
翌日の昼。
私のもとへ、早くも一件目のクレーム=『仕様への問い合わせ』が届いた。
「フェリシア・ルミナリア嬢!」
ルミナリア家の豪華な応接室へ、凛々しい青年の声が響き渡る。
クレーム担当者は、カイル・レオンハルト。勇者アレクの幼なじみにして副官だ。
そして彼の背後には――。
「カイル、もういいよ……僕なんて、スライムの体液で顔を洗うだけの男さ……」
勇者、アレク本人が、濡れた子犬のような顔で立ち尽くしていた。
「アレク! 己を卑下するな! 今日は彼女に抗議をしに来たんだ!」
カイルはしょんぼり勇者を庇うように前に出ると、ビシッと私を指差した。
「昨日のアレクに対する数々の非礼、到底見過ごせるものではありません! こちらは昨日、アレクが破損させた露店の弁償明細です!」
カイルが一枚の紙を机へ叩きつける。
【SYSTEM】『リンゴ三箱、木箱二つ、看板一枚、鳩への迷惑料――銀貨十四枚』
「銀貨が六枚不足していたため、私が立て替えました!」
「ごめんね、カイル……来月のお小遣いが入ったら、絶対返すから……」
「気にするなアレク! お前は勇者として買う装備が多いのだから!」
「あら。魔王を倒す勇者様が、副官にお小遣いを前借りですの?」
「ひ、必要な初期投資です!」
私は長椅子へ腰を下ろし、優雅に紅茶を一口飲んだ。
「それで? 私が『前を見ずにリンゴ箱へ突っ込み、四十七秒遅刻した挙句、スライムの残骸を顔面で受け止めた方』に非礼を働いたと?」
「そうです、その通りです!」
カイルは胸へ右手を当て、朗々と語り出した。
「彼はいずれ終焉の魔王を討ち、この世界を救うただ一人の英雄! そしてあなたは聖なる力を持つヒロイン! 勇者を支え、苦難を分かち合うのが名誉ある役目のはずだ!」
「なるほど。では、アレク様が魔王を討てるという『客観的かつ定量的な根拠』を教えていただけます?」
「…………え?」
カイルの口が開いたまま止まった。
私は侍女へ紙とペンを持ってこさせ、華麗なペン捌きで確認項目を書き始める。
「第一項。過去の戦績は?」
「幼い頃からの厳しい剣の修練が――」
「剣術の授業、この前赤点だったよ……」
「アレク!? 今その自己申告はいらない!」
「第一項、赤点」
紙へ優雅に、しかし大きく『×』を書く。
「第二項。魔力測定値は?」
「聖剣に選ばれた際、凄まじい光のエフェクトが天へ――」
「でも、聖剣振るとすぐ息切れするんだよね。体力測定もカイルの方が上だし」
「アレク!! お前は少し黙っていなさい!」
「第二項、すぐ息切れ」
再び『×』。
「第三項。魔王軍の戦力スペックとの比較」
「魔王の情報など、人類にはまだ……」
「魔王……怖いなぁ。カイル、討伐のとき一緒に行ってくれるよね?」
「も、もちろんだアレク! 私が君を全力でサポートして――」
「第三項。それ、カイル卿が一人で魔王と戦った方が早くありませんこと?」
「「……あっ」」
カイルとアレクの声が見事にハモった。
紙の上へ、三つ目の『×』が並ぶ。
「以上の検証結果から、結論を申し上げますわ」
私は三つの『×』が並んだ紙を、ふたりの前へ突きつけた。
「戦績は赤点、体力は副官以下、敵のデータもなし。つまり、アレク様が魔王を討てる『客観的かつ定量的な根拠』は現在のところ【ゼロ】ですわね」
「ぐっ……!」
「うぅっ……ぐうの音も出ない……」
「……その、絶望的な事実を踏まえた上でお聞きしますけれど」
私はあえてトーンを落とし、カイルの目を真っ直ぐに見据えた。
「昨日、アレク様が起こした問題を処理したのも、すべてあなたでしょう?」
「そういうわけではありません! 私はただ副官として不足した銀貨を払い、被害者へ謝り、泥まみれの彼を回収し、寮の洗濯係に頭を下げ……」
「……」
「……あれ?」
カイルの呟きが、だんだんと小さくなっていく。
「カイル卿。あなたは彼を『支えている』つもりでしょうけれど、彼が自分で立つ機会まで奪って、裏でバグ処理を被っているだけでは?」
「そ、そんなことは……」
「カイル……僕、君がいなかったら、ただのリンゴ箱クラッシャーだよ……」
「アレク! 君までそんな悲しい目で私を見るな!」
張り詰めていたカイルの顔が、大きく崩れた。
私の視界の隅で、残酷な金色のウィンドウがふわりと浮かび上がる。
【SYSTEM】『アレクの自己肯定感:10 → 3』
【SYSTEM】『カイルの勇者信頼度:100 → 99』
あれだけ致命的な事実を突きつけられて、信頼度『1』しか減らない。勇者アレクは私たちヒロインよりもカイルと愛し合った方が幸せなんじゃないだろうか。
私は内心のツッコミを必死に堪えながら、にっこりと微笑んだ。
「ご理解いただけたなら、お引き取りを。明日は王立魔法学園の入学式です。私も準備で忙しいので」
「ま、待ってください! 私はまだ、納得したわけでは――」
「お帰りはあちらですわ」
侍女が扉を開ける。
カイルは三つの『×』が並んだ確認表を握りしめながら、アレクの手を引いて応接室を出ていく。
扉が閉じる直前。
「カイル……帰り道、クレープ買って……」
「……ああ、そうだな。私の小遣いで買おう……」
哀愁漂う二人の背中を見送り、私は紅茶を一口飲んだ。うん。適温だ。
「……勇者への信頼より、副官への負担の方が深刻ね、あのパーティー」
一人になった空間で、私は誰にも聞こえない声でそっと息を吐いた。
――明日は王立魔法学園の入学式。

