好きな人のためにダウナー系になったら、ライバルが「本物」でした。


 灰島は常に無気力なくせに、意外と朝は早く来る。そして朝礼の時間まで机で寝る。授業は発言こそしないものの、しっかりと板書を取る。たまに寝落ちする。寝落ちして、だらんと力が抜けた腕がこちらに飛び出してくることがある。皮膚を抓っても起きない。強く叩けば起きる。睨まれる。もとから目つきは悪いが、本気で怒ることはない。

「二十三ページ、二段落目から読んでください。灰島」

「はい」

 後ろで椅子が動く音がした。同時に、窓の隙間から穏やかな風が流れ込んでくる。

「……対話とは、相手を言い負かすことでも、自分の意見を押し通すことでもない。自分とは違う考えに出会い、その違いについて考えること」

 桜の花びらに包まれた木の枝が揺れる。灰島の声に合わせて、ゆらゆらと。灰島の声は静かで低く、気怠さを纏っている。抑揚はほとんどない。音読としては点が低いだろう。しかしイイ感じに眠気を誘導され、頭がこくんと船を漕いでしまう。

「今日、誰かと話すとき、いつもより少しだけ相手の言葉に耳を傾けてみよう。知らなかった相手の一面や、自分自身の新しい考えに出会えるかもしれない……」

 突然、肩を鋭いもので突かれた。微睡んでいた意識が引き戻されたことに苛立ちながら振り向くと、灰島がシャーペンの先端をこちらに向けていた。
 ──お前のせいで寝かけたんだから起こすなよ。せめて指にしろよ。
 机に散乱していた消しかすを集め、後ろに放り投げてやった。ガガガッと椅子の足を蹴られる。
 灰島は大人っぽい見た目と図体に反して、中身はガキくさい。やられたらやり返すまで気が済まない。だが、白洲にはとことん甘い。白洲がいたずらしてもやり返すどころか、むすっとした顔がほんのり優しくなる。クラスメイトとは滅多に喋らず、自分から話しかけるのは白洲だけ。
 一週間以上そうやって観察していれば、灰島が白洲を特別視していることに嫌でも気が付いた。白洲が灰島を恋愛対象として見ていないことにも。
 ──灰島みたいな人がタイプなんじゃないのか?
 白洲の整った横顔を眺めながら不思議に思った。タイプはど真ん中なはずなのに、灰島じゃダメな理由は何だろう。単に同性は受け付けないとか。もしそうなら、自分が素を隠してまで努力する意味はあるのか。
 ふいに白洲と目が合った。「ん?」と口元に笑みを浮かべて首をひねられる。あまりにも可愛らしい仕草に、むふっと笑い声が出そうになった。さすが将来アイドルのセンターになるだけある。これまでもこれからも、いったい何人を虜にするのだろう。自分は彼に釣り合わないと分かっている。それでもこの顔を前にすると、どうしても期待してしまう。

 六時限目のホームルーム。体育委員から学級委員まで様々な専門委員会の文字が並んだ黒板を、寺本は両手の指を組み合わせ、祈るような姿勢で見つめていた。チョークを持った教師が教室を見渡す。

「まず体育委員やりたい人は?」

「はーい!」

 さっそく運動部で活躍する二人が手を挙げ、すぐに決定した。
 顔はそのままに、黒板に向けたまま眼球を転がして右側を見る。白洲が手を挙げたら自分も手を挙げる。他の人に負けてはならない。一秒、いやレイテン何秒の世界だ。じゃんけんには自信がない。だから、真っ先に手を挙げて意欲を買ってもらう。どうせ灰島は白洲が挙げたのを確認した後に、のろのろと立候補するはず。
 白洲が突然、上半身を斜め後ろ側に捻った。ドキリとしたが、彼は灰島の机に顔を寄せた。

「なあ、どれにする」

 周囲に聞かれぬよう極力絞った声だった。白洲は灰島と同じ委員会に入るつもりらしい。

「……図書委員」

 灰島がぼそっと答える。白洲は「おっけ」と体の向きを戻した。彼の顔は、仲良い友達と同じ委員会になれるのが嬉しいと言わんばかりに緩んでいた。その相手に自分が選ばれなかったことより、白洲が望んでいないとわかっていながら立候補することに罪悪感がある。
 ──でも遠慮していたら、いつまでも白洲と近づけない。ましてや委員会なんて距離が縮まる滅多にないチャンスだ。

「じゃあ次、図書委員やりたい人」

「はいっ」

 教師が言い終わる前に手を挙げた。クラスメイトの視線が一斉に降り注ぐ。

「あー白洲と寺本、灰島か。定員二名なんだよなあ」

 途端に流れ始めた肌がぴりつくような空気に、なんとなく肩を窄ませる。「邪魔だから辞退してくれよ」と思われているかもしれない。隣からの視線が気になった。やっぱりいいですと言うか迷っていると、

