真夏の昼間だというのに、電気をつけなければならないほどに薄暗い。
昼食は焼きそばだった。
先程、大いに地雷を踏み抜いた幸弘が作り、片付けも幸弘がしている。
太陽の機嫌は完全に治ってはいない。
今もだんまりとしたまま、幸弘の背中にへばりついている。
「……太陽、動きにくい」
「むり。おれ、今自分の機嫌とってんの」
これは、自分で自分の機嫌をとっていると言っていいのだろうか。
最後の一枚を洗い終え、水切りラックに立てる。
濡れた手をタオルで拭いて、リビングのソファに腰を下ろそうとするが、背後の太陽が邪魔をする。
「座りたいんだけど」
「座れば?」
全くどうにもしようとしない太陽に息を吐き、ソファは諦めてエアコンを消して、リビングをあとにする。
だんだんと自分で歩くこともしなくなった太陽を引きずって、太陽の部屋に戻り、ベッドに転がした。
「はぁ〜、重かった」
「何すんだよ。せっかく、ユキに傷つけられたおれの心を自分でユキを使って慰めてたのに!」
「昼寝しよ。朝早かったから眠い」
「聞いてる!? 大事なことだけど!?」
幸弘はギャースカ喚く太陽の上に勢いよく倒れ込んで、抱きしめる。
つい三十分前までつけていた冷房の残気で未だに部屋の中は涼しいと言うよりは寒いくらいだった。
隅に丸められているタオルケットを勘で手に取り、適当に自分たちにかける。
「文句は起きて、覚えてたらまた言って」
「はぁ!? 今言いたいんだけど!」
「……いいじゃん。この体勢の方が、慰められる気がしない? しかも、お前じゃなくて、俺がお前のこと抱きしめてるから、もっと良くない?」
「……まぁ、それなりに」
意図して言ったわけではないが、元カノとの過去が透けて見えてしまったのは幸弘の落ち度であり、それで太陽が傷ついたのなら全く非がないわけではない。
だからこそ、一時間かけて太陽を宥めたし、仲直りまで持ち込んだ。
けれど、仲直りでいい、と手打ちにしようと終わったはずだが、太陽の機嫌だけは戻らなかったのだ。
怒っているわけでも、幸弘に文句を言っているわけでもない。
自分の中で、どう気持ちの整理を付けたらいいのかが分からないらしい。
「ユキの匂いってさ、眠くなるよな」
「俺も太陽が隣にいると眠い」
シングルベッドで成長期も終わってそこそこデカめに育った男子高校生が二人。
あまりにも狭いし、きっとこのまま昼寝でもしたら、起きる頃には幸弘はベッドの下に落ちているだろう。
それでも、ギュッと抱き合って互いの匂いが近くにあると眠くなってしまう。
「……普通さ、恋人とベッドの上で抱き合ってんだから、ドキドキするはずなのになぁ」
「保育園の頃のお昼寝でいっつも隣にいたし、太陽の匂いってきっと、俺にとっては安心の匂いなんだろうな」
「ユキが? おれは分かるけど」
「俺だって、お前によっかかってたってこと」
「そうなんだ」
嬉しそうな声が耳元で聞こえ、ようやく機嫌が上向きになったことが伺える。
「へへ……。もしも、の話しよ。もしもだから、あんまり何も考えないでな」
太陽がこれ以上ないほどに幸弘に体を寄せて、背中に腕を回してくる。
その体温が心地よい。
「もしもさ、同じ大学に行くってなって、一緒に住めたらさ、ベッドはセミダブル? ダブル? どっちがいい?」
太陽の「もしも」の二択に、幸弘はなぜだか涙が出そうになる。
「……ダブルかな。けど、風邪とかひいて隔離しないといけない時のために、二つあったほうがいいから、ダブルとセミダブルがいい」
「2DKくらいの部屋借りる予定?」
「本当は2LDKがいいよな。俺の部屋と太陽の部屋とリビングがあれば、ちょうどいいのに」
