「やるの? 部活」

「うん、やるよ」

「やるのか」

「うん、やるよ」


当然なのに。休み中なんていくらでも時間を気にせずできるんだから、やらないわけがないじゃない。


「昴センパイはやりたくないの?」

「そ、そんなことないけどさ」

「おれは昴センパイと一緒にやりたいな」


あ、センパイの顔が赤くなった。口もごもごさせて、目も逸らして。

昴センパイってすぐに顔に出るんだよね。ごまかしてるつもりみたいだけどすごくわかりやすい。

あとクセも多いし。昴センパイのことを見ていると、いろんなのを見つけるんだ。

照れるとすぐ前髪さわることとか、気分が上がると語尾が伸びることとか。座っているとき、よく、左の膝を触ることとか。


「でも、さ、連絡取れないじゃん。休みに入ると今みたいに手紙渡したりとかできなくなるし」


昴センパイが自分の前髪をびよんと伸ばしながら言う。


「連絡取れないと、ちょっと困らないかな。急に来れなくなったとか、時間合わせるの、大変だし」

「そうかなあ。うーん」

「高良先生に頼む?」

「んー……めんどくさいけど……」


そっかあ、そうだなあ。

おれは夏休みだからって何かが変わるわけでもないと思ってたし、むしろずっと自由で楽にできるって考えてたけど。実際これまでと変わんないくらい人と会おうとするのって、結構大変なことなんだな。

中学生の頃の夏休みは、連絡取りにくいことを理由にして人と会うのを避けてたけど。それが自分に嘘を吐いてた自分の唯一の逃げ道だったけど。

まさかこんな風に、逆のことで、悩むようになるなんて。

「そうするしかないかな。順平くん間に挟むの、なんかいやだけど」

「ねえ真夏くん」


目を向けると、昴センパイがおれのことを見ていた。曲げた膝の上に頭を置いて、じっと、ちょっとだけ不安そうな顔で。

「なあに」って答えてもすぐには返事は戻ってこない。

どうしたのかなって思ったら、センパイの目がふいと別の場所を向いた。

体育座りした自分の爪先のあたり。昴センパイがよく見ているとこ。空と、反対の場所。


「あたしといて楽しい?」


言うまでは少し間があった。声も、すごく小さかった。


「どういうこと?」

「……あたしって、ほら」


でもそのあとは止まらない。昴センパイは、おれを見ないまんま。


「あたしって、あんまり喋るの得意じゃないし、真夏くんの好きな星の話にも詳しくないし、真夏くんに告白してる子たちみたいに可愛くもないしさ。そこら辺に埋もれてるその他大勢みたいなので、なんもいいとこなくて、全然、特別じゃないし」

