眠る巨獣の背中で町づくり――夢の景色は消せないので、仲間と動かせる暮らしを始めます

「それ、下ろして」

 地上側の受け渡し場所へ運ぶ荷をまとめていたレントは、木材端材の束へ伸びてきた手を見た。

 ミレイは返事を待たず、荷を留めていた紐をほどく。細い板材と短い角材が、まとめて作業台へ戻された。

「待て。今日はそれも取引品だ」

「昨日まではね。今朝、工房の支持具を確認したら、交換分が足りなくなってた。連絡足場の留め具も補充が必要。今回は全部、町へ戻す」

「全部?」

「販売量はゼロ」

 言い切ったミレイは、端材の束を抱えて荷から離した。迷いのない動きだった。

 数日前に決めた手順では、販売可能量は担当者が決める。ゼロも認める。レント自身がそう合意した。

 だが、よりによって取引当日の出発直前である。

「別の保管分から少し回せないか」

「回せるわよ」

 ミレイはあっさり答えた。

「その代わり、次に壊れた設備の修理を遅らせる。どれを後回しにする?」

 レントの口が止まる。

 保管設備か。工房か。連絡足場か。

 交易の荷を守るために、暮らしのどこかを弱くする。そんな選択を認めないための停止権だった。

「……下ろしてくれ」

「もう下ろしてる」

「判断が早すぎる」

「レントが追いつくのを待っていたら出発するでしょう」

「俺を何だと思ってる」

「予定を立てると、予定の方を守りたくなる人」

 否定しようとして、やめた。反論より荷を組み直す方が先だ。

「販売停止を受け入れる。端材は出さない」

「よろしい」

「その言い方は腹が立つな」

「正しい判断を褒めてるのよ」

 褒められている気はしなかった。

 レントは荷の残りを見た。保存食品と、すでに販売用として確保されていた加工品。端材が消えれば、予定していた薬、工具、布をすべて受け取るのは難しい。

「食品を増やすのはなしだぞ」

 食料保管場所へ着くなり、ガルドが先に釘を刺した。

「まだ何も言ってない」

「その顔で来て、言うことが他にあるか」

 ガルドは販売分として分けた保存食品の箱を足元へ置いた。その奥には住民用が残されている。箱の間には、はっきりと空間があった。

「今回出すのはこれだけだ。住民の分と、次に生産が回るまでの余裕は触らせない」

「端材がゼロになった」

「聞いた」

「だから食品で穴を埋めるつもりはない。ただ、念のため確認した」

「確認しても増えん」

「少しくらい迷ってくれ」

「迷ったうえで決めた量だ」

 ガルドは箱の蓋を押さえた。

「取引を続けたいのは分かる。だが、売るために食わせる量を減らしたら、本末転倒だ。今回は小さくしろ」

「ミレイにも同じことを言われた」

「なら二票だな」

「採決した覚えはない」

「採決しなくても、売る側が二人とも止めてる」

 正論は、人数が増えるほど重くなる。

 レントは荷の内容を見直した。予定していた交換品を全部求めれば、ユアン側の負担が大きくなる。こちらが出す量を減らして、受け取る量だけ維持するのは長続きしない。

「薬は外せない。修理用の工具も必要だ」

「布は?」

 そばで記録を確認していたセラフィナが問う。

「全部は無理だろう。一部だけ受け取って、残りは次回へ回す」

「生活在庫から端材を補う案は?」

「使わない」

「別の区画から採る案は?」

「それもなしだ。採取を休止している場所を、取引のために動かさない」

 セラフィナは小さく頷いた。

「では、外部へ伝える理由は『町内の修理を優先したため、木材端材の販売を停止した』までにします。設備の状態や、どこから採取しているかは伝えません」

「それで頼む」

「巨獣の意思として説明することも認めません」

「分かっている」

「レントではなく、ベルク殿へ伝える内容です」

「俺にも念を押されたのかと思った」

「必要なら押します」