「え~、おれは別に1Kでもいい。ユキとなら、くっついてていいし。今とあんまり変わんないだろ? おれとユキの部屋って、1Kの部屋くらいじゃん? ずっと、ここでえ二人で宿題したり、遊んだり、泊まったりしてるから、そんなに広い部屋いらないし」
「……二人で住めば家賃も折半になるし……、いいな、それ」
「ユキと一緒なら、おれどこでも天国」
「俺とは青春にならないとか言ってたのに?」
幸弘が思わず恨みがましくそう言えば、完全に機嫌の直った太陽がニコニコと笑って、幸弘の頬にキスをする。
「だって、ユキといるとそれがいつも通りで、特別じゃないからさ。けど、幸せなんだ。だって、ユキといるときだけはちゃんと満たされてる!」
恋人になって、お互いの人生を望んで、幸弘はいつも太陽を怒らせてばかりだった。
けれど、太陽はそれでも満たされているという。
嬉しくないわけがない。
「流石に、一緒に住むのは難しいって思うんだ。だから、ご近所さんになってくれな。同じ大学通って、ご近所さんで、卒業したら一緒に住んで、ずっと一緒にいてな」
迷いなく言われる、その言葉に未来を望まれていると理解して目頭が熱くなり、慌てて太陽の首筋に顔を埋めた。
「正直さ、ユキがそういうこと経験あるって知って、だいぶ面白くない。……あ、違うから。おれだけが童貞で面白くないとか、そう言う事じゃないから」
「……分かってるよ」
「ならいいや。でな、やっぱり、経験しちゃったことは変えられないだろ? だから、おれは未来の話をすることにしたんだ。これから、ユキがずっと一緒にいて、キスして、それ以上のことをするのも、おれとだけだから」
背に回された太陽の手が、幸弘を優しく撫でる。
「けど、おれさ、まだもやもやしてるから、キスしよ。てか、して」
自分の首筋に顔を埋める幸弘のTシャツの襟を引っ張って、太陽が強請るように言う。
あまりにも幸せ過ぎて、どうにかなりそうだ。
「おれ、さっき思ったんだよな。自分でするより、ユキにしてもらう方が好き」
じわっと滲んだ涙を太陽の肩で拭いて、ゆっくりと顔をあげれば、満たされたように微笑う太陽。
幸弘はその弧を描く唇に自分のものをそっと押し付けて、離して、また押し付けて。徐々にそれだけでは足りなくなって、食んで、舐めて――。
ずっと、ずっと、太陽としたかった。
太陽の唇の感触も、温度も、味も、口内の感触も、全部知りたかった。
苦しくて、暑くて、際限なく求めてしまいそうで、幸弘はギリギリのところで理性を掴みなおす。
唇を離して、いつの間にか押し倒すような体勢になっていることに内心で頭を抱えながら、呆けている太陽ごとベッドの上に座りなおす。
「……ユキが泣いてる」
自分でも気付いていなかったが、太陽が幸弘の頬に触れたことで、自分が泣いていることを理解した。
「俺……、ずっと泣きそうだったんだ」
「いつから……?」
「お前が、俺の人生に口出したいって言った時から……」
ずっと一緒、という言葉を最初、大事に抱えていたのは太陽だった。
けれど、成長するにつれて、太陽は幸弘から離れていく。
実際は「ユキ欠乏症」だったわけだが、幸弘はずっと、太陽はずっと一緒なんていう言葉、忘れてしまったのだと思っていた。
自分だけが縋っていたのだと。
「おれ、しっかりするからさ……。ユキもおれに寄りかかって。おれを頼って……。おれ、頑張るよ。ユキとずっと一緒にいれるように頑張るから」
「……うん」
冷え切っていた部屋は、湿気と熱を孕み初める。
シャツと肌の間に熱かこもり、こめかみを流れる汗を涙だと錯覚してしまいそうになる。
「ユキ、大好きだ」
何度も効いてきた好意の言葉。
けれど、そこに含まれる熱量は今までのそれとは違うものだ。
外は未だに荒れており、確実に夏祭りは中止か延期だろう。
叩きつけるような雨音と、うるさいくらいの風の音が絶えず部屋を包み込む。
