君と埋める八の項目

ジージー、ミンミン、と外からは絶えず聞こえてくる蝉の声。
窓の外に視線を向ければ、陽炎がゆらゆらと揺れており、外の気温の高さがうかがえる。
先日の台風が嘘だったかのように、空は晴天で大きな入道雲は山二つを飲み込むほどに成長している。
幸弘は久しぶりの教室で、上田の自慢話を聞き流していた。

やれ、彼女が可愛い。
やれ、彼女が美人。
やれ、彼女が頭がいい。

うん、うん。分かった。うるさい。

登校日の放課後は、やはり賑やかだ。
久しぶりに会ったクラスメイトと花を咲かす女子の声に、これからどこかに寄っていこうか、と話す男子の声。
そんな教室で、幸弘は太陽を待っていた。

「てかさ、真田のクラスっていっつも終わるの遅いよなぁ」

「ホームルームが長いんだと」

「あ~。たにぐっちゃん、話長いしなぁ」

たにぐっちゃんというのは、太陽のクラスの担任で、数学教師だ。
学年集会などで、前に立って話すといつも時間が押す。

「あ、そうそう。彼女がさ、あ、美風っていうんだけど」

「……うん、彼女が?」

「真田と中村って、夏祭りいただろ?」

こちらも上田を見つけていたが、上田もこっちを認識していたようだ。

「いた」

「彼女にお前らのこと話したんだよ。二人ともカッコいいねって言ってたから」

面白くなさげに上田は言う。
彼女が別の男を褒めてたんだ。そりゃ、面白くないだろう。

「二人とも、モテはするけど彼女と続かないって話しといた。特に真田は、付き合うまでは全力で、付き合ってからは見向きもしないって」

「……男の僻みはみっともないぞ」

「うるせぇ! ……で、お前らのこと教えたら、自分の友達に紹介したいって言いだして、……美風に感謝しろよ。ぜってぇ、可愛いぞ。なんたって、美風の友達だから」

友達に紹介って言う話なのに、何でそんなに嫌そうなのか。

「いいか! 美風に喋りかけるな! 喋りかけられても、話を広げるな!」

「そうは言っても、太陽は話しかけられたら乗るし、盛り上げるし、天性の人懐っこさだから仕方ないだろ」

「かぁ~! お前はいっつも真田の肩を持つ! いいか、オレが言ってるのは、美風に気を持たせるようなことをするなって話! 友達紹介してやるんだから、そっちと恋を育め!」