「そんなのおれもだよ」

「真夏くんは……全然違うよ」


折りたたんだ膝に顔を埋めて、おれから、何かから、隠れるようにしながら昴センパイは言う。


「真夏くんはかっこいいし、人気者だし。なんか……きらきらしてるし。あたしとは違うよ」

「…………」

「それなのに一緒にいてくれるの、あたしは、嬉しいけど。真夏くんはこんなさ、あたしといて、楽しいのかなあって」


昴センパイの顔はもう見えない。こっちを向いてくれないから。じっとうずくまって何にも見ないようにして、自分のこと、どんどん傷つける。

昴センパイは全然違うって言うけど。違くなんかないんだ、おれもいつだっておんなじこと思ってる。

なんにもいいところないよ。人に好きになってもらえるような人じゃない。

いや、でも本当は違うかな。昴センパイが思ってるのとは別の意味でだけど。


昴センパイにとってのおれが、どんな風なのかはわかんないけど。

おれにとっての昴センパイは、その辺りに埋もれてるようなその他大勢の一部じゃない。ううん、それも違うね。むしろたくさんの中から見つけたんだ。

他とおんなじのはずなのに、おれには全然違うふうに見えた。昴センパイだけを見つけた。

たぶん、特別よりずっと、特別だったから。


「どうかな、楽しいかはわかんないけど」


昴センパイが少し顔を上げる。おれのほうを向いてくれた目はちょっとだけ赤い。

それを見つめ返してみる。ああおれ今、昴センパイの目に映ってるんだって、おれは、とても嬉しくなる。


「でもね、おれさ」


ねえ、昴センパイ。センパイは知らないだろうし、別に、知らなくてもいいけど。


「おれ、昴センパイと一緒がいいよ」


おれが今ね、どんな思いで昴センパイといるか。


センパイは、知らないんだ。







.。.:*・゚+.。.:* 宵闇フラッグ




今日は1学期の終業式。

朝から全校生徒が体育館に集まって、なんの意味があるのかもわからない校長先生の話を聞いた。

体育館は夏の暑さとたくさんの人の熱気が合わさって、むわっと気持ち悪い空気が溜まっている。じわっと滲むのはべたついた汗だ。垂れるそれは無視したまま、あたしは校長先生の声だけを聞いて天井に挟まったバレーボールを眺めていた。

もう夏だなあって、今さらなことを思う。



「引き続き、表彰式及び壮行会を行います」


司会の教頭先生がマイク越しにそう言うと、生徒のカタマリから外れて端に座っていた数人の生徒が立ち上がり舞台に登っていった。

いくつかの大会やコンクールで優秀な結果を残した人たちの表彰式だ。興味のない人が大半だけど、校長先生の話よりはずっと楽に見てられる。


順に名前を呼ばれて渡される賞状や粗品。あたしはまわりに合わせてぺちぺちと彼らに拍手を送る役目。

隣のクラスの女の子が、作文のコンクールで全国一の賞を貰っていた。あの黙々と作業をしていた美術部のグループが、立派な展覧会で入賞していた。

創部間もない水泳部が地方大会で上位に食い込んでいた。強豪と言われる有名な剣道部が、今年も順調に各大会で好成績を残していた。

そして、陸上部からは、この間の大会で優勝した生徒の表彰。


「おめでとう」


校長先生から賞状とトロフィーを受け取ったさゆきは、振り返ってこちらを向くともう一度深く頭を下げた。

同時に鳴る拍手。その間にさゆきがあたしのほうを見た気がしたけれど、こんな人数の中だもん、たぶん気のせいだと思う。

さゆきにも拍手を送った。ちょっとだけ長めにした。さゆきの表彰は一番最後だったから、叩きすぎで手のひらが少ししびれていた。

表彰式が一通り終わるとその流れで壮行会も行われた。

全国大会へ進むいくつかの部活動を激励するための会だ。インターハイへの出場を決めたさゆきも、その会の主役のひとりだった。


校長先生のふたたびの長い話のあと、選手である生徒たちの紹介があった。ひとりずつ前へ出て、マイクを持って挨拶をする。

さゆきの順番はまた最後だった。隣の剣道部の人にマイクを渡されて、照れくさそうに高い舞台の上から笑顔でみんなに手を振るさゆき。

その姿を眺めながら、ふと、去年あの場所に立った自分のことを思い出した。


あたしも同じように、みんなから大きな拍手を送られた。正直こそばゆかったっけ。褒められるのも、応援してもらうのもとても嬉しいけれど、本当のことを言うと少し困惑もしていた。

誰かが言うから。誰かのために。そういうつもりで走っていたわけじゃない。だから賞賛の声は素直に嬉しくても、いまいちピンとこなかったっていうのが正直なところだ。

誰かからより自分に一番褒められたかった。なんのためにって、いつだって自分自身のためにあたしは走っていたから。


他の誰よりも速く。100メートル先のあのラインまで。


鮮やかな景色を。心が止まるほどの青だけの景色を。どこまでも広がる世界を。

もっと。もっと。見ていたくて。


永遠に続きそうなほどに長かった。でも本当は、10数秒のほんのわずかの時間だった。

不思議なんだ。速く走れば走るほど、それはどんどん長く続くような気がして。あの景色も……まぶしい光にも、近づけるような気がして。


それは、あたしが持っていたとても強い光だった。

一本道のあたしの世界をいつだって明るく照らしていた、特別な。


あたしの、たったひとつの、光だったんだ──





お昼過ぎ。

帰宅する人や部活を始める人でまだ校舎が賑わっている中、人のほとんどいない階段の一番上までのぼっていく。

とんとん、ぺたぺた。最近より一層うるさくなったセミの声が閉めきられた窓を突き抜けて聞こえて、あたしのスリッパの足音と変な合奏を繰り返す。

とんとん、ぺたぺた。

屋上へ続くドアの前にはいつのものように真夏くんがいた。立ち入り禁止の札が貼られたロープをまたいで一番最後の階段をのぼりきる。それからは鍵を開けて一緒に屋上へ出るのが毎日の変わらない流れだ。

