絵筆の旋律 ※R15強









「俺を、この部屋に、
 泊めろ、っつってんの!」

変な奴が転がり込んできた。


―――――


ザーーッ

雨のカーテンの中、
ひっそりと佇む
古い木造二階建て。

“△△大学第一寮”

目を凝らしてやっと読める
木製の表札が、
色濃く濡れている。



ガタッ…ガガッ…

ガラララッ……


一階の窓が開いた。

「おー。よく降ってるな。」

サイドの髪を
無造作に束ねた男が、
ひょっこりと顔を出す。


絵の具のついたTシャツ。

腰に巻いた繋ぎ。


――名前は、(リュウ)


「線状降水帯がどうとか言ってたな。
この家大丈夫かな?
まぁ、歴史長いから平気か。」

ガッ…ガコンッ…

ガラララッ……

慣れた手つきで窓を閉める。


第一寮。
大学発足当初から残る古い建物。

今の住人は、
たぶん自分だけ。

大学は1年で辞めたけど、
オーナーさんの厚意で
住み続けて4年目になる。


「さて、続きやりますか。」


腕を軽く引き、ほぐす。

筆を取り、
丁寧に絵の具をとく。

雨音に合わせるように、
鼻歌が漏れる。





―――バタバタバタッ


騒々しい
足音が聞こえる。


ピクッ、と筆が止まる。


「……え?」

廊下の奥から、
人の気配が近づいてくる。


住んでるの、
俺だけじゃなかったっけ……。



パタッ。

立ち止まる音がする


しん……


息を殺し、
ドアを見つめる。



コンコンコンッ!!


「うわっ!」

乾いたノック音に
肩が跳ねる。



「――えっと、なんすか?」


内心、かなり不安だ。

この手のパターンは
刺激しない方がいい。

自分からドアは――開けまい。




「開けてくださぁ~……い……。」


ヒョロヒョロとした声が、
扉越しに滲む。


「お願いしま~す……。」




なんなんだ。

怖い。
普通に怖い。


「……なんの御用っすか?」

おそるおそる
返事はしてみる。

間髪入れずに
叫びに近い声。

「良かった!留守じゃなかった!
 
 うちの天井が!
 抜けたみたいなんすけど!」


「――はい?」


そっとドアを開ける。

目だけ出して確認する。


そこには、
細身の濡れネズミが立っていた。


雫の落ちる髪が
鼻先まで垂れ下がり、

その下では
口がパクパクと震えている。


服が肌に張りついて
重そうだ。

大事そうに
ノートPCを抱えている。



――口だけオバケ、みたいだ。



ふぅ……

ため息をついて
ドアを開ける。

額にかかる前髪を
手ぐしでかきあげ、

口だけオバケの

頭から

つま先まで

ゆっくり
目で確認する。


ボソッ。
「……エロスだ。」

「は?」


口だけオバケが
慌てて口を抑える。


なんだコイツは。


「――屋内にいてどうすればそうなる?」

「天井が抜けたんだよ!
頭の上からバッシャー!と。

 バケツの水被ったかと思った!
ビックリした!」


ひどく変だが、
害は無さそうだ。

腕組みをして
開けたドアにもたれ掛かる。

「それは大変だな。――で?」

「見た感じ、
 直せそうですよね?」

「出来るわけねーだろ。
俺、大工じゃねーし。
 絵描きだし。」


そろっと
俺の部屋の中を指す。

「――お邪魔しても?」


水滴る口だけオバケ。

足元に
水溜まりができている。


絶対に、

確実に、

めんどくさい。

「いいわけないだろ。」


「えっ……ウソッ……

 “遠くの親戚より近くの他人”

 っていう良き言葉が
 日本にはあるのに?」



そうかもしれん。

100歩譲って、そうだとして。

お前は誰だ。



「だって、俺、お前のこと知らんし。」



「……。」



ポタ…

ポタ…

虚しい音。



トボトボと
去っていく姿を思い浮かべる。

そいつは
ふるふると震えている。



「ぶえっくしょん!」

大きなくしゃみが飛んできた。

振動で水滴まで降る。



「うわっ……!汚ぇなー、もう。」


「さ……さむ……い……。」

ゆっくり近づいてくる。


「わわわ!来るな、触るな!