上田の強烈な牽制によほど彼女が太陽のことを褒めていたことが想像できた。

「で、お前らいつが暇? バイトしてたろ?」

「……俺にも太陽にも紹介してくんなくていい」

「え、なんで?」

先ほどまで、喋りかけるな! と物凄い剣幕だったくせに、幸弘がそう言えば、上田がキョトン、としたように首を傾げた。

「彼女はいらないから」

「中村は、だろ? 勝手に真田の青春潰してやんなよ」

上田の言葉に幸弘が口を開こうとした瞬間、いつものデカい声が教室に響く。

「ユキ~!」

騒がしく教室に乗り込んできたかと思えば、やはり我が物顔で幸弘の前の席の椅子に着席する。

「あ、真田、ちょうどいいところに。お前さ、フラれたって言ってたじゃん?」

「え、あ、うん。言った。え、何? 抉りにきてんの? 自分に可愛い彼女いるからって、おれのこと抉りにきてんの? 上田、性格悪」

「ちっげぇよ! 美風が、あ、彼女な」

「はぁ~!? なに、その呼び捨て。なんか、すっごいムカつく。なぁ、ユキ、ムカつくんだけど!」

「分かる」

「分かる、じゃねぇんだよ! そういう話じゃなかったろ! 彼女の友達をお前らに紹介してやろうって話をしてたの!」

上田がむきになって、そんなことを叫ぶ。
教室の向こう側から「上田、うるさい」という女子の冷たい一言が聞こえてきた。

「紹介してやるって言うのに、中村が断ったんだぞ! いいのかよ、真田。お前の分まで断り入れてきたぞ」

きょとん、とする太陽は上田の言葉の意味をゆっくりと理解したのか、困ったように、けれどどこか嬉しそうに言う。

「うん。いいんだ。おれ、彼女いらないや」

「は!? この三年、ほとんど、だれだれが好き~、かわいい~、ってデレデレしてた男が? え、熱でもあんのか?」

「失礼だな。人を節操なしみたいに言うなよ」

太陽はそう文句を言うが、上田の言う事は事実である。

「マジで言ってる? 美風の友達だし、絶対可愛いぞ? 進学校だし、受験シーズン入ってるから付き合っても、そんなに連絡をマメに取らなくてもいいし、デートに誘わなくてもいいし、なんなら、勉強教えてもらえるぞ?」

あんなに彼女と太陽の間に接点を作ることを嫌がっていたのに、ものすごい勢いでプレゼンしている。

「別に、おれ、マメに連絡とりたくないとか、デートしたくないとか思ってたわけじゃないし」

太陽が言い訳のように唇を尖らせて言う。
背後から聞こえてきていた冷房の音が止まり、誰かが「あ」と漏らした。

「ま、そういうことだから、彼女にごめんなさいって言っといて。帰ろ、太陽」

「じゃあな、上田~。冷房切れたし、早めに帰れよ」

机の横に掛けてあった鞄を取り、困惑している上田を置いて教室を出る。
息が詰まるほどの熱気に、これからこの炎天下の中帰らなければならないのだと思うと足が止まりそうだ。

「この前、お金使いすぎちゃったからファミレスとか、カラオケとかしばらく我慢だもんなぁ~」

「夏休みに入ってから、結構いろいろ行ったし、使ったもんな。スーパーで飲みもん買って帰るくらいか」

「あ、ならさ、デカいの一本買って、ピザ買おう! 昼飯は母ちゃんが用意してくれてるから、おやつに小さいピザ食べよ!」

「それいいな。そうしよ。ウーロン茶がいいな」

「……ユキ、こういう時はジュースにしようって。お前がウーロン茶好きなのは分かったから。麦茶で我慢しろよ」

「……はぁ、全然違うのに」

くだらないことを言い合いながら、靴を履き替え、校舎を出る。
少し教室で時間を潰したからだろうか、周囲には誰もいなかった。

「へへ」

「どうした、急に」

「だってさ、ユキがおれの分まで断ってたから、なんか……。へへって感じだった」

はにかんだ太陽に、幸弘は満たされるような気持ちになりながらも一応は確認する。

「……本当によかった?」

幸弘だって、太陽と恋人でなければ普通にありがたいと思って上田の誘いに乗っていた。
だからこそ、まだ「そういう好き」に達していない太陽の可能性を潰してしまってもよかったのかと少しだけ思うのだ。

「ユキ、怒るよ」

「…………」

「おれはユキを好きになる。なのに、彼女なんて、ほかの人なんていらないだろ」

せっかく、太陽は機嫌が良かったというのに、幸弘の確認のひと言で、急降下してしまい、帰宅中、まったく口を開いてくれなくなった。

スーパーに寄って、幸弘と相談もなく勝手にカゴにニリットルの百パーセントのオレンジジュースを入れて、ピザも種類があったのに勝手に入れられてしまった。

太陽の家に帰宅してからも、二人はいつものルーティン通りに進めるだけだ。
太陽が風呂に入り、その後に幸弘が入る。
幸弘が入っている間に太陽が昼飯を温めて、テーブルに並べる。

いつもと少しだけ違う太陽の態度に、太陽なりに幸弘に恋人の一部分を渡しているのだと遅れて理解して、何とも言えない気持ちになる。
初めての理解は、不機嫌だなんて。
好きになってもらうって難しいんだな、幸弘はそんなことを思った。

◆◇

冷房の稼働音、プリントに滑るシャーペンの音、ゆっくりとめくられる本の音。
穏やかな休日の午後のようなシチュエーションの中、幸弘は背後から発せられる不機嫌オーラに悩まされていた。

学校から戻っても、風呂に入っても、昼飯を食べても、まったくと言っていいほどに機嫌の戻らない太陽。
これまでだって、何回も、何百回も、太陽の不機嫌は経験している。
感情が全て表に出て、素直な太陽は喜ぶことも怒ることも同じくらいよくある。

