好きになるということ

「じゃあ、またな」

「…あたた、かい」

なんか、変な感じ。


×××


「なんで今日外なんだよ」

「知らねぇよ」

暑い。
季節は梅雨を越し、湿った空気を残して夏はやってきた。

皮膚に纏わりつくような熱に立っているだけで汗が滲む。

「あぁ、サボりてぇ」

「誰のせいで出来なくなったと思ってんだよ」

「あははっ、俺か」

直射日光に照らされた校庭の中心で太陽のように笑う。
暑さとは対照的にその笑顔はとても爽やかだった。

真昼で外気温は1日の最高点に達する4限。
あの時以降、授業が始まる前生徒指導が見張っているようで遠くから視線を感じる。

流石に二度目は八城の話術でも難しそうなためこの炎天下の中直射日光に焼かれているという訳だ。

「じゃあ前半組位置につけぇ」

教員から集合の合図がでる。

「瑞姫前半後半どっち」

「後半、八城は」

「俺も後半」

今日の種目は1500m走。
出席番号順にペアを組み、前半後半で分かれ順に走る。

「一緒に見てようぜ」

日光に照らされた地面は砂利道でもアスファルトのように暑かった。

校門の方を見ると陽炎が立ち上っている。

スタートの合図と共に右手に持ったストップウォッチを押した。
こういうときというのは動いていた方が気が紛れる。
止まらずに皮膚からあふれでてくる汗で下着はもうびしょびしょだ。

男の汗の匂い嫌いなんだよな。(女も例外ではない)

4限なのもあり、すぐに帰ってシャワーを浴びれないのが最悪だ。

後4、5時間、冷めて冷えたこの気持ち悪い感触を背中に感じていなければならないのだから。

それにしても暑すぎる。
遠くの陽炎が揺れているのか自分が揺れているのかよくわからない。
水分補給をすればいいってもんでもない。

「橘、後何周」

「あ、ラスト一周」

ペアのやつの声にはっとしどうにか意識を自分の元へと戻す。
向こうは走ってるんだし、これでちゃんとタイムを計れていなかったら相手の苦労を無駄にしてしまう。
最後までしっかり見ておかなければ。

ーーーーー……カチッ。

「お疲れ、タイム3分50秒」

「サンキュー」

タオルを渡したその時、手と手が軽く触れた。

「園田すっげぇ速くね!?そういや陸上部だったっけ」

「おう、でもインターハイレベルには全然届かないけど」

「俺、運動嫌いだからさ。ちょっとコツ教えてくれよ」

八城は俺と園田の間に割ってはいり、いつの間にか八城のペースに、園田と八城の会話になっていた。
結局俺の邪魔するし、相手は俺より楽しそうに話すし、八城だってめちゃくちゃ笑顔で笑ってるし。

