アイドル様とは一緒にいられない

 ファイナル当日。

 もはや現実感すらなかった。はじめて一人で飛行機に乗って海外に来たのだ。まだ自分が大学に合格したことすら嘘のようなのに、全く知らない地面を踏みしめているなんて全然現実味がないに決まっている。
 あれよあれよという間にもう席についている。運がいいのか悪いのか。ファイナルのチケットは当たったけれど、今回もまた席は遠かった。俺の周りには拓也を推している人は一人もいなくて、嬉しいんだか悲しいんだか分からない。
 関係者席の中に、一方的に見知った顔を見つけた。拓也の家の玄関に飾られていた写真立ての中で、まだ小さな拓也と一緒に写っていた二人。
 よかった……お父さんもお母さんも、拓也の夢を応援してくれてるんだね。この広い会場の中に、絶対的に拓也の味方になってくれる人がいる。それがもの凄く嬉しかった。



 会場が暗くなって、アイプロ最後のパフォーマンスがすぐに始まった。曲は全部で三曲。ファイナルに残った十人全員でのステージと、五人ずつに分かれたステージ。
 会場の熱気は前回の比にならないほど凄かった。けれど、今回はガチオタクの俺はどこかへ行ってしまって俺は一人静かに黙っていた。拓也がいないステージですら、全く頭に入ってこない。心臓がバクバクドキドキうるさくて、何も聞こえてこなかった。それでも、拓也の姿だけはしっかりと目に入ってくるんだ。みんなパフォーマンスが終わって舞台袖に帰る時はファンに手を振っているのに、緊張しているのか拓也は下を向いてばかりだった。
 拓也、大丈夫だよ。一人じゃないよ、お前なら大丈夫だから、下向かないで。泣かないで。
 伝えたい言葉はたくさんあるのに、名前すら声にならなかった。
 ファイナルのイベントは意外とあっさりしていて、着々と進んでいった。
 心の準備もままならない状態で、十人の練習生がステージに並べられた。練習生の前には一本道。名前を呼ばれた人はここを歩いて反対側まで行くのだ。



 ついにその時がやってきた。
 


「それでは、デビューメンバー六人のうち、最終順位五位の練習生から名前を呼んでいきます。最終順位五位で見事デビューを掴んだ練習生は……」

 前回の拓也の順位だ。拓也の名前が呼ばれる可能性は十分にある。
 司会の言葉と共に、観る人の心を煽るようなBGMが流れる。
 金沢拓也……金沢拓也……金沢拓也。何度も何度も拓也の名前が呼ばれることを想像する。その度に、行かないでほしいと俺の心が想像の中の拓也を止める。
 やっぱり、こんな土壇場になっても俺は拓也の夢を応援しきることができなかった。
 でも、拓也の名前を呼んでほしい気持ちも決して嘘じゃない。どっちの気持ちも、俺の本当の気持ち。
 ――拓也の笑顔が見たいよ
 ――そっちに行かないで
 ――拓也の夢が叶ったら嬉しい
 ――ずっとそばにいてよ
 好きだから、大好きだからどちらの気持ちも捨てられない。息の仕方も忘れてしまった。胸が苦しい。
 名前が呼ばれた。別の人の名前だった。
 ホッとしてしまった自分が嫌だ。好きな人の夢を応援できる人でありたかった。
 拓也のけじめは、自分の夢に真摯でいること。俺のけじめは最後まで応援すること。そうだって思ってる。だから、胸がボロボロになっても、自分のことを嫌いになっても最後まで見守るんだ。

「続いて最終順位四位の練習生の名前を……」

 また拓也の名前が呼ばれるところを想像した。今度は、小さな声で拓也の名前を呼んでみた。
 心はうるさく拓也を引き留めるけれど、拓也の名前を呼び続けた。

「最終順位四位の練習生は……エル!」

 また違った。拓也と仲がいい練習生の名前だった。思わず双眼鏡を覗き込んで拓也を確認する。
 やっぱり下を向いていた。
 心の綺麗な拓也なら、エルの名前が呼ばれたら自分ごとのように喜ぶんだと思っていたけれど、そうではなかった。きっとそれくらい、夢に足掻いているんだ。



