「ほら、見えた」
水平線から、オレンジの炎がゆらめくように朝日が顔を出した。
それと同時に、暗い海岸線や砂浜、そしてソムチャイの横顔が明るくなってゆく。
「これ、実羽に見せたかった」
そう言うソムチャイの横顔が光っている。
私の大好きな笑顔で。
こういうとき、素直に感激して泣ければいいのに、と思う。
そうすれば、うれしさが伝わるのに。
なのに、泣けない。
「ね、ありがとうってタイ語でなんて言うの?」
「ありがとう、は、コップンクラップ。女性が言うときは、コップンカー」
「そう・・・」
話している間に、どんどん太陽がその姿を水平線に見せてきた。
異国の地で、誰かと朝日を見ているなんてちょっと前なら信じられないこと。
それを、こうして今やっているんだ・・・。
「ソムチャイ、コップンカー」
心からそう言った。
「マイペンライ」
ソムチャイも笑った。
第3章
息をするように
毎日のように朝日を見に出かけた。
ひとりで行こうとしても、必ずソムチャイが待っていてくれて、それは私たちの日課のようになっていた。
ソムチャイと見る朝日は毎回、とてもすばらしかったし、それは写真におさめても伝わらない美しさだった。
ホテルの仕事の合間に、バイクで山からの景色を見たりもした。
少しずつソムチャイとの思い出が増えてゆき、それがうれしい私がいた。
ある日の朝、なぜかお姉ちゃんの仕事についていくことになった。
現地のツアーガイドをしているお姉ちゃんは、普段は事務仕事。
現地ガイドじゃ手が回らなかったり、日本人ガイドを指名されたときだけガイドもしているそうだ。
今日は事務の日、ということで私を社長に紹介したいらしい。
職場は、セントラルというデパートの中にあるツアー会社。
このデパート、サムイではもっとも大きな建物になるそうだけど、そうは言っても2階建て。
その分、敷地がすごく広くて、絶対ひとりなら迷子になりそう。
たくさんのショップが中に入っていて、観光客でにぎわっている。
「すごい人だねぇ」
お姉ちゃんに遅れまい、とついてゆきながら私は言った。
「ほぼ観光客でしょう? タイ人はここ、高いから来ないのよ」
「へぇ。外国人向けのデパートなんだね」
なんか不思議。
自分の国に自分のお金で、外国人向けの建物を作るなんて。
不思議そうにキョロキョロしていると、
「まぁ、それだけ観光客がお金を落としていってくれてるってこと」
と、なぜだか悲しそうにお姉ちゃんは言った。
ひとつのドアの前でお姉ちゃんは足を止めた。
「ここだよ」
ガラス張りのドアを開けると、クーラーの冷気が体をすり抜けて行った。
ツアー会社の事務所は、とても狭かった。
カウンターの奥には、デスクが4つ向かい合って配置されているだけ。
「おはようございます」
お姉ちゃんが声をかけると、いちばん奥に座っていたお父さんくらいの年齢の男性が顔を上げた。
「おはよう」
そう言ってお姉ちゃんを見て笑い、すぐに私の存在に気づいたのか目を細めた。
「社長、この子が妹です」
お姉ちゃんが紹介するので、私もあわてて、
「実羽です。はじめまして」
と頭を下げた。
「ほう、君が実羽ちゃんか。はじめまして、僕は渡辺浩史と言います」
口ひげをたくわえた、いかにも紳士っぽい穏やかそうな人だった。
「へぇ、タイ人じゃないんだね」
思わず声を出してしまってから、しまった、と口をふさいだけどもう遅い。
すぐ思ったことを口にしちゃうクセを直さなきゃ。
「ははは。サムイ島は観光客相手の仕事が多いからね。外国人が社長っていう会社は多いんだよ」
渡辺社長は気分を害した様子もなく、むしろ豪快に笑い声をあげた。
「実羽、社長はね、ここ以外にもレストランや不動産業など、たくさんの会社をやっているのよ」
お姉ちゃんがまるで自分のことのように自慢げに言うと、
「いやいや、どれもほんの小さな会社ですよ」
と、低音ボイスで笑った。
へぇ・・・、と渡辺社長を改めて見る。
50近いだろうその顔は、日焼けで真っ黒。
アゴひげは、白髪が混じっている。
来ている服はアロハみたいに見えて、なんだか陽気な印象。
「お姉ちゃんは、サムイ島に来てすぐにこの仕事をはじめたの?」
自分のデスクに座って、パソコンのスイッチを入れたお姉ちゃんに聞く。
「ううん。なんにも考えずにこっち来ちゃったでしょう? はじめはここにあるスーパーのレジをやってたの。でも、時給が考えられないくらい安くってね。寮に住んでたんだけど、言葉も通じないからストレスばっかりで・・・」
つらい話のはずなのに、なつかしむような優しい目でお姉ちゃんが言った。
「僕がちょうどここに店を出そうか、と考えていたところでね。スーパーに日本人がいる、って聞いてスカウトしたわけなんだ」
渡辺社長がお姉ちゃんの言葉を受け継ぐ。
「ほんっと、社長のおかげでこうしてやってこれたんです。感謝しています」
もうお姉ちゃんは、鼻をグズグズいわせている。
ほんっと、泣き虫なんだから。
「いやいや、僕よりもソムサック君のほうが君の助けになってるだろう?」
からかうような口調の渡辺社長。
すぐに、お姉ちゃんは顔を真っ赤にして、
「いやだ。ソムサックの話はまた別ですよ! もうっ」
と、照れている。
しまいには、
「ここ、暑くない?」
と私に尋ねてくる。