「必要ないと信じてくれ」

「今の返答で、少し必要になりました」

 地上側の受け渡し場所へ着いた時、ユアンは減った荷を一目で見抜いた。

「端材がありませんね」

「今回は販売停止だ」

 レントが答えると、ユアンは荷の周囲を一度見回し、ミレイへ視線を向けた。

「修理優先ですか」

「ええ。外へ出せる分はゼロ」

「承知しました」

 抗議も、ため息もなかった。

「約束違反とは言わないのか」

「販売可能量を事前に伝える約束です。一定量を出す約束ではありません」

 ユアンは記録を開き、予定していた交換内容へ線を引いた。

「もっとも、買い手が同じ顔をするとは限りませんが」

「そこは任せる」

「任されました。では、条件を組み直しましょう」

 ユアンは保存食品と加工品の量を確認し、交換予定の物資を並べ直した。

「薬は予定どおり。工具は必要度の高いものを優先。布は一部だけにします」

「残りは次回候補へ」

「次回も商品が出る保証はありませんよ」

「分かっている。出せる物と必要な物を、また連絡する」

「それなら記録には『延期』ではなく『次回候補』と書きます。確約に見える言葉は避けましょう」

「商人は言葉が細かいな」

「細かくない商人は、後で大きく揉めます」

 ユアンは軽く笑ったが、交換量を削る手は止めなかった。

「私の取り分も減ります。ただ、ここで予定量を作るために生活在庫を削られた方が困る。次回から町そのものが取引不能になりますから」

「利益が減っても続けるのか」

「利益が違うから、条件を決めるんです。利益が同じなら交渉はいりません」

 レントはその言葉を受け、荷へ手を置いた。

「不足分を能力で増やすこともしない。生活用も修理用も出さない。この量で成立しないなら、今回はさらに縮める」

「ええ。その条件で外へ伝えます」

「ユアンさんに不利な内容も記録へ残す」

「では私も、町に不利な市場反応を隠しません」

 二人は一枚の記録を挟んで向き合った。敬称も、損得も、立場の違いも消えていない。それでも、どちらかが損を隠して押し切る必要はなかった。

 ユアンが差し出した手を、レントは握る。

「次も、売れないかもしれない」

「それでも連絡はください。私も、取引できないからと窓口を閉じません」

 その約束は、前より軽く聞こえた。軽くなったのではない。実際に一度、崩れかけた取引を縮めて繋いだからだ。

 交換は小さくなった。

 だが、薬は受け取れた。修理に必要な工具も揃い、布も当面必要な分だけは荷へ加えられた。ミレイが止めた端材は町へ戻り、ガルドが守った食品にも手は付いていない。

「当初の予定より、だいぶ寂しい荷ですね」

 帰り支度をしながらユアンが言った。

「成果まで寂しい言い方をするな」

「予定どおり売れなかったのは事実です」

「取引は切れなかった」

「それも事実です」

 ユアンは記録を閉じた。

「それから、もう一つ。町の品ではなく、町で暮らすことに興味を持つ者が出ています」

 レントは受け取った工具から顔を上げた。

「見学ではなく?」

「住めるのか、と聞かれました」

「来訪規則があるからといって、居住を許可したことにはなりません」

 セラフィナが即座に区切る。

「宿泊人数も、役割も、責任も決まっていません。受け入れられるとは伝えないでください」

「もちろんです、セラフィナ殿。関心がある者がいる、とだけお伝えしました」

「なら、それ以上は次の相談だな」

 レントは荷を持ち上げた。予定より軽い。けれど、その軽さのために町の食料も修理部材も削られてはいない。

 売れない物を無理に作らず、受け取れない物を次へ回し、それでも必要な物資を持ち帰る。

 町へ戻る道で、工具の入った箱が腕に確かな重みを返してきた。

 三度目の取引は、最初の予定どおりにはいかなかった。

 だからこそ、次も続けられる形になった。