ふと下を見ると握られた拳の真ん中、中指だけが他の指より少し高くなっていた。

そんなんならなんで話かけてんだよ。

八城の行動は理解できない。
しかし、八城の裏の顔を知るのは自分だけという密かな優越感と俺以外の人にもあんな顔して笑ってることに胸が痒くなっていること。

この原因はまだ気付いていないけど、今まで感じたことのない胸騒ぎを自分は確実に感じていた。

靄のかかるそれを、暑さにやられたせいだと誤魔化して陽炎の中に投げ込んだ。


××


「じゃあ、後半組位置につけぇ」

くそっ、頭痛てぇ。
目が開かないのはきっと紫外線が眩しすぎるだけだ。
手の下側で頭を叩いて遠退く意識をどうにか戻す。

「瑞姫、大丈夫か?」

振り向いた八城が俺を見ていう。

「大丈夫、紫外線強すぎて」

「それな、男だからって容赦なさすぎ。日焼けってむちゃくちゃ痛てぇのに。ちゃっちゃと終わらしちまおうぜ」

そうだ。速いところ終わらせよう。
おぼつかない足元をどうにか誤魔化して白線の前に立つ。

「スタート」

その合図と共に大きく一歩をを踏み出した。

200mのトラックを7周半。
高校のトラックとしては小さいここを回るとなると直線が少なくぐるぐるバッドをしているに近い感覚が身体に押し寄せる。

ただでさえ視界がぼやけているというのに、平衡感覚の悪い条件を貸されると余計に心身を蝕まれる。

「瑞姫、後半分」

「……お、おう」

俺の肩を叩いて気遣ってくれる八城。

はっとして周りを見ると先頭集団とは半周以上も離れていて、自分がどれだけ遅いのかを知る。
運動が嫌いだからと言って運動音痴と言うわけではない。

八城はそつなくこなせるタイプの人間だ。
自分のペースに合わせてくれているんだ。

「先行けよ。俺は大丈夫だから」

「え、ってうわっ」

弱々しい中でも思い切り力を込めて八城の背中を押し前へと突き出す。

「お前が前にいてくれた方がやる気でる」

「……。わかったよ」

なにか言いたげな顔をしていた。
しかし、俺の言葉を聞き、その言葉を呑み込んで前へと前へと走りだした。

そのときだった。

「……あれっ」

ーーーーーバタンッ

「みずきっ!!!」


×××


「……き」

なんだろ。

「…ず…き」

俺の名前か。

「……みずき」

誰の声だろう。

「みずきっ!」

はっきりとその声が耳に届いたとき、俺の意識は覚醒した。

真っ白い天井とカーテンに囲まれた無機質な空間に似ても似つかない八城の姿があって、まだぼんやりとした意識の中でもはっきりとその姿を認識することができた。

「……やしろ」

力のない弱々しい声が木霊する。

それは八城の耳元で弾け、俺の方に振り向いた。

「よかったぁぁぁ」

顔を見た瞬間、勢いよく俺を抱きしめにきて、

「く、苦しい。や……めろ。ゲホッ」

「うわっ、ごめん。ほんと悪い……」

そっと手を離し、頭をぶつけないように頭に手を添えて俺の上半身をベッドに下ろした。

「……よかった」

ーーーーー……。

俺の手を握るその手は温かかった。
俺の手にかかる吐息は温かかった。

「ここ、保健室か」

「あぁ、熱中症だって」

「そうか」

「そうか……じゃないだろ!だからあのとき……。やっぱり一緒に走っていればよかった。それ以前になんで走るの止めなかったんだ。なんで気付かなかったんだ。いや、気付いてたのに、なぜ…。それに瑞姫だって言えばよかったじゃん。なんで言わねぇんだよ!」

それ、は……。

「……八城の荷物にはなりたくないから」

「……は?」

その声はベースの重低音のように心臓の奥に沈む。
俺の手を握りしめるその手はより力を増して……

「…わかってない。全然わかってない」

突然声を荒らげた八城は再び俺を抱きしめた。

「俺、まだ」

「関係ない」

「……でも」

重くのし掛かる体を離そうと体に両手を当て押そうとする。
しかし、

「逃げようとするな」

その何十倍もの力で抱きしめられ抵抗力は失われた。

八城の首筋から香る汗の匂い。
普通なら、それは誰であってもその匂いに鼻をまげていたはずだったのに。

そらはなぜかとても懐かしくて、とても心地がよくて、安心……する。

世界がまた歪み出す。
かかる霧が夢の世界へと誘う。

このまま寝たら八城呆れるだろうな、不貞腐れるだろうなと考えながら夢の中へと落ちていった。


××


「あ、起きた?」

「は、はい」

部屋の窓を開けたのか、カーテンが微かに揺れている。

「今、何時ですか」

「えーと、15時半。もうすぐホームルーム終わるんじゃないかな」

そんなに寝てたのか。
さっきよりはすっきりしたが、まだ身体は重くてだるさが残っていた。

帰れなくはないし、居座りすぎてもこれから部活も始まってくるしそろそろ帰った方がいいだろう。

体を起こし、上履きを履く。
教室に荷物取りに行かないと。

「あら、お手洗い?」

「いえ、教室に荷物取りに行こうと思って」

「それなら大丈夫。もう少し横になってなさい」

養護教諭は椅子から立ち上がりまっすぐ歩いてくると肩を掴み、俺は再びベッドに横になった。

「八城がお迎えにきてくれるから」

「八城は俺の保護者では……」

「八城くんすごい心配してたのよ。橘くん背負って駆け込んできて。あの時は心臓飛び出るかと思っちゃったよ。それに、昼休み中ずっと付き添ってたしね」

「……。」

他人の為にそんなに必死になれるものなのか。
ましてや俺の為にそんな……。

ふと、あの時の手の温かさを思い出す。
天井に伸ばした手を開いたり閉じたりして、あの時の感触を確かめる。

ーーーーー……。

心になにかが落ちた音がする。
それは温かくて、心を胸を温かさで満たしていく。
胸が……ざわめく。


××


「失礼します。あの、瑞姫は」

「まだ寝てるよ。荷物ありがとう」

「いえいえ、こちらこそ」

ーーーーー……シャラッ。

「瑞姫、だいじょ……って寝てるか」

ーーーーー……スー……スー……。

「……可愛い」

「八城くん、用事できたからちょっと出てくるわね」

「わかりました……」

ーーーーー……スー……スー……。

「……はぁ、可愛すぎ」

ーーーーー……スー……スー……。

「…悪い、少しだけ」

ーーーーー……ギシッ。

「……暑いんだけど」

「……起きてたのかよ!?」

「可愛い可愛いうるさい。なに、口説いてんの?」

「くぅ…っ。そうだよ口説いてんの!悪い?」

「……そんなに俺、可愛いか」

「……っ!お前まじでズルい。俺の気持ち弄びやがって。仕返しだ」

「うわっ、苦しい。離せよ、おい。誰か来たらどうする」

「やだね」

ーーーーー……っ。

……嫌じゃない、と思った。