けれど、今回の不機嫌は、幸弘には扱いがよく分からない。
いつもは放っておけば、勝手に次なる楽しさを見つけて機嫌は戻り、幸弘に「ねぇねぇ」と話しかけてくるのだが、なぜか今回は時間が経つごとに悪化しているような気がする。

太陽の散らかった部屋で、簡易テーブルで一人課題をする。
だが、機嫌が悪いなら帰ったほうがいいのだろうか。怒らせた理由も把握しているし、きっと謝ったところで、今は火に油だろう。

シャーペンを筆箱に片付け、太陽にまた明日、と振り返れば、近年稀に見る仏頂面の太陽がマンガから顔を上げて手を伸ばしてくる。
近寄りたくはないが、機嫌を損ねたのは幸弘の落ち度なのでその手を取ってベッドに腰掛けた。

「……ユキ、ゼロ点だよ」

「…………」

「ユキの彼女とか何も言わなかったのか?」

「なにを?」

「……はぁ、あのさぁ、おれ不機嫌なんだけど」

「うん……。俺が悪い」

「そう、ユキが悪いの。なんで、放っておくわけ?」

握った手はサラリとしていて、太陽が少しだけ冷えていることを教えてくれる。
ベッドの上に転がっていたエアコンのリモコンを手に取り、温度を少し上げた。
だが、それも太陽には不服らしい。

「なぁ、今おれ喋ってるから」

「…………」

「え、本当に? マジで言ってるの? ユキ、いっつもこんな感じで怒って不機嫌になった彼女放置?」

「……放置っていうか、怒ってて、その時謝っても火に油みたいな状態なら、落ち着いてから謝ればいいだろ……? 元凶が近くにいたら落ち着かないだろうし」

幸弘の言葉に太陽が大きくため息をつく。
けれど、幸弘が握った手をきちんと繋ぎ直し、姿勢を正して向き合った。

「ユキ……、帰ろうとしてたろ」

「俺と話したくないのかと思ったし」

いつもなら、喧嘩しても二人とも時間が経てば忘れていつの間にか仲直りしているのだ。

「別にさ、いつもの喧嘩ならいいんだよ。おれが今怒ってるのは幼馴染みとしてじゃないからな」

「それ、関係あるのか?」

「あるに決まってんだろ。……おれ、恋人にほかの子紹介してもらわなくても、本当によかったのかって聞かれたんだ。恋人として怒ってる」

幸弘にはよく分からなかった。
まだ、太陽は幸弘のことをそういう意味で好きなわけじゃないはずだ。

「ユキ、それ口に出すなよ。おれ、泣くから。それ言われたら、泣くから!」

幸弘の疑問は口に出さずとも太陽には筒抜けらしい。

「おれだってさ、すぐフラれるからちゃんとしてたわけじゃないけど……、それでも、自分のせいで不機嫌になった彼女、放っては置かなかったぞ? そりゃ、みんなの言う通り、連絡は後回しにするし、デートは……、まぁ、付き合う前よりは頻度も減ってたけど、それでも、私のこと好きじゃなくなったんでしょって怒って泣く彼女に何も思わなかったわけじゃないし、自分のせいで泣いてるんだからどうにかしないと、くらいは思ってた」

太陽の元カノたちの態度を聞けば聞くほど、なぜ自分が半年続いて、太陽が三か月なのかが理解できない。
他人から見たら、どっちもどっちだろうが、よっぽど太陽のほうがちゃんとしているのに。

「なぁ、ユキ……。おれ、お前のせいで怒ってるんだ。不機嫌なんだ。……なぁ、怒りって、三割くらいは悲しみなんだぞ? お前、おれのこと今、悲しませてんのに、何で放置できるの? 分かってる?」