 三位の名前も違った。二位も一位も違った。別の人の名前が呼ばれる度に俺の心はホッとしたけれど、拓也はその度に暗い顔になっていった。
 そりゃそうだよな……拓也、頑張ってたもんな。前回の順位なんて五位だったし……努力を積み重ねただけ、それだけ憧れは強まるよな……
 俺って本当に心が汚いんだな。自分の気持ちばっかりで、拓也のこと、全然考えてあげられてない。
 残りは一枠。名前が呼ばれるのはあと一人。

「アイプロからデビューする、最後の練習生は……」

 最後の最後に俺の気持ちは決まってしまった。
 そっちに行かないでほしい。その一本道を歩いてしまったら、もうこっちには戻ってこれないから。
 最低だって分かってる。それでも自分の本当の気持ちに嘘はつけなかった。

 固く手を握って祈る。きっと周りから見たら、拓也の名前が呼ばれることを祈っているように見えるんだろう。
 ごめんね拓也。本当にごめん、一番の味方だって言ってたのに、嘘になっちゃった。

 すごく行って欲しくないんだけど、なんとなく拓也の名前が呼ばれる気がしてる。きっと、俺もお前も夢を叶えて、お互いの道を進む物語になるんじゃないかな。知らないけど。

 最後はもう、胸は苦しくない。諦めたみたい。何を諦めたのか分からない、全部諦めたのかも。俺の心は拓也に縛り付けられてるのに、意識だけどこか遠くにある感じ。とにかく、もう何も考えたくない。



 司会の人の口が開いた。
 会場内が沸き立つ。
 歓声で鼓膜が破れるかと思った。
 俺はまたしても何も声にできなかった。


 呼ばれたのは、別の人だった。
 心は何も感じていない。嬉しくもないし、悲しくもない。なのに涙が溢れて止まらない。何も考えられないのに、涙腺だけは正直だった。
 今はただ、泣き崩れる拓也を抱きしめたい。



 泣いて泣いて、泣き腫らした顔でホテルに戻った。
 俺がもっとちゃんと、心の底から応援してたら何か違ったのかな。受験を理由にしないで、布教活動を頑張ればよかったかな。
 そしたら、最終順位十位って文字を見て、泣くことすらやめてしまった拓也を見ずに済んだのかな。せめて思いきり泣き続けることができたのかな。
 ベッドの上に放り投げていたスマホが震える。ファイナルが終わってまだ一時間も経っていない。落ちた人はこんなに早くあの空間から追い出されちゃうんだ。
 ――ごめん
 それだけ。その一言だけが届いた。
 俺の方が謝るべきなんだよ! なんでお前が謝ってるんだよ! 拓也は全く悪くないのに、なんでっ……なんでこんな時くらい、自分を一番に考えないの⁉︎
 「俺の方こそごめん」と打ってすぐに消した。きっとこんな言葉を見ても拓也を追い詰めるだけだから。
 ――俺はいつでも暇だから。また話聞かせてね
 心が張り裂けてしまうかと思った。
 夜も眠れなくて、ずっとぼーっとしていた。いつ電話がかかってきてもいいようにスマホを握りしめて壁を見つめる。
 拓也はちゃんと寝れたかな。寝れるわけないよな……呼吸の仕方とか忘れてねえかな……ちゃんと生きてるよな?
 ずっと拓也のことを考えていたけれど、そこに恋愛感情なんてものは一切ない。そんな薄っぺらな感情じゃない。拓也に希望を捨てて欲しくない、ただそれだけを考えていたら、いつの間にか夜があけた。



