開いた過去問集の上で肘をつき、『エンターテイナーと巨匠の恋愛相性は?』と検索をかけること一時間。寺本はスマホの画面を延々とスワイプし続けていた。
「……相性悪い……互いの個性を認め合えば関係を築ける……考え方のズレが原因で別れる。ってか付き合えてもないんだけど。何なんだよくそ」
湯気が立っていたホットココアはすっかり冷め、ただの茶色い液体と化していた。せっかく母が淹れてくれたが手をつける気にもなれない。
「あー集中できねえ……」
受験対策はいよいよ大詰めの時期に入った。今日から始まった冬休みの間は毎日朝から深夜まで勉強しよう──と決めていたのに、現実はそう甘くなかった。
集中しなければと思えば思うほど、灰島の顔が脳裏を過る。メッセージは届いてないか。SNSは更新されていないか。キスした時のこともしきりに思い出した。四六時中あいつのことばかり考えては、そのたびに手が止まってしまう。
「陽向、ちょっといい?」
トトトトンッと素早いノックとともに部屋のドアが開いた。隙間から母が顔を覗かせる。
「もうなに?」
「明日のケーキ何味にする? 駅前のあそこ、ほら、新しくできたところで買って来てあげるから」
「あー、ありがと。何でもいいよ」
「なんでもって、自分の誕生日なんだから決めてよ〜」
「苺のってればそれでいい」
「苺ね。…………ちゃんと勉強してる?」
「してる! 今休憩してただけ!」
「はいはい、頑張って」
ドアが閉まったのを確認し、スマホに向き直る。カレンダーの通知に表示されたケーキの絵文字を見ただけで虚しくなる。クリスマスイヴでもあり、誕生日でもある明日、悲しいことに勉強の予定しか入っていない。
「今さら相性なんか調べても意味ないのに」
はああと深いため息を吐きながら机に顔を伏せた。
灰島の声が聞きたい。灰島と喋りたい。気持ちを伝えるだけでもいいから会いたい。膨らみすぎた灰島への想いに、押しつぶされてしまいそうだ。
もう一度ため息が出た時、顔の下で着信音が鳴り響いた。すぐさま飛び起きる。
「灰島っ? ……白洲か」
寺本は肩を落としながら通話に出た。
「どうした」
「寺本〜。明日って誕生日だよね」
「うん」
「直接会って祝いたいんだけど、空いてる?」
思いもよらない提案だった。丸まっていた背中が自然と伸びていく。
「え、でも白洲は忙しいんじゃないの。イヴだし」
「それがなんと、夕方以降なら空いてんの! あ、寺本が大丈夫ならだけど……」
「まじ?」
「大マジ。最近あんま寺本と喋れてなかったじゃん。色々たまってるんだよ」
「……俺も、白洲に話したいことがある」
「じゃあ明日会お。宵は誘う?」
ドキリとした。灰島に会えるなら会いたい。顔合わせる勇気さえあれば。
「灰島は……勉強忙しいと思うからいい」
「おっけ。とりあえずフライングでハッピーバースデー!」
「あ、ありがとう」
俺が一番乗りでしょ、と笑う穏やかな白洲の声に、なぜか胸が熱くなった。
*
街路樹の枝先まで巻き付けられた色とりどりの電球が、浮き立った人々を照らす。駅前に設置された見上げるほど大きなクリスマスツリー。青や銀色のオーナメントに光が反射し、冷たい風が吹くたびにキラキラと星空のように煌めいていた。
白く曇った息が薄暗い空に溶けていく。ズボンのポケットに両手を突っ込むと、悴んだ指先が微かに温まるのを感じた。
「やっぱどこも混んでるなー」
白洲の口からも白い息が出た。真っ黒なダウンジャケットにニット帽、マスク、それから伊達眼鏡。完璧な変装をして現れた白洲とショッピングモールで軽く買い物をした後、彼の知り合いの人がやっているという店に行くことになった。
人混みを抜けて路地に入る。派手派手しい看板や、ガラス張りで店内が透けて見える店が立ち並んでいる。行き交う人の服装も全員が芸能人みたいにセンスが良かった。滅多に来ない場所だ。自分のような学生が居るのは場違いに思えたが、隣にいるのは本物の芸能人だぞと言い訳をしながら歩いた。
「知り合いの店……って居酒屋とか?」
「いや。カフェとバーやってるところ。夜は紹介制だから人も少ないし入れるよ」
「でも酒飲めないのに大丈夫?」
「ああ、それは大丈夫! 俺たちにはソフドリしか出されないし」
「そうなのか……」
「ちょい個室みたいなスペースに座らせてもらえると思うから安心して」
「あ、うん」
