ったばかりなのに・・・。
携帯から流れる音楽が、私に言う。
『苦しいのは、見返りを求めるから』
好きな歌だったはずなのに、これまで歌詞の意味をあまり理解していなかった。
まるで、今の私を表しているかのような歌に心が反応してる。
また、歌が私に教える。
『あなたのことばかり考えている あなたはきっと 違う毎日を過ごしているのに
ひとり 立ち止っているみたい 動きたいのに 足は動かない』
ベッドに座ると、しばらくぼんやりと時間を過ごした。
廊下から響く、ドアの開いて閉まる音。
外国人の話し声。
どれくらいそうしていただろう。
「よし」
気合を入れて立ち上がる。
シャワーを浴びて気分を一新すると、いくらか気持ちが前向きに変わってきた。
考えていても仕方ない。
時間がないなら、その分ソムチャイに会おう。
そして思い出をつくろう。
私はドアを出て、ロビーへ顔を出した。
アルバイトらしい女の子が、
「Hello」
と挨拶してくれた。
「あの、えっと。ソムチャイ?」
なんて言っていいのかわからずにそう言うと、彼女は困ったような顔をして、
「He is sick」
と告げた。
それくらいの英語なら私にもわかる。
「病気なの? ソムチャイはどこに・・・えっと、Where?」
彼女は、ああ、というふうにうなずいて、指で天井を指した。
「rooftop」
「ルフト? ごめんわからない」
首を振ってそれを示すと、
「Oh、・・・housetop」
と言い換えた。
上で、ハウストップ・・・。
「あ、屋上だ。てか、屋上あったんだ? どっからのぼるの? Where?」
尋ねながら、日本に戻ったらちゃんと英語を習わなきゃ、と決意を新たにした。
教えてもらった従業員専用の階段を登っていくと、屋上に出た。
屋上はすでに日の光に満たされていて、目が開けていられないほどの反射。
その向こうに、小さな建物が見えた。
屋上に、ひとつ家を建てたかんじだ。
ドアをノックすると、すぐにソムサックが顔を出した。
「実羽ちゃん」
驚いた顔をする彼に、私は事情を説明した。