けれど、二人にはそれが、あの頃の滑り台の下のようだと思った。
世界に二人しかいない、そんな感覚。
ようやく二人は、約束を叶えるスタートラインに立てたのだと噛みしめた。
幸弘は太陽に触れるだけのキスをして、抱きしめて、またキスをして。
これまでの空虚を埋めるように、満たすように触れる。
太陽もくすぐったそうに笑いながら、受け入れて、自分からもわざとちゅっと音を立てて、頬にキスをしてくる。
そうして、暑さを我慢できなくなったところで、二人は笑い合って、エアコンをつけ、ぬるくなったお茶を飲む。
「なんか、すっげぇ、バカップルになった気分」
「いや、これがバカップルなら、ユキは……いや、言わなくていい。聞きたくない!」
難儀なやつだ。
ゆっくりと再び冷えていく六畳の子供部屋。
幸弘は静かに口を開いた。
「……やってみる?」
「へ」
「七個目の項目」
「………………マジで?」
「二泊三日で誰もいないし、課題も小論文だけだし、バイトもないし。初めてにはちょうどいいんじゃないかって……」
「やりたい! え、けど……どっちがどっち?」
先ほど、お互いに抱きたいと言ったばかりだ。
しかも、何の準備もない。
「とりあえず、どうするのか調べないか? そこから決めよう。それに、今日抱いたって、抱かれたって、ずっとそうじゃないといけないわけじゃないし」
「だな! ……あ、えっと……、抱かれるとか、抱くとかそういうのは碌に考えてなかったけど、ちょっと調べて、必要そうなものは買ったって、言ったら引く? 引かないよな!? 大事だろ???」
言いづらそうに、必死に弁明している太陽。
けれど、幸弘からしたら申し訳なくて仕方がなかった。
幸弘はせっかくの二人きりに何も考えていなかったわけなのだから。
「……けど、今思うとさ……選んでる時も、全くと言っていいほど、具体的なイメージとかしてなかったんだよ……。誰がどう使うか、とか。その先にどういうことが待ってるか、とか。……おれ、本当にアホじゃん」
太陽の中には一切の具体的イメージがなかったのだろう。
性行為、という記号しか頭にはなく、誰と誰がどう行うものか、なんて考えてなかったんだろうな、と笑ってしまった。
「ほら、男同士は尻を使うっていうのは知ってるから……。クラスにさ……、彼女とそっちのやり方でやったやつがいて」
「は」
「準備が必要とか言ってたの覚えててさ……」
普通の、と言ったら普通の定義を出せ、と言われそうだが、男女のよくある性行為も高校生では早くないだろうか、と議論されるべきことなのに、よくそんなアブノーマルなことを彼女と……。
幸弘は思わず顔が引きつってしまった。
「で、準備に必要なもので、洗浄器が便利って聞いたから調べて買ってみた。あと、ローションと、ゴムと……」
「あとで、半分出す」
「え、いいよ。なくなったら、次はユキが買う。こういうのを、割り勘にしたくないからさ。おれが出すなら、その時の会計は全部、おれ。ユキが出すなら、最初からユキが出す」
太陽らしいこだわりだな、そう思った。
「なぁ、どうする? ネット記事? AV?」
「……とりあえず、ネットで参考になりそうな記事読んで、……AVいる? だって、AVはファンタジーって言うじゃん。男女間でも、AVを参考にするなって」
「……けど、流れは知りたくない? どうやって、進んでいくかとか、女の子があれをファンタジーって言うのは、自分の体への負担から分かるからだろ? なら、こんかいおれらも自分の体の負担の話になるから、割と教材になるんじゃない? 流れの」
一理あるな、そう思った。
教材は多い方がいい。恋人との性行為に教材なんて思うのは少し面白いが、幸弘も慎重に進めたかった。
薄暗い部屋の中で、二人は勉強を始める。
