「先輩……?」
「……は……かと思った……」
「え?」
よく聞き取れなくて聞き返すと、先輩は唇を噛んでから……
ふっ……と、肩の力を抜いて、微笑んだ。
「良かった。無事で」
そう言って、私を支えて起こす。
そこにいるのは、いつもの柔らかい雰囲気を纏った水樹先輩だった。
私が再び感謝を伝えると、会長たちが駆けつけて。
水樹先輩の様子が少し気になったけど……
結局、私は何も聞けないまま、また掃除を再開した。
プール掃除の翌日。
若干、筋肉痛に悩まされてはいるけど、生徒会室の光景はいつもと変わらない。
黙っていれば最強イケメンの会長は、私と水樹先輩が作った議案書のチェックをしている。
三重野先輩は文化祭実行委員との連携について考えいている最中らしい。
赤名君と藍君は、会計の仕事がひと段落ついてるのか、のんびりと会話しているようだ。
そして、私と水樹先輩は……
「学園名はこのあたりにしますか?」
「うん。いいかもね」
パソコンを画面を見ながら、文化祭ポスターのレイアウトに取り掛かっていた。
ポスターのイラストは4月のうちに募集をかけていて、夏休み前にはすでには決定している。
そのイラストの雰囲気に合わせ、学園の名前や開催日の情報等をどこに入れるか、私たちでレイアウトを考えるのだ。
「あ、でも色は変えた方がいいかな」
……こんなやり取り、あった気がする。
頻繁に感じる既視感。
けれど、それを感じるたびに振り回されるのも疲れるので、この前みたいに迷惑をかけそうな事以外は気にしないようにする。
「何色がいいですかね」
「そうだなぁ……」
呟きながら、色のリストを見る水樹先輩。
穏やかなその表情に、ふと昨日のことを思い出す。
どうしてあんな泣きそうな顔をしていたのか。
あの時、先輩は何を言っていたのか。
確かめたいけれど、聞いてはいけない気がして。
「水色の文字を白色で囲もうか」
「はい」
私は普段どおりに水樹先輩と接し、平穏な日常を過ごしていた。
レイアウトも無事に決まり、陽が高くなり始めた頃。
水樹先輩が「あ」と声を出した。
「どうしたんですか?」
「うん。飲み物なくなりそう」
水樹先輩の手にしたペットボトルを見れば、確かにあと何口分も残ってない。
ふと気づけば、私の持参した水筒も軽くなっていた。
「良かったら私のを買うついでに水樹先輩のも買ってきましょうか?」
「それなら俺も一緒に──」
「あ、じゃあ僕のもお願いしまーす」
私たちの会話を聞いていたのか、水樹先輩の声をさえぎる様に赤名君が手を上げる。
続いて、赤名君の隣に座る藍君も「俺のもよろしく」と乗っかった。
すると、突然会長が立ち上がる。
「俺の真奈ちゃんをパシるとはいい度胸だ赤名に玉ちゃん」
「勝手に玉ちゃんとかあだ名つけんのやめてください」
藍君がちょっとだけ眉間にしわを寄せて嫌がるけど、会長はスルーした。
「というわけで、ここは水樹に頼もう。俺は炭酸系で!」
「いいけど、100回振ってから渡すよ?」
さりげなく自分の分も頼む会長に、水樹先輩が笑顔で応戦。
会長はこの世のものとは思えないものを見るような顔をする。
「恐ろしい子っ!」
そして、咳払いをひとつすると。
「じゃ、誰がパシリになるかあっちむいてほいで勝負だ」
あっちむいてほい勝負を提案してきた。
今までのやり取りを見守っていた三重野先輩がキッと会長を見る。
「ちょっと。私まで入ってないでしょうね、その勝負」
「そこは問題ないさ。女子は俺特権で休んでていいから」
こんな風に女子には優しい会長は……
「よーしヤロウ共は問答無用でスタンドアップ」
スイッチが入ると男子には容赦なかったりするんだよね。
それにしても、何であっちむいてほいセレクトなんだろうと思っていたら、藍君が質問する。
「てか会長、そこは腕相撲とか男らしく勝負じゃないっスか?」
「それだと俺がパシる率が上がる! だからあっちむいてほい」
それであっちむいてほいだったのか。
納得してると赤名君が明るい表情で会長を見つめる。
「さすが会長! 自分を理解した正しい判断!」
赤名君の言葉に水樹先輩が笑みを浮かべて。
「さすが赤名。尊敬してるのか貶してるのかわからないね」
的確な突っ込みに、私は思わず笑ってしまった。
そして──
結局負けたのは会長で。
「くぅ~っ。どうせ貢ぐなら真奈ちゃんだけが良かったよ。はい、俺の愛がこもった真奈ちゃんの分」
「あ、ありがとうございます」
どうやら、全員分おごりというオプションまでつけられていたらしい。
そして、これを機に、みんな少し休憩となった。
水樹先輩はペットボトルを手に立ち上がると、私を見る。
「外で休憩してくるけど、一緒に行く?」
「いいんですか?」
お邪魔じゃないかな、なんて思ったけど、水樹先輩は優しい笑みを浮かべて「もちろん」と頷いてくれた。
そうして、私たちが訪れたのは裏庭。
ここは日陰が多くて風も通るから、夏でも涼しく過ごしやすい場所なのだ。
私は先輩と並んで芝生の上に腰を下ろした。
少し離れた場所にはペチュニアの花壇が連なっていて、私はそれを目で楽しむ。
そういえば、裏庭で水樹先輩と過ごすのって初めてかも。
いつもは生徒会室か、もしくは先輩のお気に入りスポットの屋上。
この屋上で、私は水樹先輩と出会えたんだよね。
少し懐かしい気持ちになりながら、水樹先輩に視線を向けると──
先輩は、遠い眼差しで……
屋上のあたりを、見つめていた。
「……屋上、行きたいんですか?」
「……ううん。ここの方が涼しいし」
答える水樹先輩の視線は、まだ屋上を見つめたまま。
ぼんやりとした様子に、私はどうしたのかと瞬きを繰り返していたら。
「あんまり、好きじゃないしね」
そう、先輩は声を零した。
小さな声だったと思う。
今、強い風が吹いたら、そよぎ擦れ合う葉の音に紛れてしまいそうな声。
だから、聞き間違えかと思った。
だって、先輩は屋上が好きだったはず。
まだ太陽の熱が柔らかかった頃、水樹先輩を探しに屋上に行けば、ほぼそこでお昼寝してる先輩を見つけられるほどに。
それなら、別の何かを指してるの?
わからなくて、尋ねようと口を開いたけれど。
「少し早いけど、戻ろうか」
まるで、この話はお終いだと言うように、水樹先輩は立ち上がった。
また、聞けなかった。
昨日もそうだったし……
水樹先輩、何かあったのかな?
疑問に思いながらも先輩の半歩後ろをついて歩いていると。