勇者のご褒美役はお断りです! ~恋愛フラグを折っていたら、魔王が共犯者になりました~

【SYSTEM-O】『防衛工程の突破は不要と判断』
【SYSTEM-O】『過程を省略します』
【SYSTEM-O】『対象座標を初期位置へreset(再設定)

 走っていたアレクの姿が、掻き消えた。

 次の瞬間、彼は搬入口の前――スタート地点に立っていた。

「え……?」

「アレク! 止まるな、走れ!」

 アレクがもう一度走る。
 しかし、四十歩地点でまた消えて、スタート地点に現れる。

「な、なんで!? 僕、ちゃんと走ってるのに!」

 三度、四度、五度……。
 全力で駆け出したはずの周囲の景色がノイズのように瞬き、気づけばまたアレクが『スタート地点』に立っていた。

「走っても……走っても……!」

 六度目の巻き戻しで、ついにアレクが荒い息を吐いて膝をつく。

「くそっ、やりやがったな!」

 物理的な壁なら壊せる。転移の術式なら書き換えられる。だが、これはそのどちらでもなく――、ただの『データの上書き処理』だ。

 SYSTEM-Oは、セーブデータを無理やり初期化するように、『勇者アレクの現在位置(座標)』という記録そのものを塗り潰しているのだ。

 この空間の管理権限があいつにある限り――私たちがどれだけ足掻いても、強制的に『ゼロ』へ引き戻される。

 ならば。

「持ち主を変える!」

 私は両手を組み、空中へ青白い魔法陣を展開した。輪の中心へ、アレクの座標を力任せに引きずり込む。

LOCAL_SCOPE(局所領域)を宣言! 対象『勇者アレク』――管理権限を私へ移管!」

【SYSTEM-O】『所有権の競合を検出』

「競合じゃない。強奪よ!」

 ズンッ!!

 人間一人分の世界が、背骨へ落ちてきた。

「ぐっ……!」

 爪先が石床へめり込む。
 座標を持つとは、世界の代わりに、その存在を支え続けることだ。

 膝が折れかけた、その寸前、私の背中を誰かが支えた。

「座標はお前が握れ」

 ノクスが私と背中を合わせ、肩越しに手を差し出す。

「そろそろ私が出力装置になる頃じゃないか?」

「助かるわ! ありったけ、貸してちょうだい!」

「問題ない!」

 その手を掴む。

 ゴウッ!!

 漆黒の魔力が雪崩れ込み、私の青白い光と噛み合った。窓が震え、床が鳴り、周囲のヤギが一斉に跳び上がった。

【SYSTEM-O】『座標の再設定に失敗』

「よし、奪った!」

 私は顔を上げた。

「立て、アレク! もう戻されないわ!」

 勇者が袖で口元を拭い、立ち上がる。

「――今度こそ!」

 走って、四十歩の境界を突破する。

 三十歩……二十歩……。

 そのとき、視界の端で警告音が弾けた。

 ピ――――ッ!

【PROCESS】『上位権限の貸与を申請』
【L0_KERNEL】『承認者:大賢者オルディス(ROOT)』
【SYSTEM-O】『有効範囲:当該区画/有効時間:3.0秒』

 L0。

 昨夜、私が見た世界の最深部。
 時間も、空間も、因果も――ルールそのものを書き換える権限。

 だが、それを、SYSTEM-Oが借りた!? しかも、三秒だけ。

【SYSTEM-O】『redefine(再定義):対象間距離』

 ミシィッ!

 廊下が、裂けるように伸びた。

 二十歩、五十歩、百歩……。窓も柱も後方へ吹き飛び、エマの背中が地平線の果てへ遠ざかった。

「ち、近づけない!」

 アレクは走っている。
 それ以上の速さで、世界が逃げていく。

【L0_LEASE】『残り:2.81秒』

 視界の隅へ、二行の処理が走った。

【TRANSACTION】『状態:未確定』
【COMMIT】『LOCAL_ACKを待機中』

 見つけた。

 どれほど上の権限でも、借り物の改変だ。対象領域から『反映した』という返事を受け取るまで、変更は確定しない。

 そして今、この領域の管理者は――私よ。

「ノクス! 三秒耐えれば、全部巻き戻るわ!」

「分かった! 魔力は私が持たせる!」

ACKNOWLEDGE(反映確認)――HOLD(保留)!」

 ガキンッ!!