恋人との行為の勉強だ。
昼食は焼きそばだった。
先程、大いに地雷を踏み抜いた幸弘が作り、片付けも幸弘がしている。
太陽の機嫌は完全に治ってはいない。
今もだんまりとしたまま、幸弘の背中にへばりついている。
「……太陽、動きにくい」
「むり。おれ、今自分の機嫌とってんの」
これは、自分で自分の機嫌をとっていると言っていいのだろうか。
最後の一枚を洗い終え、水切りラックに立てる。
濡れた手をタオルで拭いて、リビングのソファに腰を下ろそうとするが、背後の太陽が邪魔をする。
「座りたいんだけど」
「座れば?」
全くどうにもしようとしない太陽に息を吐き、ソファは諦めてエアコンを消して、リビングをあとにする。
だんだんと自分で歩くこともしなくなった太陽を引きずって、太陽の部屋に戻り、ベッドに転がした。
「はぁ〜、重かった」
「何すんだよ。せっかく、ユキに傷つけられたおれの心を自分でユキを使って慰めてたのに!」
「昼寝しよ。朝早かったから眠い」
「聞いてる!? 大事なことだけど!?」
幸弘はギャースカ喚く太陽の上に勢いよく倒れ込んで、抱きしめる。
つい三十分前までつけていた冷房の残気で未だに部屋の中は涼しいと言うよりは寒いくらいだった。
隅に丸められているタオルケットを勘で手に取り、適当に自分たちにかける。
「文句は起きて、覚えてたらまた言って」
「はぁ!? 今言いたいんだけど!」
「……いいじゃん。この体勢の方が、慰められる気がしない? しかも、お前じゃなくて、俺がお前のこと抱きしめてるから、もっと良くない?」
「……まぁ、それなりに」
意図して言ったわけではないが、元カノとの過去が透けて見えてしまったのは幸弘の落ち度であり、それで太陽が傷ついたのなら全く非がないわけではない。
だからこそ、一時間かけて太陽を宥めたし、仲直りまで持ち込んだ。
けれど、仲直りでいい、と手打ちにしようと終わったはずだが、太陽の機嫌だけは戻らなかったのだ。
怒っているわけでも、幸弘に文句を言っているわけでもない。
自分の中で、どう気持ちの整理を付けたらいいのかが分からないらしい。
「ユキの匂いってさ、眠くなるよな」
「俺も太陽が隣にいると眠い」
シングルベッドで成長期も終わってそこそこデカめに育った男子高校生が二人。
あまりにも狭いし、きっとこのまま昼寝でもしたら、起きる頃には幸弘はベッドの下に落ちているだろう。
それでも、ギュッと抱き合って互いの匂いが近くにあると眠くなってしまう。
「……普通さ、恋人とベッドの上で抱き合ってんだから、ドキドキするはずなのになぁ」
「保育園の頃のお昼寝でいっつも隣にいたし、太陽の匂いってきっと、俺にとっては安心の匂いなんだろうな」
「ユキが? おれは分かるけど」
「俺だって、お前によっかかってたってこと」
「そうなんだ」
嬉しそうな声が耳元で聞こえ、ようやく機嫌が上向きになったことが伺える。
「へへ……。もしも、の話しよ。もしもだから、あんまり何も考えないでな」
太陽がこれ以上ないほどに幸弘に体を寄せて、背中に腕を回してくる。
その体温が心地よい。
「もしもさ、同じ大学に行くってなって、一緒に住めたらさ、ベッドはセミダブル? ダブル? どっちがいい?」
太陽の「もしも」の二択に、幸弘はなぜだか涙が出そうになる。
「……ダブルかな。けど、風邪とかひいて隔離しないといけない時のために、二つあったほうがいいから、ダブルとセミダブルがいい」
「2DKくらいの部屋借りる予定?」
「本当は2LDKがいいよな。俺の部屋と太陽の部屋とリビングがあれば、ちょうどいいのに」
「え~、おれは別に1Kでもいい。ユキとなら、くっついてていいし。今とあんまり変わんないだろ? おれとユキの部屋って、1Kの部屋くらいじゃん? ずっと、ここでえ二人で宿題したり、遊んだり、泊まったりしてるから、そんなに広い部屋いらないし」
