綺麗だなあって思ったんだ。とても。
真夏くんと、そこで輝く、ニセモノだけど、小さな光。
触れてみたくなった。どうしようもなく。
そのとても綺麗なものから、目を、離せなくって。
手を伸ばしたのは無意識で、気付いたのは、右の手のひらに自分のとは違う熱い温度を感じてから。
真夏くんの目がまんまるに開く。
数秒経ってから、ようやくあたしも、おんなじ顔をした。
「うわっ! ご、ごめんなさいぃっ!!」
慌てて両手を離したけどもう遅い。
え、今あたし何した? 何した!? ……なっにしてんだあたし!
真夏くんのほっぺた……触るとか!
「つい、ほんと……ごめん!!」
やっばい、やばい。顔すっごい熱いんだけど。もうやだ恥ずかしすぎる。今すぐ消えたい、帰りたい。
離したところでもう遅いよね。真夏くんおもいっきり驚いた顔してたし。そりゃそうだよ。
「綺麗で、あの、真夏くんの顔に、スバルいて……綺麗だなって、あの、ほんとにごめんねっ……!」
ああもう引くよね、さすがに引くよね。言い訳も何言ってんのかわかんないし。
綺麗だから触るとか、どこの変態だよあたし。
ただでさえ親しくない人に触られるのって嫌なのにね、いきなり顔とか。おまけに真夏くんの。
ほんと、恐れ多くて泣けてくる。
ああ、これって、土下座してもダメなパターンのやつかなあ。
「あたし二度と、手を伸ばして触れるような距離には近づきませんから……」
「別に、いいよ。嫌じゃない。びっくりしただけ」
「だよね、そうだよね、……ん?」
え、あれ。
なんだろ、今、なんて言った?
真夏くん、こっち見てくれないけど、今あたしが思ってたのと全然違うこと言ってなかった?
「真夏くん……お、怒ってない? 気持ち悪くない? 引かない?」
「怒ってないし気持ち悪くないし引かない」
「そんなバカな」
「ちょっと触られたくらいで怒らないよ。昴センパイはおれをどんな人だと思ってんの?」
「でも、真夏くんってパーソナルスペース超広そうだし。ベタベタ触られるのとか毛嫌いしてそうだし」
「確かに嫌だけど……昴センパイならいいよ」
あ、ほら、またそれだよ。
あたしならいいとか。何それ。そんなこと、言っちゃってさ。
あたしなんにも特別じゃないよ。きっときみのためになんて何ひとつできないし、他の誰とも違わないのに。
なんであたしならいいの? なんできみはあたしに構うの。
真夏くんは、何を考えてるんだろう。全然わかんないよ。きみのこと、なんも、わかんなくって。
それなのに、そんなこと言うんだもん。
なんか、あたし、変に勘違いしちゃったらどうすんの。
「あ、」
真夏くんが声を上げる。
一瞬目を瞑ったのは、伸びてきた手に驚いたせい。目を開けるとの同時に、ほっぺたに柔らかな感覚が触れて、ゆっくり温度が、伝わってくる。
真夏くんが笑っていた。あんまりにも、優しくて、やっぱり綺麗だって、そう思った。
「今度は昴センパイに、スバルがいる」
じわっと、一層熱くなったのは、決して気のせいなんかじゃない。
真夏くんの手のひら、まるで魔法みたいに、それに触れられたとこだけ焼けてるみたいに熱くなる。
泣きそうなくらい。こんなに、優しい熱なのに。
「昴センパイ、大丈夫だよ」
何がって、訊くこともできなかった。声は出ないまま、真夏くんが見上げた先を一緒に見てみた。
雨の日の夕暮れ時。小さな小さな、ふたりだけの宇宙の中。
「怖くなんかない」
明かりを全部追い出して、光を閉じ込めた手作りの夜空。
いくつもの光は消えないまま、瞬いて、ぐるぐると小さな世界を泳いで回る。
「真っ暗闇じゃないよ」
360度に広がる、たくさんの星を。
あたしはずっと、真夏くんと見ていた。
・゚゚・*:.。★。.:* 三日月ビビッド
夏休みまであとわずかという7月のなかば。
みんな間もなく来る夏の本番に浮足立っているけれど、当然授業はまだいつもどおりごく普通に行われていて、おれたちの時間を潰していく。
黒板のチョークの音、おじさん先生の低い声、ジワジワ鳴くセミの音。
生温い空気はその全部を絡めて体中にまとわりついて、うっとうしくて気持ち悪い。
夏は、あんまり好きじゃない。
空を見ている間は関係ないし、忘れられるけど、夏は、本当に、全然好きじゃなかったんだ。
窓の外を見ると、2年生が体育をしていた。
昴センパイのクラスだ。ドッジボールみたいだけど、あれはハンドボールなんだってこの間センパイが教えてくれた。
昴センパイはあんまり上手じゃなさそうだ。でもボールを受け取るたびに一生懸命投げているのはわかるから、適当にやっているわけじゃないみたい。
試合が終わって、コートから解散していくところで。ちょうど、昴センパイがこっちを見た。
おれはずっと見てたけど、昴センパイは今気づいたみたいでちょっと驚いた顔。手を振ってみたら慌てて目を逸らされて、代わりに近くにいた全然知らない人たちが騒ぎながら振り返していた。
「真夏くん、ちょっと、いい?」
呼ばれたのはお昼休みに入ったときだった。授業が終わってパンを買いに行こうと立ち上がったタイミングで、見計らったみたいに女の子がおれの席の前に来た。
最近多いな。夏休み前だからって、誰かが言ってたけど。
なんで夏休み前だと多くなるのかはわからない。正直、ちょっとめんどくさい。
「好きです。付き合ってください」
やっぱり。何度目だろう。昨日も別の人に言われたな。この間なんて昴センパイに見られちゃってたみたいだし。
校舎の南の端の踊り場。ちょっと来てって言われてここまで来て、その間に何言われるかなって考えてみたけれど、結果はやっぱり、思い浮かんだこととなんにも違っていなかった。
好き。だって。
泣きそうな顔、そんなに緊張してるのかな。
目の前の女の子は顔だけじゃなくて耳まで真っ赤に染まっている。目は伏せたまんま、前で両手をぎゅって握って。
「ずっと……真夏くんのこと好きだったんです」
「ずっと?」
「うん……入学式で初めて見たときから、素敵だなって思ってて」
可愛い子だ。小さくて、髪の毛さらさらで、本当に女の子って感じの子。確かおんなじクラスのはずだけど……名前は何だっけ。覚えてないや、申し訳ないな。
たぶん、あんまり喋ったこともないんだと思う。もしかしたら初めてとかかな。少なくともおれは覚えがないよ。
おれは、きみを全然知らない。
じゃあ、だったら。
だったらきみは、おれを。
「ねえ、おれのどこが好きなの?」
女の子がびっくりした顔をした。まさか、そんなことを訊かれるなんて思ってなかったって感じ。
そりゃそうだとは思うよ。おれも、こんなの訊くの初めてだし。
おれのどこが好きなの?