ただし今日はいつもと違った。何が違ったって真夏くんの様子だ。困ったように頭を抱えているし、何より第一声が「昴センパイ助けて」だったから。


「え、助けてって、何、どうかした?」

「ちょっと困ってるんだけど、どうしようもなくって」

「うそ、何それ何があったの、え、どうしよ!」


真夏くんがあたしに助けを求めるとか……ていうか真夏くんがこんな風に困ってるなんて珍しいし、よっぽどのことがあったのかな。

もしかしてストーカーにでも遭ってるとか? それとも彼女をとられた男に追いかけられているとか。

……どっちにしろやばいでしょ。大変だ、どうにかして守らないと!


「と、とりあえず逃げる!?」

「いや、逃げたくはないんだよね。だってちゃんと使えるようになりたいし」

「え?」

「これなんだけど」

「は?」

慌てるあたしをよそに、なんとも冷静に、真夏くんはひょいと右手をあたしに向けた。その手に持つのは見慣れた四角い機械。真っ黒な画面には覗き込むあたしの顔が映っていた。てかこれって。


「……スマホ」

「うん」

「誰の?」

「おれの」

「……何で持ってるの?」

「兄貴に頼んで買ってもらったんだ。これがあれば夏休みも、昴センパイと連絡とれるでしょ」


あたしは力が抜けたように細長い息を吐き出しながら、真夏くんの横にぺたりと座った。

真夏くんが持つスマホはあたしとおんなじ機種だ。最新のじゃないけれど、そんなに古くもないやつ。


「でもさ、買ったのはいいんだけど、全然使い方がわかんないの。だからすごい困ってるとこ」

「なるほど」

「おれはもっとカンタンな操作のやつでよかったんだけどさ、兄貴がそれはご年配の方用のって、イマドキの高校生がそんなん持っててどうするって言って。でもほんと使えなくって。ケータイ電話なのに電話の仕方もわかんない」


真夏くんはじっと画面を睨みつけたまま、本当に困ったような顔。そう言えばうちのおじいちゃんにケータイ持たせたときも同じような顔してたなあ。


「電話はこれだよ。電話帳とかに番号入れとけばすぐにかけられるし……あれ、いくつかもう入ってるね」

「家族の分は兄貴が入れてくれてたはず。あと、たぶん順平くんも勝手に入れてた」

「高良先生のはこれだね」

「ちょっとかけてみよう」


いいのかなって思ったけど、真夏くんがいいって言うから通話ボタンを押してみた。真夏くんの耳にスマホを当ててあげると、真夏くんはじっと黙って呼び出し音を聞いている。

「……出ない?」

「うーん、まだ……あっ、出た! 本当に繋がった!」


わっと真夏くんが嬉しそうな顔をした。スピーカーの向こうからあたしのところまで微かに声が聞こえるけれど、真夏くんはそれを無視してひとりで喜んで、一通り嬉しがったら「じゃあもう切っていいよ」って電話の向こうの高良先生とは一言も会話をせずに通話を終えた。高良先生ドンマイ。


「先生、何事かと思っただろうね」

「順平くんだからいいよ。ねえ、昴センパイの番号もおれのケータイに入れといて」

「あたしの?」

「うん。そのために買ったんだから。昴センパイのにもおれの入れておいてね」


早く、と真夏くんが急かすから、あたしは真夏くんの電話帳に自分の番号を入れて、それから自分のスマホに真夏くんの番号を入れた。

家族とか、友達とか、行きつけの整体院とか。そんなのが入ったあたしの電話帳に『宮野真夏』の文字が加わる。

真夏くんの名前と、真夏くんに繋がるケータイ番号。

うーん……なんか、これ、すごいことなんじゃないかな。


「……昴センパイ、今何考えてる?」

「真夏くんの番号って、高く売れるだろうなって考えてる」


みんな欲しがるだろうし。


「そんなことしたら怒るよ」

「あは、冗談だよ。真夏くんとのことは内緒だもん」


そうだよ。これはふたりだけの秘密なんだ。誰にも見せたりしないって。

あたしだけが知ってる、みんなが知らない真夏くん。