夕日に照らされた平原の帰り道。
私は周囲に誰もいないことを確認すると、ピンと張っていた背筋を少しだけ緩めた。
「ふう……。この世界の仕様、だいたい掴めてきた」
素の口調に戻って、私は独りごちた。
強制イベントは、発生条件の穴を突けばスキップできる。戦闘イベントも、術式をバグらせてしまえば勇者を待たずに自力で処理できるし、接触イベントも笑顔でかわせばいい。
これなら、勇者にも攻略されず、私の好きなように生きていける。
そう確信した、直後。
ピピピピピピピッ!!
「きゃっ!? ……じゃなくて、うるさいわね!」
鼓膜を刺すような甲高いエラー音と共に、目の前に視界を覆い尽くすほど巨大な『赤黒いウィンドウ』が展開された。
まるで世界が息を呑んだかのように、空が不自然なほど暗く染まる。
風がピタリと止み、ざわめいていた森から鳥たちが一斉に飛び去っていく。
【SYSTEM】『WARNING(警告)』
【SYSTEM】『重大なシナリオエラーを検知しました』
【SYSTEM】『対象個体:フェリシア・ルミナリア』
【SYSTEM】『運命の出会い:失敗』
【SYSTEM】『勇者による救出:失敗』
【SYSTEM】『救出後接触:失敗』
【SYSTEM】『恋愛進行度:0%』
【SYSTEM】『対象個体を異常個体と認定』
【SYSTEM】『世界の強制力による修正プロセスを開始します』
【SYSTEM】『推奨行動:恐怖してください』
「感情まで指示しないでよ」
怖いと、本来なら、そう感じるようプログラムされた場面なのだろう。
実際、焦らせるような明滅が、巨大な警告画面から放たれている。
けれど、私の唇は勝手に楽しげな弧を描いていた。
仕様書なし。設計者不明。ろくなログも残さず、本番環境でのみ致命的なエラーが再現する。おまけに、ユーザーが指定の手順を踏まないとシステム側が逆ギレしてくる始末。
「――前世で散々片付けてきた、いつもの炎上案件じゃない」
私は赤黒いウィンドウの上端に、そっと白魚のような指先を添えた。
そのまま、不要なタブを閉じるように――あるいは必要のない書類を捨てるような優雅な仕草で、すっと足元へ引きずり下ろす。
【SYSTEM】『警告:修正中のユーザーによる操作は許可されていません』
【SYSTEM】『不正な入力を検知』
【SYSTEM】『警告画面への接触は禁止されています』
「私の人生に、勝手に接触してきたのはそっちでしょう?」
地面に固定された半透明の警告画面。
私はその表面に浮かぶ『異常個体』という真っ赤な文字の上へ、華奢な靴のヒールをそっと乗せた。
パリンッ……!
硝子にヒビが入るような、硬質な音が響く。
私は周囲をもう一度だけ見回した。誰もいない。
【SYSTEM】『Error(エラー)』
【SYSTEM】『Error(エラー)』
【SYSTEM】『修正対象による抵抗を検――』
「誰かの冒険のご褒美になるのも!」
カツン、と。
ワルツのステップを踏むように、私は軽やかにヒールを打ち鳴らす。
「用意された甘い台詞をしゃべるのも!」
ピキピキッ、と。
ヒールの先から、赤黒い画面いっぱいに致命的な亀裂が走っていく。
「勝手に決められた男と、勝手に幸せなエンディングを迎えるのも――」
最後に残った『メインヒロイン』の文字。
私はその中央を、ヒールの尖端で美しく、そして容赦なく貫いた。
パシャァァァァンッ!!
「ぜーんぶ、お断りよ!!」
粉砕された赤黒いウィンドウが細かな光の破片となり、夕焼けの風に乗ってキラキラと舞い上がっていく。
「世界が私を『ヒロイン』の枠へ押し戻すっていうなら……」
私は舞い散る光の粉を浴びながら、とびきりの笑顔で宣言した。
「端から全部――綺麗にデバッグして叩き潰してやるわ!」
* * *
同じ頃――。
王都から遥か北。
黒い雲と雷に閉ざされた、魔王城の最深部。
巨大な玉座の間で、終焉の魔王ノクス・ヴァルグラムが、ゆっくりと赤い瞳を開いた。
世界が、一度だけつまずいた。
決められた軌道を回り続けていた巨大な歯車へ、誰かが外側から楔を打ち込んだような、不快で、あり得ない震動。
玉座の周囲で燃えていた黒炎が揺れる。壁を走る魔力が、一瞬だけ逆流する。
ノクスは、誰もいない空間へ視線を向けた。
「今、誰かが運命を折ったな」
名も知らない。顔も知らない。どこで何をしたのかさえ、まだ分からない。
それでも確かに感じた。
自分と同じように、世界から押しつけられた役割へ逆らった存在を。
長い沈黙のあと。
世界中から恐れられる魔王の口元へ、ほんのわずかな笑みが浮かんだ。
「ようやく現れたか」
赤い瞳が、暗闇の奥で鋭く輝く。
「この狂った世界に――俺以外のバグが」

私は周囲に誰もいないことを確認すると、ピンと張っていた背筋を少しだけ緩めた。
「ふう……。この世界の仕様、だいたい掴めてきた」
素の口調に戻って、私は独りごちた。
強制イベントは、発生条件の穴を突けばスキップできる。戦闘イベントも、術式をバグらせてしまえば勇者を待たずに自力で処理できるし、接触イベントも笑顔でかわせばいい。
これなら、勇者にも攻略されず、私の好きなように生きていける。
そう確信した、直後。
ピピピピピピピッ!!