「図書委員は他のやつより活動多いけど、白洲は芸能のほうが忙しいんじゃないの」

 教師が白洲に問いかけた。『図書委員』の下に『週一回、昼・放課後の活動に参加必須』と書き加えられる。

「ええ、そうなんですか」

 白洲は考えるように顎に手を当てた。

「芸能の仕事で出られなかったら困るから、白洲はなるべく活動少ないやつでもいいか?」

「あ……はい」

「じゃ、図書委員は寺本と灰島ね」

「えっ!」

 思わず椅子から立ち上がった。
 白洲と一緒じゃないなら他の委員会がいい。高校三年にもなって、そんな活動の多い図書委員なんかやりたくない!

「なんだ寺本、活動多いからってやめるなよ」

「う……」

 図星を突かれた寺本が頬を赤らめると、周囲からくすくすと笑いが起こった。素早く椅子に座り直し、後ろを向く。ダウナー気取り野郎も白洲と一緒でなければやりたくないだろうと思ったからだ。しかし灰島は呆れた顔で、

「わがまま言うなよ」

 とため息をついた。

「は? 誰が……」

「寺本ー、決定でいいか?」

「〜っ、いいです!」

「じゃあ図書委員はそこの二人で決まりね。次は保健委員」

 ──いいですじゃねえよ。全然、まったく、これっぽっちも良くないだろう……。
 がくんと見事なまでに項垂れた寺本に、「これのどこがダウナーなんだ」と灰島が笑いを堪えながら言った。

 数日後、クラスごとに委員会メンバーが招集され、図書室にて顔合わせと活動内容の指導が行われた。思っていたより業務内容は複雑だ。本の貸出から返却、整理、補修なんかもやらなければいけないらしい。そうと分かっていたら白洲が立候補すると知っても手を挙げなかったのに。
 くるりと回る椅子の背もたれに寄りかかった寺本は、腰の高さまである木製の返却ボックスに重い視線を送った。こじんまりとした貸出カウンターは整頓されておらず、ファイルや書類が無差別に積まれている。息を吹きかけたら舞いそうな埃の山を見つけてしまい、早くもうんざりした。誰も掃除しないのか。

「あー……だる」

「ダウナーごっこはいいからお前もやれ」

 すぐ隣から鬱陶しい小言が飛んでくる。一度説明を聞いただけとは思えぬ手慣れた動作で本を取り出した灰島は、背面のバーコードをスキャンし、キャスター付きのカゴの中に静かに置いた。よくよく考えたら、こいつは白洲関係なく図書委員になりたくてなったのだ。作業を嫌がっているのも自分だけなのだろう。

「灰島って本好きなの?」

「俺に興味あんの?」

 意図せずため息が出た。こいつ、人を誂うのが癖になってるのか?
 白洲がこんなのと親友になれたのが不思議だ。優しすぎるから付け入られてしまったんじゃないのか。可哀想だ。

「なんでそうなる。自意識過剰すぎ。MBTIなに? あ、わかった。主人公だろ。ナルシストが多いんだってよ。いや、でもリーダー気質はないか……情熱的でもないし……」

「好きだよ」

「──え?」

「小説」

「あ、ああ。へえ」

 不意に心臓が跳ねた。自分から聞いたくせに、質問を忘れていた。

「あとISTP」

「なんだっけそれ」

「巨匠ってやつ。黄色の」

 頭にぼんやりと形が浮かんだ。自分と同じ『冒険家』のグループだから覚えている。巨匠は常に冷静で観察力が高く、決断力がある──だっけ。なんだか芸術的な才能がありそうで癪に障る。
 適当に相槌を打つと、「寺本はエンターテイナーだろ。どうせ」と鼻で笑われた。

「どうせってなんだよ」

「違うのか」

「…………そうだけど」

「だよな」

 なんとなくバカにされている気がして声が小さくなった。カゴに積まれた本を上から持てる分だけ手に取る。全てを引き受けるのは面倒だ。

「お前が目指してんのと真逆じゃん。何でそこまですんの」

「そりゃあ、白洲とつ……」

 寺本は言いかけて、周りを確認した。赤い夕日に包まれた図書室は静まり返っている。人の気配どころか物音さえも聞こえない。

「付き合いたいからに決まってるだろ」

 灰島は相槌も打たず、無表情のまま手を動かした。聞いたくせに何なんだと文句をぶつけてカウンターから出る。
 本に貼ってあるラベルを確認しながら書架に戻していく。手に取った本は、ラノベや自己啓発本、読めないほど難しい漢字が並んだタイトルもあった。こんな学校から東大にでも行くつもりなのか。
 地味な作業だが、借りた人の姿を想像するのは楽しい。白洲ならどんな本を読むだろう。恋愛小説とか読んでいたら可愛い。この役が似合いそうとか、そういう会話をしてみたい。