この時初めて、幸弘は過去の自分のどこが悪かったのかが理解出来た。
ここまで、太陽にかみ砕いて説明させてようやく、だ。

「ごめん……」

「何に対して」

「紹介を断ったことに自信を持てなかったことと、俺が悪いのに機嫌を自分で直させようとしたこと……?」

「……で、どうするんだよ」

未だに不機嫌な太陽は、唇を尖らせて幸弘を軽く睨みつけている。
幸弘は逡巡した後、繋いだ手を引いて太陽を抱きしめた。

「ごめん……。――合ってる?」

「…………はぁ〜、合ってる? ってなかったらよかったのに! でも、許す! ユキがだいぶ朴念仁で、恋人としては最悪なのか分かったから、とりあえずいい!」

「朴念仁って……。だって、怒ってるときに触られたくないって人もいるだろ?」

太陽の肩口に額を預けて、一応は弁明する。

「……彼女の中にいたわけ?」

「いた」

「で、ユキはどういう状況だったのさ。どうせ、こんなふうに詰められて、しょうがなさそうに抱きしめようとでもしたんじゃないのか?」

まるで見てきたかのようだ。
まさにその通りで、悪いと思ってるなら抱きしめたりとかないわけ!? と怒鳴られて、その通りにしようとしたら、触るなと怒られた。
それ以降、怒っている相手とは距離を取るようにしている。

「……まぁ、いいや。覚えといて。おれは、怒っててもユキといっしょにいたいんだ。おれのユキ欠乏症を舐めるなよ。お前が思うより重症だかんな!」

そう言って、しがみついてくる。
その体はひんやりとしており、やはり怒られても温度を上げてよかったなと思った。

「なぁ、ユキ」

「ん?」

「ユキ、おれのこと好きな人として扱うって言ったのに、変わんないんだけど」

抱きしめていた腕を解き、幸弘をベッドの端へと追いやった太陽が、ごろん、と横になり、幸弘の膝を占領する。

隅で丸くなっていたタオルケットをかけてやれば、勝手にミノムシになった。

「……変わってるし」

「どこが? おればっか距離詰めてない?」

「…………太陽が俺のこと好きなのは知ってる。好きっていうか……まぁ、好きだろ?」

そもそも、この年になって、友人相手に好きだなんだと言わないし、意識すらしないのだ。
気が合うから一緒にいるし、好きという感情がないわけではないが、わざわざ意識しない。

けれど、太陽からは気が合う以上のものがこうなるはるか昔から感じているのだ。
保育園の頃から変わらず、全身で幸弘が好きで、一番の友達だと言っている。
幸弘はそれを感じるたびに、気恥ずかしくて、嬉しくて、少し寂しかった。

「でも、それって、完成してるだろ? だから……どうすればいいんだろうって。どうすれば、その完成したものを根本から変えられんのかな。……その好きと、俺の欲しい好きは同じだけど多分、根っこが違う」

「完成してんのかなぁ……。たぶん、おれってユキのことそういう意味で好きになってようやく完成するんだと思うんだよな」

「どうしたらいい?」

「分かんない。……キスでもしてみるか?」

おどけたようにそんなことを言われて、幸弘はむせた。

「おい、顔に唾かかったぞ」

「お前が変なこと言うから!」

「変か? 恋人なのに」

「お前はそういう好きじゃないだろ……。期待するんだ、そういうこと言われると……」

「いや、しろよ!」

そう言って、頭を膝に乗せたまま、幸弘の頭をガシっと掴んだかと思えば、思いっきり自分のほうへと傾ける。

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」

「ユキって、硬いよな……。ロマンチックはどこに行ったんだ?」

「最初からねぇよ! 痛いって!」

幸弘の体が硬いのではない。
人体の勉強をしてきてほしい。この体勢でキスできるのは一握りの人たちだ。

「ちぇ……」

太陽の手が離れ、痛む体を伸ばす。
太陽は残念そうに横向きに丸まって、幸弘の腰に巻き付いた。

「キスなんて、勢いだぞ。一回できたら、それが自然になるんだ……」

「なんで、そんなに急ぐんだよ。……リスト?」

「……ユキのバーカ。だからフラれるんだ。バーカ、バーカ」

幸弘の不用意な発言はまたしても、太陽を怒らせてしまったようだった。
恋人になった太陽は難しい。
けれど、幸弘はそれが見たかった。
幸弘は太陽に言われた通り、どうすれば太陽の機嫌が戻るのか必死に考える。
初めて、恋人みたいだな、そう思った。