いつも、思ってたことではあるんだけど。
「えっと……かっこよくて、物静かなところとか、冷静なところとか……他の男子と違って大人っぽくて、ずっと、憧れてて」
女の子が、恥ずかしそうにもじもじしながら一言一言探すようにして答えた。
顔をより一層真っ赤にして。たぶん、うそじゃないんだろうな。この子はおれのこと、本当にそういう風に思って好きになったんだ。
「でもおれ、全然違うよ」
女の子が顔を上げる。さっきと同じ驚いた表情を浮かべたけれどちょっとだけ雰囲気が違うのは、怪訝そうな様子が、そこに含まれていたせいだと思う。
「そういう風に思うのは、たぶんおれが好きなこと以外に興味がないからだよ。だからわりと自己中心的だし、それに話すの苦手でつまんないと思うし、結構おれって、顔だけっていうか」
本当に、いいところ全然ないんだけど。かっこよくもないし、大人っぽくもないし、憧れられるような人でも全然ないんだ。
本当のおれは、そんなんじゃない。
「きみの思ってるおれとは違うよ」
「それでもいいから……付き合ってください!」
緊張で、声を裏返して。頭を下げる、小柄で可愛い女の子。
一生懸命なその姿を、じっと見て、少し、考えてみるけれど。
返す答えは本当は、最初から、決まっていた。
教室に戻るのが億劫で、5時間目はさぼることにした。
部室に行くか悩んで、でも暑かったから保健室に行くことにした。保健室のドアを開けたら、なんでか知らないけど、順平くんがいた。
「よお、真夏じゃないの。どうした、さぼりか?」
ぼりぼり、お菓子を食べながらソファの背もたれにもたれかかって、顔だけこっちに向けてる順平くん。
「なんでいるの順平くん」
「松田先生が出張中だからな、代わりに保健室の守りを任されてんの」
「うそつけ。順平くんこそさぼりじゃん」
「うそじゃねーし順平くんって呼ぶな! 学校では高良先生って呼べって言ってんだろ」
「はーい、タカラセンセ」
みっつあるベッドは全部空いていた。そのうちの一番奥のやつに寝っころがる。
シーツは真っ白な綺麗なやつだ。しわもなかったから今日は誰も使っていないみたい。かび臭くもなくてお日様のいい匂いがする。
涼しくて心地良いな。静かだし。余計なもの何にもなくて。
息を吐く。目を瞑る。寝返りを打って、もう一度目を開くと、窓の外の青い景色が目に映った。
真っ青な空だ。濃い青色。まるであの日みたいな、息も止まりそうな夏の景色。
「ねえ高良センセ」
呼ぶと、順平くんが「んー?」と応える。
「なんでロクに話したこともない相手のこと、好きになれるのかな」
順平くんがお菓子をかじる音がした。おれは足元の毛布をこそこそと、お腹のあたりまで持ってくる。
「なんだよ真夏、また告白されたのか」
「うん」
「まじか、羨ましいなあ。ちょっとわけろよ」
「いいよ」
「いや、よくねーだろ」
順平くんがため息まじりに笑う。
ピっ、てエアコンから音がした。たぶん温度を少し上げたんだと思う。順平くんは、おれが暑いのも寒いのも嫌いなのを、よく知っている。
「ねえ、なんでさ、おれのことを全然知らないはずなのに、好きになんてなれるんだろ」
いつも思うんだ。
絶対に、おれがホントはどんな人なのかなんて、あの子たちはわかってないんだろうにさ。
自分の見た目が人を惹きつけるものだってことはわかってるつもり。おれはこの顔そんなに好きじゃないけど。面倒なことはあっても、よかったことは特にないから。
あの子たちは、そんなおれの顔を気に入っているだけでしょう。中身なんて何ひとつわかっちゃいないんだ。
それなのに、好きとか。あんなに顔真っ赤にしてまでさ。
よく、言えるよなあって。