「んふ」

 思わず口元が緩んだ。ふと視線を感じて顔を上げると、眉を寄せた顔でこちらを見つめる灰島と目が合った。今さらあいつに何を見られても気にもならない。何食わぬ顔で作業に戻る。
 最後の本を差し込んだ時、『MBTI完全攻略』と書かれた本が目に留まった。

「こんなのあるんだ」

 書架から抜き取り、早速カウンターに持ち帰る。

「灰島みてこれ!」

「仕事増やすなよ」

「別にいいじゃんこれくらい」

 ため息をついた男の横に座り、分厚い表紙を開く。ポップな見た目に反して中身はずらりと細かい文字で埋め尽くされていた。

「えっとー、巨匠巨匠……あ、あった。『単独行動を好む一匹狼。職人タイプ』だって。そのまんまだな。『冷静沈着で精神的に安定しており、どんな状況でも落ち着いて対応できます』……? 安定してないだろ。当たんないな」

「勝手に読むな」

「『巨匠さんは感情的なコミュニケーションが苦手。相手の感情を汲み取ったり、共感を示すことを難しいと感じます。率直な意見で相手を傷つけてしまうことも。そのため、冷たい、そっけないと思われてしまいがちです』だって。あはは、なんか当たってんじゃん!」

「エンターテイナーは?」

「俺のはいいや」

「読ませろ」

 避けるために立ち上がったのに、強引に本を奪い取られた。

「あっ」

「エンターテイナー……『計画性がなく、感情に流されて動く。問題が起こると他人のせいにすることがある。自分の話ばかりする』」

「おーいおいおい、おかしいって。欠点ばっかじゃん。良いところ読めよ!」

「『意外に繊細なため、他人から批判されると大きなストレスを感じ、自分の欠点を直そうとしません』」

「……まじで書いてある?」

「自分で読めば」

「いや、いい。批判されたくないし」

 明るい性格で誰とでも仲良くなれる、ノリがいいと言われるが、実際はそうでもない。好きな人には話しかけるだけで緊張する。好きなんて軽々しく言えない。他の人には何も気にせず言えるのに。

「颯の知りたい?」

「えっ!」

 寺本は体ごと灰島のほうを向いた。びくりと灰島の肩が震える。

「教えてくれんの?」

「自分で聞けば」

「出た。けち……」

 こいつは人を揶揄うのが好きなのか、いつも平気な顔でこういうことを言う。まったく悪趣味だ。
 返却ボックスの中身が空になり、全ての本を書架に戻し終えると、いよいよやることがなくなった。野球部の掛け声が窓の外から聞こえてくる。あちらは賑やかで羨ましい。灰島はそのへんにあった小説を夢中で読んでいて話しかけにくい。
 暇つぶしにスマホでも見ようかとポケットに手を入れた時、

「俺らの会話、聞いてたんだろ」

 灰島がぽつりと呟いた。何のことかと聞く前に彼が言葉を続ける。

「図書委員に立候補した理由」

「そうだけど。なに」

「……なんで颯のこと好きになったの」

 咎めるような聞き方だった。いつの間にか灰島は顔を上げ、こちらを見つめていた。奥の窓から差し込む夕暮れの光が、その整った顔に濃い影を落としている。
 ──怒っているのか?
 ──白洲のことを狙われるのが嫌で?
 そんな風に嫉妬するなら、何故さっさと告白しないのだろう。断られる勇気もないくせに。

「……顔が好み」

「顔だけか」

「あと華やかな雰囲気とか。ダンス上手いし、笑顔も可愛い」

「表面的だな」

 お前はどうなんだと聞き返す気にはなれなかった。親友ならではの、灰島しか知らない白洲の内面的な魅力を語られたら溜まったもんじゃない。
 すいっと視線を逸らした寺本は、卓上の時計を顎で指さした。

「もう時間だから端末の電源切って。俺は窓の鍵閉めてくる」

「やめたほうがいい」

「……はあ?」

「白洲のこと。俺は色々知ってるから言える。諦めろよ」

 相手の感情を汲み取ることが難しく、率直な意見で相手を傷つけてしまう。さっき本で読んだばかりの言葉が思い浮かんだ。まさにこういうところだ。

「お前はその性格を直せよ」

 今の発言で傷ついたんですけど──という気持ちを精一杯込めて睨んだが、灰島は表情ひとつ変えなかった。