「きゃっ!? ……じゃなくて、うるさいわね!」
鼓膜を刺すような甲高いエラー音と共に、目の前に視界を覆い尽くすほど巨大な『赤黒いウィンドウ』が展開された。
まるで世界が息を呑んだかのように、空が不自然なほど暗く染まる。
風がピタリと止み、ざわめいていた森から鳥たちが一斉に飛び去っていく。
【SYSTEM】『WARNING(警告)』
【SYSTEM】『重大なシナリオエラーを検知しました』
【SYSTEM】『対象個体:フェリシア・ルミナリア』
【SYSTEM】『運命の出会い:失敗』
【SYSTEM】『勇者による救出:失敗』
【SYSTEM】『救出後接触:失敗』
【SYSTEM】『恋愛進行度:0%』
【SYSTEM】『対象個体を異常個体と認定』
【SYSTEM】『世界の強制力による修正プロセスを開始します』
【SYSTEM】『推奨行動:恐怖してください』
「感情まで指示しないでよ」
怖いと、本来なら、そう感じるようプログラムされた場面なのだろう。
実際、焦らせるような明滅が、巨大な警告画面から放たれている。
けれど、私の唇は勝手に楽しげな弧を描いていた。
仕様書なし。設計者不明。ろくなログも残さず、本番環境でのみ致命的なエラーが再現する。おまけに、ユーザーが指定の手順を踏まないとシステム側が逆ギレしてくる始末。
「――前世で散々片付けてきた、いつもの炎上案件じゃない」
私は赤黒いウィンドウの上端に、そっと白魚のような指先を添えた。
そのまま、不要なタブを閉じるように――あるいは必要のない書類を捨てるような優雅な仕草で、すっと足元へ引きずり下ろす。
【SYSTEM】『警告:修正中のユーザーによる操作は許可されていません』
【SYSTEM】『不正な入力を検知』
【SYSTEM】『警告画面への接触は禁止されています』
「私の人生に、勝手に接触してきたのはそっちでしょう?」
地面に固定された半透明の警告画面。
私はその表面に浮かぶ『異常個体』という真っ赤な文字の上へ、華奢な靴のヒールをそっと乗せた。
パリンッ……!
硝子にヒビが入るような、硬質な音が響く。
私は周囲をもう一度だけ見回した。誰もいない。
【SYSTEM】『Error(エラー)』
【SYSTEM】『Error(エラー)』
【SYSTEM】『修正対象による抵抗を検――』
「誰かの冒険のご褒美になるのも!」
カツン、と。
ワルツのステップを踏むように、私は軽やかにヒールを打ち鳴らす。
「用意された甘い台詞をしゃべるのも!」
ピキピキッ、と。
ヒールの先から、赤黒い画面いっぱいに致命的な亀裂が走っていく。
「勝手に決められた男と、勝手に幸せなエンディングを迎えるのも――」
最後に残った『メインヒロイン』の文字。
私はその中央を、ヒールの尖端で美しく、そして容赦なく貫いた。
パシャァァァァンッ!!
「ぜーんぶ、お断りよ!!」
粉砕された赤黒いウィンドウが細かな光の破片となり、夕焼けの風に乗ってキラキラと舞い上がっていく。
「世界が私を『ヒロイン』の枠へ押し戻すっていうなら……」
私は舞い散る光の粉を浴びながら、とびきりの笑顔で宣言した。
「端から全部――綺麗にデバッグして叩き潰してやるわ!」
* * *
同じ頃――。
王都から遥か北。
黒い雲と雷に閉ざされた、魔王城の最深部。
巨大な玉座の間で、終焉の魔王ノクス・ヴァルグラムが、ゆっくりと赤い瞳を開いた。
世界が、一度だけつまずいた。
決められた軌道を回り続けていた巨大な歯車へ、誰かが外側から楔を打ち込んだような、不快で、あり得ない震動。
玉座の周囲で燃えていた黒炎が揺れる。壁を走る魔力が、一瞬だけ逆流する。
ノクスは、誰もいない空間へ視線を向けた。
「今、誰かが運命を折ったな」
名も知らない。顔も知らない。どこで何をしたのかさえ、まだ分からない。
それでも確かに感じた。
自分と同じように、世界から押しつけられた役割へ逆らった存在を。
長い沈黙のあと。
世界中から恐れられる魔王の口元へ、ほんのわずかな笑みが浮かんだ。
「ようやく現れたか」
赤い瞳が、暗闇の奥で鋭く輝く。
「この狂った世界に――俺以外のバグが」