自分には分からない大人の世界を白洲は知り始めているらしい。どこか遠くへ行ってしまった気がして寂しさを感じているうちに、白洲が足を止めた。
階段を降りて地下の扉を開ける。コンクリート打ちっ放しの無機質な壁が真っ先に視界に入った。天井から吊るされた小さなペンダントライトがぽつぽつと等間隔に光っている。飾られたいくつものドライフラワーとアンティークの家具が、独特な雰囲気を醸し出していた。
白洲が挨拶を交わした店員に奥へと誘われる。角の奥まったスペースに、座り心地が良さそうな布ソファーが置いてあった。ガラス天板が乗ったテーブルは低く小さい。
「なんか凄いな、お洒落……」
白洲のすぐ隣に座った寺本はそわそわしながら周りを見渡した。
「緊張するよね。俺も普段は昼間にしか来ないから」
そう言って白洲は手慣れた様子で飲み物と軽食を注文してくれた。運ばれてきたシャンパングラスの底には潰れたぶどうの果肉が沈んでいた。ストローで吸うと、炭酸とともに果汁が口の中に広がった。
「……大人になった気分」
「たしかにグラスがね。ってか成人したらお酒飲もうよ。宵も一緒に」
当然のように出された名前に、反射的に体が硬直する。
「そ、そうだな」
ぎこちない返事になってしまった。沈黙の後、テーブルにグラスを置いた白洲が背中を深く背もたれに預けた。
「ずっと……聞こうと思ってたんだけど、宵となにかあった?」
──ついにきた。言わなければいけない瞬間が。
鼓動が速くなるのを感じつつ、姿勢を正す。膝に置いた手が震えている。
「……あった。まず、白洲に謝りたい。あの日のことを」
「そ、それって、キス……してたやつ?」
白洲が声を潜めた。
「ああ。説明もしないまま逃げちゃってごめん。引いたよな?」
「いや引くとかじゃなくてガチでびっくりした。事情があるんだろうなとは思ってたけど」
「……悪い。自分でも状況を理解してなかったから」
「寺本は、宵と付き合ってる?」
直球の質問に首を横に振って答えると、ぽかんと白洲は口を開けた。
「キスは何回もした。でも……灰島には好きとか言われたことがなくて」
「それって告白なしで付き合ってるようなものじゃないの? たまにいるじゃん、そういう人達」
「いや。違うと思う」
キス以外に、恋人らしい会話もデートもしなかった。
再び沈黙が流れた。細長いフライドポテトを摘み、前歯で齧りながら白洲の顔を盗み見る。帽子とマスクを外した顔は直視できないほど綺麗でかっこいい。だが、かつてのように恋心と混濁することはなかった。
「俺、一年の頃から少し前まで、白洲のことが好きだった」
「んぶっ!」
白洲が飲んでいたものを吹き出した。それから大きく咳込み、信じられないと言う顔でこちらを向いた。白目が見えるほど見開いた目で見つめられる。
「そういうの苦手だったらごめん。でも今は、そんな感情は一切ないから」
「苦手とかないけど、まったく気づかなかった……俺のほうこそごめん」
「白洲は悪くない」
「……うん」
「それで灰島に、『他の人と恋愛する気はあるのか』って聞かれた。でもその時は答えられなくて」
「あの宵が? それ好きってことじゃん」
「そう、かな。もう違うかも」
「え?」
「キスをやめようって言われたんだ。話しても素っ気ないし連絡もこない」
誕生日の今日すら未だにメッセージを貰えていない。日付が変わってから、通知があるたびスマホを確認しては落胆するというのを繰り返している。
再びスマホの画面に視線を落とすと、白洲が逡巡しながら口を開いた。
「んーでもさ、寺本も告白はまだしてないんだよな? 宵って口下手だし、なんなら本人は気持ち伝えた気でいるかもよ。それに自分から言わずに諦めるのって、なんか勿体ないと思うけど」
──たしかに、白洲の言う通りだ。自分から何もしないで勝手に落ち込むなんて自信過剰も甚だしい。
悲劇のヒロインを気取っていたことを自覚した途端、じわじわと頬が熱くなった。
「俺、どうしよう」
「行っちゃえば?」
「え⁉」
「宵の家。たしか今日は予定ないって言ってたよ」
「……でも、いきなり行っても困らせるだけかもしれない。今は白洲に祝ってもらってるし」
「いや今すぐ行って! 俺のことは気にしなくていいから。もやもやしたまま誕生日が終わったら嫌じゃん」
早く早くと促され、寺本はグラスの残りを一気に飲み干した。