「……二人で住めば家賃も折半になるし……、いいな、それ」
「ユキと一緒なら、おれどこでも天国」
「俺とは青春にならないとか言ってたのに?」
幸弘が思わず恨みがましくそう言えば、完全に機嫌の直った太陽がニコニコと笑って、幸弘の頬にキスをする。
「だって、ユキといるとそれがいつも通りで、特別じゃないからさ。けど、幸せなんだ。だって、ユキといるときだけはちゃんと満たされてる!」
恋人になって、お互いの人生を望んで、幸弘はいつも太陽を怒らせてばかりだった。
けれど、太陽はそれでも満たされているという。
嬉しくないわけがない。
「流石に、一緒に住むのは難しいって思うんだ。だから、ご近所さんになってくれな。同じ大学通って、ご近所さんで、卒業したら一緒に住んで、ずっと一緒にいてな」
迷いなく言われる、その言葉に未来を望まれていると理解して目頭が熱くなり、慌てて太陽の首筋に顔を埋めた。
「正直さ、ユキがそういうこと経験あるって知って、だいぶ面白くない。……あ、違うから。おれだけが童貞で面白くないとか、そう言う事じゃないから」
「……分かってるよ」
「ならいいや。でな、やっぱり、経験しちゃったことは変えられないだろ? だから、おれは未来の話をすることにしたんだ。これから、ユキがずっと一緒にいて、キスして、それ以上のことをするのも、おれとだけだから」
背に回された太陽の手が、幸弘を優しく撫でる。
「けど、おれさ、まだもやもやしてるから、キスしよ。てか、して」
自分の首筋に顔を埋める幸弘のTシャツの襟を引っ張って、太陽が強請るように言う。
あまりにも幸せ過ぎて、どうにかなりそうだ。
「おれ、さっき思ったんだよな。自分でするより、ユキにしてもらう方が好き」
じわっと滲んだ涙を太陽の肩で拭いて、ゆっくりと顔をあげれば、満たされたように微笑う太陽。
幸弘はその弧を描く唇に自分のものをそっと押し付けて、離して、また押し付けて。徐々にそれだけでは足りなくなって、食んで、舐めて――。
ずっと、ずっと、太陽としたかった。
太陽の唇の感触も、温度も、味も、口内の感触も、全部知りたかった。
苦しくて、暑くて、際限なく求めてしまいそうで、幸弘はギリギリのところで理性を掴みなおす。
唇を離して、いつの間にか押し倒すような体勢になっていることに内心で頭を抱えながら、呆けている太陽ごとベッドの上に座りなおす。
「……ユキが泣いてる」
自分でも気付いていなかったが、太陽が幸弘の頬に触れたことで、自分が泣いていることを理解した。
「俺……、ずっと泣きそうだったんだ」
「いつから……?」
「お前が、俺の人生に口出したいって言った時から……」
ずっと一緒、という言葉を最初、大事に抱えていたのは太陽だった。
けれど、成長するにつれて、太陽は幸弘から離れていく。
実際は「ユキ欠乏症」だったわけだが、幸弘はずっと、太陽はずっと一緒なんていう言葉、忘れてしまったのだと思っていた。
自分だけが縋っていたのだと。
「おれ、しっかりするからさ……。ユキもおれに寄りかかって。おれを頼って……。おれ、頑張るよ。ユキとずっと一緒にいれるように頑張るから」
「……うん」
冷え切っていた部屋は、湿気と熱を孕み初める。
シャツと肌の間に熱かこもり、こめかみを流れる汗を涙だと錯覚してしまいそうになる。
「ユキ、大好きだ」
何度も効いてきた好意の言葉。
けれど、そこに含まれる熱量は今までのそれとは違うものだ。
外は未だに荒れており、確実に夏祭りは中止か延期だろう。
叩きつけるような雨音と、うるさいくらいの風の音が絶えず部屋を包み込む。
