勇者のご褒美役はお断りです! ~恋愛フラグを折っていたら、魔王が共犯者になりました~

 私はクローゼットへと向き直り、異界へと続く黒い光のゲートを見据えた。

「ああ。じゃあ、俺から行かせてもらおう」

 言うや、ノクスは艶やかな髪をふわりと揺らし、クローゼットの中へと滑るように歩みを進めた。
 私も彼に置いていかれないよう、私も足を踏み出す。

 入った瞬間、視界が裏返った。
 内臓がふわりと浮いたような感覚。全身が細い管の中をすごい速度で通り抜けて、無数の光の粒が星屑のように私の周りを通過した。

 次の瞬間、冷たい風が頬を打った。靴底が硬い床へ触れる。

「ここが……」

 私は目を見開き、ポツリと呟いた。

 そこは魔王城のエントランスだった。
 女子寮が何個も入りそうな空間に高すぎる天井。大理石の床には、濃密な魔力が霧となって漂っている。
 何本もの太い柱には赤黒い炎を宿したランプが連なり、薄暗い空間を照らしていた。

 終焉の魔王の根城にして、勇者アレクが挑む最終ダンジョン。そして今日から、私たち世界へ反逆するための最前線基地になる場所……。

「お帰りなさいませ、魔王様。今回は、ずいぶんとお早いご帰還で」

 ホールによく通る声が響いた。大広間の奥から、一人の青年が歩み出てくる。

 冷たく整った顔立ちに、知的な銀縁の眼鏡。人間で言えば二十代前半のイケメン青年――。だが、漆黒の髪から立派なヤギの角が生えているので、魔族であることは明らかだ。

 燕尾服を完璧に着こなし一切の無駄がないその足取りは、まるで執事のような佇まいだった。

「留守番、ご苦労だった――サルース」

「滅相もございません」

 青年――サルースは優雅に一礼し、銀縁眼鏡の奥から私を見た。

「して、そちらの可愛らしい人間のお嬢様は?」

 穏やかな視線が私に向けられた。

「フェリシアだ――。サルース、俺はこれから世界そのものへ反逆することにした」

「世界へ、でございますか」

 サルースの口元に、わずかな笑みが浮かんだ。

「それはそれは。さすが魔王様。それでこそ、我らがお仕えするお方でございます」

「フェリシアは、世界と戦うための私の共犯者になる。そこで――」

 ノクスが赤い瞳を光らせた。

「今後、お前にはフェリシアを俺と同じ主人として考えるようにしてもらいたい。俺の分身として扱い、俺と同様に守って欲しい。この城における俺の全権限を、彼女にも等しく付与するつもりだ」

 ノクスの宣言を聞きながら、私はチラリとサルースの表情を窺った。

 相棒としては嬉しいセリフではあるが、現場がそれをどう思うか。トップの宣言ひとつで、見ず知らずの人間の小娘を上司として受け入れてくれたらいいけど……。

「承知いたしました」

 サルースはあっさりと頷くと、流れるような動作で私の前へ片膝をついた。

「フェリシア様。私、サルース。以後、お二人を共同の主としてお仕えいたします」

 そして完璧な礼をしたまま、穏やかに微笑む。

「もしもの際は、魔王様と同様、この身に代えましてもフェリシア様をお守りいたします」

「ありがとう、サルース。こちらこそ、よろしくね」

 あっさり受け入れられたことにちょっと戸惑いつつも、私はホッとする。

「サルースはできる男だ。きっとお前の役に立つことだろう」

「じゃあ、分からないことがあったら質問させてもらうわ」

「はい。なんなりとお申し付けください――魔王妃様」

「は?」

 今。なんて?

「魔王妃様、と」

「聞き間違いじゃなかった!」

 私は全力で首を横に振った。

「違う違う違う! 私は別に、ノクスの妃になったわけじゃないから!」

「はて……。魔王様と全く同等の権限を与えられ、自らの分身とし、命に代えても守れと命じられた方でございます。それは実質的に、魔王様がお妃を迎えられたという宣言に他なりません」

「他なるわよ! いくらでも他なる! 私は共犯者! 妃とか、そういうのじゃ――」

 私の抗議は、どこからともなく湧いてきた魔族たちの大歓声によって粉砕された。

「魔王様が妃殿下をお連れになったぞ!」
「宴だーッ!」
「酒蔵を開けろ!」
「城中へ知らせよ! 我らが魔王様が、ついに身を固められた!」

 銅鑼が叩かれ、ラッパが鳴った。誰かが巨大な樽を転がしてきた。
 さすが、魔王城。情報の伝播速度がおかしい。

「ちょっと、ノクス、みんなに何か言ってよ。私はあなたと共犯者になっただけで、結婚したわけじゃないって……」

 しかし当の本人は、腕を組んだまま、不思議そうに眉をひそめている。

「なぜ、お前はそこまで慌てているんだ? 呼び名など些末な問題じゃないか」

 本気で意味が分からないという風に、眉をひそめている。

「そりゃあ終焉の魔王にとっては同じかもしれないけど、私にとっては『ノーマル友情エンド』と『本編クリア後のイチャイチャアフターストーリー』くらい違うのよ!」

 などと私が叫んでいると、サルースが慇懃な微笑みをこちらへ向けてきた。

「時に、魔王妃様」

「だから魔王妃じゃないって!」

「本日から、こちらへお住まいになるのでございますね?」

「……そのつもりだけど?」

「なるほど」

 サルースの眼鏡が、キラリと光った。

「そうと分かれば、こうしてはいられません。急ぎ、お二人の新居を整えなければ」

「は? 新居!?」

 新居って住むところ魔王城(ここ)でしょ? と疑問を口にする間もなく、サルースの姿が掻き消えるようにいなくなった。

 そして三秒後――

「お待たせいたしました」

 消えた時と同じように再び現れる。

「新居の準備ができました。魔王様、魔王妃様」

 そう言ってサルースは、胸元へ片手を当てて優雅に一礼すると、滑らかな手つきで奥の扉へと手のひらを向けた。