 ――今通話できる?
 文字だけで言えば見慣れたもの。でも、そこに含まれたものは今までのものとは全く違うことは明白だ。すぐに俺から電話をかけた。

「もしもし……」
「……ごめん」

 拓也のものとは思えないくらいに小さくてか細い声。第一声が俺に対する謝罪なんて間違ってるよ。

「謝らないで……拓也は頑張ったよ。たくさん感動をもらった」
「うん……」
「昨日は寝れた?」
「寝れなかった。ずっと涙が出てきて」
「俺も……そりゃあそうだよね、それが普通だよ。何もおかしくない」
「うん」

 落ちてほしいなんて思わなきゃよかった。拓也にこんな辛そうな声を出させたくなかった。

「あんなに手伝ってくれたのにごめん……」
「俺の方こそ……力不足でごめん」

 謝らせたくなかった。

「大丈夫? ご飯は食べれそう?」
「今は……無理かな……」
「そっか……お水は飲めたら飲んでね」
「うん」
「昨日さ、会場にいたんだ」
「そっか……」
「頑張ったね」

 静かに泣く声が聞こえる。なんて言葉をかけたらいいか分からない。
 泣かないで、大丈夫だよ。拓也なら今から何にだってなれるよ。そう思うけれど、同時にたくさん泣いて欲しいとも思う。辛い時は泣けるだけ泣いた方がいいでしょう?

「とりあえずゆっくりしてさ……少しずつ楽しいことを考えていこうよ」
「うん……それで言うとさ」
「うん」
「俺、こんなに辛いのに……やっぱりアイドルの曲聞いてるんだよね……」

 拓也の言葉が強く強く心に刻まれた。拓也にとってアイドルって……そんなに大きな存在だったんだな。

「そっかぁ……」
「うん…………まだすぐには何もやる気にならないけどさ……」
「うん」
「もう少し頑張ってみようかな」
「うん、いいと思う」

 恋心を自覚してからはじめて、心の底からそう言えた。

「出し尽くせたって後悔なく言えるまで……それまで頑張ってみたい」
「うん、それが一番いいよ。人生は一回しかないからさ……自分の気持ちに素直でいることが一番だよ」

 素直でいることが幸せとは限らないかも知れないけどさ。

「あのさ」
「うん」
「俺、これからも拓也の味方だから。いつでも頼っていいし、いつでも雑談するからね」
「うん、ありがとう、本当に本当にありがとう」

 それから、何を話したかよく覚えてないくらいにいろんな話をした。合宿中の話もしたし、学校の話もしたし、全く関係ない話もした。二時間くらい話していたら、電話の向こうから寝息が聞こえてきた。
 少しホッとして通話を切った。
 きっと拓也はこの数ヶ月でアイドルへの憧れが強くなったんだな。
 拓也に気持ちを打ち明けるのはやめよう。少なくとも俺からは何も言わないでおこう。拓也が頼れる人でいたいから。拓也が泣きたい時に、涙を見せられる相手でい続けてあげたいから。
 きっと、恋愛感情が理由で協力してたんだって分かったら相談しにくくなっちゃうでしょう? 大丈夫、俺は一生かけて、拓也の一番の味方でいるよ。





 俺の初恋は誰にも共有しちゃいけなかった。ただ一人でずっとずっと耐えて、とにかく辛かった。胸がボロボロになった。恋なんて二度としたくないと思った。だけど、一生で一番の宝物だったと今なら胸をはって言える。
 こんなに人を尊敬したことはない。こんなに人を好きになったこともない。
 すごくすごく辛くて、自分のことも嫌いになってしまったりもした。それでも、こんな気持ちがあるんだって知れたから、俺の人生は今までとは比べ物にならないくらい豊かになったよ。






 一年半後。
 一年間通ってだいぶ慣れたキャンパス。晴れた空を見上げれば、風に吹かれて散った桜の花びらがヒラヒラと待っている。その一つを捕まえようとした。
「わざわざきてくれてありがとうな、遥先輩」
「ふふっ、変な感じ。入学おめでとう拓也」