けれど、二人にはそれが、あの頃の滑り台の下のようだと思った。
世界に二人しかいない、そんな感覚。
ようやく二人は、約束を叶えるスタートラインに立てたのだと噛みしめた。
幸弘は太陽に触れるだけのキスをして、抱きしめて、またキスをして。
これまでの空虚を埋めるように、満たすように触れる。
太陽もくすぐったそうに笑いながら、受け入れて、自分からもわざとちゅっと音を立てて、頬にキスをしてくる。
そうして、暑さを我慢できなくなったところで、二人は笑い合って、エアコンをつけ、ぬるくなったお茶を飲む。
「なんか、すっげぇ、バカップルになった気分」
「いや、これがバカップルなら、ユキは……いや、言わなくていい。聞きたくない!」
難儀なやつだ。
ゆっくりと再び冷えていく六畳の子供部屋。
幸弘は静かに口を開いた。
「……やってみる?」
「へ」
「七個目の項目」
「………………マジで?」
「二泊三日で誰もいないし、課題も小論文だけだし、バイトもないし。初めてにはちょうどいいんじゃないかって……」
「やりたい! え、けど……どっちがどっち?」
先ほど、お互いに抱きたいと言ったばかりだ。
しかも、何の準備もない。
「とりあえず、どうするのか調べないか? そこから決めよう。それに、今日抱いたって、抱かれたって、ずっとそうじゃないといけないわけじゃないし」
「だな! ……あ、えっと……、抱かれるとか、抱くとかそういうのは碌に考えてなかったけど、ちょっと調べて、必要そうなものは買ったって、言ったら引く? 引かないよな!? 大事だろ???」
言いづらそうに、必死に弁明している太陽。
けれど、幸弘からしたら申し訳なくて仕方がなかった。
幸弘はせっかくの二人きりに何も考えていなかったわけなのだから。
「……けど、今思うとさ……選んでる時も、全くと言っていいほど、具体的なイメージとかしてなかったんだよ……。誰がどう使うか、とか。その先にどういうことが待ってるか、とか。……おれ、本当にアホじゃん」
太陽の中には一切の具体的イメージがなかったのだろう。
性行為、という記号しか頭にはなく、誰と誰がどう行うものか、なんて考えてなかったんだろうな、と笑ってしまった。
「ほら、男同士は尻を使うっていうのは知ってるから……。クラスにさ……、彼女とそっちのやり方でやったやつがいて」
「は」
「準備が必要とか言ってたの覚えててさ……」
普通の、と言ったら普通の定義を出せ、と言われそうだが、男女のよくある性行為も高校生では早くないだろうか、と議論されるべきことなのに、よくそんなアブノーマルなことを彼女と……。
幸弘は思わず顔が引きつってしまった。
「で、準備に必要なもので、洗浄器が便利って聞いたから調べて買ってみた。あと、ローションと、ゴムと……」
「あとで、半分出す」
「え、いいよ。なくなったら、次はユキが買う。こういうのを、割り勘にしたくないからさ。おれが出すなら、その時の会計は全部、おれ。ユキが出すなら、最初からユキが出す」
太陽らしいこだわりだな、そう思った。
「なぁ、どうする? ネット記事? AV?」
「……とりあえず、ネットで参考になりそうな記事読んで、……AVいる? だって、AVはファンタジーって言うじゃん。男女間でも、AVを参考にするなって」
「……けど、流れは知りたくない? どうやって、進んでいくかとか、女の子があれをファンタジーって言うのは、自分の体への負担から分かるからだろ? なら、こんかいおれらも自分の体の負担の話になるから、割と教材になるんじゃない? 流れの」
一理あるな、そう思った。
教材は多い方がいい。恋人との性行為に教材なんて思うのは少し面白いが、幸弘も慎重に進めたかった。
薄暗い部屋の中で、二人は勉強を始める。
恋人との行為の勉強だ。