 伸び続ける空間へ、青と黒の枷が食い込む。

【SYSTEM-O】『承認の保留を検出』
【SYSTEM-O】『対象:領域管理者』
【SYSTEM-O】『INITIALIZE(初期化)を実行します』

 キィィィィィン――!

 天井に八つの白い光輪が開いた。
 数日前、学園ごと消されかけた、あの白い光が八つ!
 その全部が、私を狙っている。

【L0_LEASE】『残り:2.32秒』

「八本は聞いてないわ!」

「どうする!」

「名前を増やす!」

 削除命令が狙うのは、領域管理者の署名だ。私は魔法陣を引き裂き、同じ名札を空中へばら撒く。

FORK(分岐)! 管理者署名、三十二へ複製!」

 ノクスの魔力が三十二の名札へ流れ込み、一斉に私の輪郭をまとう。

 直後。

 シュン! シュン! シュン! シュン!

 白い柱が乱射された。
 偽物の私が撃ち抜かれるたび、頭蓋の裏で火花が散る。

「ぐっ――!」

「フェリシア!」

「離さないで!」

「誰に言っている!」

 八本目が頬をかすめた。
 白い光へ、髪が数本、音もなく消える。

【L0_LEASE】『残り:1.18秒』

【SYSTEM-O】『個別照準を中止』
【SYSTEM-O】『INITIALIZE(初期化):当該区画』
【SYSTEM-O】『出力上限を解除』

 天井が、丸ごと白く染まった。

 名札も、囮も関係ない。今度は私たちも、アレクも、廊下ごと消す気だ。

 だが――新しい命令が、この領域を走るなら。

「権限はそっちが上でも、ここは私の領域よ!」

 私は血の味がする口で笑った。

「実行する順番は、こっちが決める!」

QUEUE(処理待ち行列)――『区画初期化』を『距離再定義の確定』の後方へ投入!」

 ガンッ!!

 白い光へ、青い鎖が巻きついた。

【INITIALIZE】『先行処理の完了を待機中』
【COMMIT】『LOCAL_ACKを待機中』

 初期化は確定処理を待ち、確定処理は私の承認を待つ。

 互いに相手が終わるまで、永遠に動けない。

【SYSTEM-O】『循環待機を検出』
【SYSTEM-O】『FORCE_ACK(強制承認)を開始』

【L0_LEASE】『残り:0.71秒』

 ドンッ!!

 魔法陣に亀裂が走った。

【FORCE_ACK】『進行率:31%』

 ドンッ!!

 両腕の感覚が消える。

【FORCE_ACK】『進行率:64%』
【L0_LEASE】『残り:0.39秒』

 果ての見えない廊下で、アレクはまだ走っていた。

「止まらないで、アレク!」

「止まるもんかあああっ!」

 ドンッ!!!

 青い魔法陣が砕け、黒い魔力だけで辛うじて形を保つ。

【FORCE_ACK】『進行率:92%』
【L0_LEASE】『残り:0.14秒』

 ノクスの指が、骨まで砕く勢いで私の手を握った。

「離すなよ、フェリシア!」

「そっちこそ!」

 キィィィィィィィン――!

【FORCE_ACK】『進行率:99%』
【L0_LEASE】『残り:0.03秒』

 白い光が落ちる。

 ――ゼロ。

 ピッ。

【L0_KERNEL】『貸与時間が終了しました』
【L0_KERNEL】『権限を回収します』
【TRANSACTION】『未確定の変更をrollback(巻き戻し)

 白い光が、私の額へ触れる寸前で消えた。

「……ざまあみなさい!」

 ぱきん。

 世界が割れた。伸びきった廊下が、一息に元の長さへ収縮する。

 ドンッ!!

「うわあああああっ!?」

 反動を背中で受けたアレクが、矢のように前へ吹き飛んだ。
 宙を舞い、床を二回転。勢いよく転がる。

 私たちは押してはいない。アレクを前へ押し出したのは、SYSTEM-Oが勝手に歪めた世界だった。

 顔を上げたアレクの目の前で、エマが驚いた顔をしている。

 残り、十歩。