 あーもぅ!わかった!
 とりあえず拭け!」

近くにあったタオルを
強引に渡す。


「恩に着ます!
 ちょっとPC持ってて。」

渡されるまま
PCを預かる。

ゴシゴシ!ゴシゴシ!
そいつは
無造作に拭きまくった。

結果、

奴は
絵の具だらけになった。

「あ。やべ。」

今使ってた
制作用タオル渡してた。

これは俺が悪い。

しゃーなし。

「不本意だけど、
 風呂は貸してやる。」


「ありがとうございます……。」

俺は、
口だけオバケを
渋々、部屋に招き入れた。



シャワーの音。

雨の音。

一人のはずの部屋に響いている。

言葉通り不本意だが
――悪くない。



「お風呂ありがとうございます。」



振り向く。

……あ。

さっきまで
濡れネズミだったやつが、
タオルケットを巻いて立っている。


今度は、
てるてる坊主だ。


濡れた髪が乾き、
額が出ていた。


眉、目、頬。

鼻筋。

口角。

顎。


このバランス。

俺の知ってる限りでは
アイツしかいない。


……コイツ。


息を飲む。



てるてる坊主が首を傾げる。

「どうかした?」


「んー……」

思ったより自然に言葉が出た。

「お前――
 
 昔サッカーやってなかった?」


「へ?やってたよ。
 なんで分かるの?」


やっぱりな。


「……(ケイ)。じゃね?」






「そうだけど?――え?」


俺は手に持ってたタオルで
顔中にべったりついた絵の具を
雑に拭った。

額までこすり上げて、
そのまま
前髪をかき上げる。

「ほれ。覚えてっかな?」



てるてる坊主の目が
ゆっくりと大きく開く。

「……あ。……お前っ」

次の瞬間、声が跳ねる。



「すげぇ!リューリューじゃん!」



咄嗟に慧の口を塞ぐ。

「その呼び方すんな。」

慧は目を丸くしたまま、
俺を見つめた。

手のひらから
慧の体温が伝わる。

…コイツ、あったかいな。

生き物って感じ。
いいな。

慌てて手を離す。


「悪い。
 あんまり好きじゃねぇんだ。

 流(リュウ)って呼べ。」


少し間。

「うん。流。
 その方が似合ってるね。」

……似合う、か。

思わず、
眉がわずかに動く。


「さて、と。お前、帰れ。」


「はぁ!?
 そんな薄情なことある!?」

驚きというよりも、
怒声に近い声をあげる慧。

風呂を貸して、怒られてる。


――よく分からん。


「は?とは?」


「いやいやいや、この流れだとさ、
 普通はさ、泊めるじゃん!?

 ……偶然の再会、
 実はひとつ屋根の下、
 最高にドラマチック!

 ――なのに、帰れだと?
 信じられない。

 それにな!
 せめて服貸してくれよ!」


「あ。悪い。」
適当に服を引っ張り出して渡す。
「これ、いつでもいいから。」

一拍。

「よし、帰れ。」



「――――!!」


てるてる坊主が
声にならない奇声をあげ、
床を踏み鳴らしてる。

俺の部屋で。

俺の目の前で。

なんだ、これは。


「お前、大丈夫か?」


「お前こそ大丈夫か!?

 俺を、

 この部屋に、

 泊めろ、

 っつってんの!」


「え、なんで?
 他に空き部屋いっぱいあるだろ。」


慧は
タオルケットを剥ぎ取り、
俺の顔面向かって
投げつけた。


――あ。

てるてる坊主が
“真の姿”になっちまった。


タオルケットを拾い上げ、
丁寧に腰に巻いてやる。

「何がそんなに気に入らない?」


「他の空き部屋って、
 誰が住んでたか
 分かんないじゃん。

 そこに泊まれと?」


「屋根はある。寝れる。」


「ここがいいの!
 ここなら
 住んでる人の顔見えるじゃん!
 ノンデリかよ!」


「顔の見える野菜
 みたいなこと言うなよ。」

「ギャハハハ!それオモロい!」

慧が
お腹を抱えて笑い出す。


ホントになんなんだ、
この生き物は――


怒ったかと思えば笑う。

忙しい奴だ。


俺も笑いがこみあげてきた。

声を立てて笑う。
久しぶりだった。



この日から
俺の部屋の一角は、

慧の住処になった。



―――――



カチャカチャッ……
タンッ……
カチャッ……カチャカチャッ……


PCの灯が
慧の瞳を揺らす。


無心に
キーボードを叩いている。

カチャ……カチャ……

『雨は、夜の輪郭を曖昧にする。

 古びた寮の廊下を駆けたあの日、
 僕は現実か虚構か分からぬ未来に
 迷い込んだのかもしれない。

 扉の向こうにいたのは、
 迷惑そうな顔をした男だった。

 迎え入れる気配なんてなかったのに、
 投げられたタオルは温かく、
 アンバーのような香りがした。

 濡れた体にタオルを纏う。

 そのほのかな熱が、
 ゆっくりと染み込んでくる。

 言葉より先に、
 そこに居てもいいのだと
 許された気がした。

 彼は寡黙な人だと思った。

 でも――
 僕が笑ったとき、
 彼も笑った。

 ほんの一瞬、
 幾重にもなる雨のカーテンが

 少し開いたように見えた。


 あの夜、

 僕は、
 部屋の隅に居場所をもらった。』