なにかが胸からこみあがってくる。


心臓?


息ができない。

「チューレンは、親がつけるね。悪魔に子供をとられないように、動物、食べ物、体のこととか」

ソムチャイの言葉は、ささやくように聞こえる。

そして、どんな言葉よりもすっと頭に入ってきた。

「うん」

うなずくと、ソムチャイのシャツが鼻をくすぐった。

時間が、本当に止まってほしい。

お姉ちゃんなら、きっとうれしすぎて泣いてるはず。

こんなに感動しているのに、私はまだ泣けない。

目を閉じてみてもそれは同じだった。

ソムチャイが体を離して微笑みかける。

「タイは、子供泣いたらhugして落ち着く」

えと、hugは抱きしめるって意味・・・。

「ちょっと! 私は子供じゃないもん」

「Oh、sorryね。ビッグチャイルドね」

「なにそれ」

そう言いながら、どんどん笑顔がこぼれてくる。
こんなに笑い続けたことないな。

・・・あれ?

「違うよ、ウアンの情報の話してたんじゃん」

思いっきり脱線してるし。

「ああ」

思い出したようにソムチャイは手を打った。
「ウアンは、あまり知らない。でも、奥さん大好き。街で見る。手をつないで仲が良いね」

「へぇ、すてきだね・・・て、ちょっと! そんなのじゃなくってさ、弱点がわからないと困るじゃん」

「でも、わからない。メオに聞くか?」
肩をすくめるソムチャイに、私はうなずいた。

このまま、あのホテルを手放したらもったいない。

もちろんソム兄弟やお姉ちゃんは、きっとそれでも納得して生きてゆくんだろうけどさ。
なんだか納得できないもん。


私たちは、メオの食堂に向かうことにした。








メオの食堂についた時、すぐに普通じゃない状況がそこにあった。

「メオ!」

ソムチャイがメットを投げ捨てて走り寄った。

散らばる食器。

逃げ出す客たち。

そして、ふたりの男。

ウアンとその部下のやせっぽち。

オープンキッチンの中では、おそらくメオの両親だろうと思われるふたりの姿が見えた。
悔しそうな顔でにらみつけている。

前回と違って、私は冷静だった。

全体を見渡して考える余裕もあった。

メオはうつろな目で、食器を片付けている。

かばうようにソムチャイがメオのそばにしゃがみこむ。
メオの両親も駆け寄る。

ウアンが私を視界にとらえて、またニヤニヤしだした。

ソムチャイがなにか怒鳴っているが、私は黙ってウアンの視線を感じながらソムチャイのそばに行った。

考えなくちゃ・・・。

なんとかしなくちゃ。

怖い、というより、クイズの答えを探すかのような気分。
相変わらずウアンは私を見ている。

大好きな奥さんがいるくせに、まったく男っていうやつは・・・。


・・・ん?

大好きな奥さん?
ウアンは奥さんが大好き。
街でも仲が良い・・・。

これを逆に考えるとするならば・・・。

「ソムチャイ」

私は目線をウアンにロックオンしたまま、声をかけた。

「ん?」

声に怒りを含ませたままソムチャイが答える。

「今から私がやること、止めないで」

その言葉にソムチャイが立ち上がって、私のそばに来た。

「なに?」

「店の奥、かりていい? 私が“助けて”って言うまで、絶対に来ないでほしいの」

「だめ、なに考える? 危ない、やめる」
私はソムチャイを見る。

不思議と心が落ち着いている。

「プロイホテル、私大好き。だから、お願い。うまくいくかわからないけど、やる価値はあると思うの」

かんたんな言葉を選ぶことができなかったけど、ソムチャイは黙って私を見ると、
「わかった」
とうなずいた。

「じゃあ、メオのそばにいてあげて」

そう言うと、私は少し離れた場所に移動する。

目線はウアンに向けたままで。

私は、この島ではただの観光客。
ソム兄弟やお姉ちゃんたちのように、まだ家族にはなれない。

でも・・・彼らにはいつも笑っていてほしい。
特に、ソムチャイには悲しい思いをしてほしくない。

それだけは、たしかなこと。
体に力が入っているのを感じて思わず苦笑。

・・・しっかりしなきゃ。

大きく力を抜いて、ウアンに微笑みかけてみる。

一瞬、驚いたような顔をしたウアンがさっきよりもニヤけた表情をつくった。

私も、少し歯を見せて斜め下から見上げるようにウアンを見つめ返す。

ソムチャイもメオも部下の男も、なにか言い争っていて私たちを気に留めていない。

私は、小さく指で店の奥を指した。

ぽかんと口を開けたウアンが、チラッと部下の男を見るとすぐに私を見てうなずいてみせた。

足早に私は店の奥へ行くと、あたりを見渡した。

いそがなきゃ!

あせる気持ちからか、ポケットから携帯を出すのがもたつく。

ようやく取り出すと、アプリを起動させ棚のようなものがある場所にケータイを置く。


ザッ


足音が聞こえ、振り向くとウアンが向かってくるのが見えた。

すぐに私は携帯を背にして立つ。

ニヤニヤしたウアンは何かボソボソと私に言ってくるが、わからないと首を振ると、
「OK OK」
とすぐそばまで近よってきた。

おじさん独特の匂いに顔をしかめそうになるけど、ここは我慢。

中学の時は演劇部だったんだからできるはず。


・・・セリフのある役はやった経験が少ないけど。